俺の望み
俺の本当の望み、それを俺は初めて知った。
叶う事など無いと諦めていた望みだからこそ、俺こそ無いものだと目を背けていた希望だった。
その希望を初めて胸に抱く事が出来たのは、俺は傷だらけかもしれないが、その傷は生まれ持ってのものでないと知ったからだろうか。
傷を治して生まれ変わりたい!
ところが、俺の気持ちへの返礼のようにして扉の向こうから流れてきたものは、全てを汚すような揶揄いの声の濁流であった。
「消すと増える不思議な動画~。」
「ハハハ!もっと増やしてやろうか?」
「一画像一万でどうだ?クラス全員共有しているからさ、二十八万円?支払ったら責任をもって俺達が消してやるよ。」
大音量にしすぎだろ、アンリ。
林田と今泉の俺を囃し立てる嫌らしい声が、廊下に立ち止まる総勢八人にはしっかり聞こえ、俺はアンリの含み笑いが見える気がした。
今泉と赤塚の後ろを黙ってついて来ていた看護学生達は、扉の向こうの音声が一体何だったのかと訝しそうな顔を見せ合い、人の命に関わる職を目指す学生らしき事を口々に言い合った。
「さいてい。育てた親の顔が見たい。」
「本当に反吐が出るよね。どうしてあんな子供がいるんだろ。」
「子供が急に金回りが良くなったらさ、普通はおかしいとかさ、親だったら気が付くよね。」
今泉の母は学生達の言葉を聞くや、図星だというように耳まで真っ赤に染め、棒立ちとなった。
そして今泉の母の隣にいて、今まで彼女の味方をしていたはずの赤塚看護師は、数秒前の自分の口が語った言葉を取り消したい風にして口を歪めた。
「ごめん。フォローできないわ。それよりも、あたしが言った事は絶対に他言無用だよ?あちらの家にバレたらあんたを許さないからね?」
「りさ。」
自分をあっさり切り捨てた友人に、今泉の母は愕然とした顔を向けた。
看護学生達は、彼らが見たいと思った親の顔が今泉だったと赤塚の様子から推測したのか、一斉に汚物を見るような目を今泉の母に向けた。
そんな場に被せるようにして、アンリが叫んだ俺の声が被さる。
「お母さんはどうして俺を元通りにしようとしてくれないんだ!」
アンリは勢いよくドアを開け、そこで今泉の母と当たり前だが対面し、化け物を見たという風に、うわあああ、と叫んで見せた。
「いまいずみのおかあさん!」
今泉の母は咄嗟にアンリに手を伸ばし、しかし、その手はアンリを追って出てきた拓海に払われ、アンリは拓海の腕の中に匿われた。
「何をしようとしたんだ!」
「話を聞こうと思っただけで!」
「だ、だからここで治療を受けさせるのは嫌だったの!息子のお腹を裂いた子の親が働く場所に、大事なこの子を安心して預けられる訳は無いでしょう!」
母はこのアンリが招いた混乱で、彼女が欲しがっていた治療を取りやめる事が出来る魔法の言葉を手に入れたようだ。
けれど、俺の治療に意気込んでいた医師は、アンリを庇いながらアンリを部屋に引き込み、彼の面目を潰した看護師二名をしっかりと睨んだ後、ドアをぴっしりと閉めた。
拓海医師が赤塚達に見せた冷たい表情に俺こそ驚いて部屋に戻ると、母とアンリを椅子に座らせ直した医師は、真っ直ぐに、食い入るようにして母の両目を見つめていた。
拓海に真っ直ぐに見つめれている母は、びくびくと、親に叱られる子供のように脅えていた。
「腹の傷の治療と同時に、晴純君の運動能力の向上のために彼の脳の検査もしてはどうでしょうか。ねえ、子供が大事なあなたですから、子供を少しでも元通りにしたいでしょう?」
「べ、別の病院でも。」
「誰もあなたがした事を責めません。あれはもう大昔過ぎる事です。それよりもこれからの晴純君のことを考えましょうよ。あなたこそ苦しんで来たのでしょう?子供の状態から目を背けてきたのは、自分が子供にしてしまった事への罪悪感が大きすぎたからだ。そうでしょう?あなたこそ許される頃合いなんですよ。」
母は泣きだし、俺への治療を了承した。
息子をよろしくお願いします、とまで彼女は言ったのだ。
母が俺を見たくなかったのは、母の過失で俺が大怪我をした過去があったから、それだけなの?
俺は事実を受け入れても、母親を情けないと思うばかりだった。
彼女にこそ俺の苦しみを味合わせてやりたいと思った。
だけどそれは俺が大人になった時だと自分に言い聞かせた。
まだ、駄目だ。
今泉と林田、そして曽根達から、俺の体を元通りにする金を吐き出させるのだ。
そのためには弁護士を雇わねばなならないだろうし、未成年ではその行動を起こすことなどできやしない。
あいつらにしっかりと復讐をしたのち、そう、母への復讐はそれからでいい。
例えば、俺が大人になった時に。
誰もが閲覧できる裁判結果に、俺の名前と母に受けた虐待の日々を残してやろうじゃないか、と。




