首を洗って待っていろ
アンリは自宅に戻り、鞄を学校用では無いものと取り換えると再び外に出た。
彼の行き先は銀行のATMであり、そこで大金を下ろした。
林田達に脅された時に提示された金額、二十八万円だ。
「母さんか蒼星のカードを盗んだの?」
俺の口座は曽根達に強請られて奪われて、今は数百円しか残高が無い。
幼い頃から貯めていたお年玉などの四十五万円は、大きくなったら欲しいものに使う前に、曽根達の遊びの金になってしまったのである。
「いや、お前の金。」
「え?」
「スマートフォン買った日に親父さんに頼んどいたんだよ。パソコンが欲しいからお金をちょうだいって。父さんみたいなコードが書ける人になりたいって言ったら、本気でパソコン代をくれたね。」
「え?」
俺は驚くばかりだ。
父こそ俺の存在を嫌がっていたのでは無いのか?
俺を見たくないから大阪に単身赴任していったんじゃ無いのか?
やっぱり、中身が変われば周りも変わるのかな。
「大学に行ったらバイト頑張れよ。」
「え?」
「頂戴っても渋りやがったからさ、出世払いってことでお前の借金になった。蒼星にはポンポン買ってやってんのにふざけんな。」
俺はアンリの返しに救われていた。
中身がアンリでも、父は俺を受けいれたくない父のままでいてくれたと、俺はかなりホッとしていたのだ。
嫌われていることを再認識してホッとするもおかしいが、俺だから嫌っているのではなく、蒲生家の長男を父は嫌っているという図式の方が俺自身が救われるような気がしただけである。
凄く卑屈で情けないが。
「ほら、顔を上げろ。軍資金を手にしたら戦いに行くぞ。」
「え?」
隣りでふよふよと浮かぶ俺を連れて、アンリはなんと、外は真っ暗な十九時過ぎた遅い時間に関わらず、林田の父が働くオフィス街に向かったのである。
「どうするの?」
「林田が動画消去代を請求していただろ?林田の親父に金を渡して息子を監督してもらおうと思ってさ。」
俺はそうだね、と答えていた。
確かにあの動画は消して貰わないといけない。
しかし、俺にも金があり、その金がアンリが勝手にでっち上げて手に入れたものだったとしても、俺こそ自分のパソコンが欲しかった、と、この時点で自分の欲しいものが分かってしまったのだ。
初めて父が俺の為に動いてくれたお金。
そのお金で俺も蒼星みたいにパソコンを持ちたい。
動画は?
あの死んでしまいたくなる動画は?
そこで俺はハハっと笑い声をあげた。
俺はこの先目立つことも無ければ、好きな子が出来て結婚するような未来どころか、まともな所に就職できる可能性だってない。
きっとその日ぐらしで生きていくだけならば、死にたくなるような動画ぐらい残ってしまっても構わないのではないか?
俺には未来なんて無い。
親にも愛されていない俺だ。
だけどこの金は、唯一、親が俺の為に出してくれた金なんだよ。
「アンリ。そのお金を林田に渡すのは止めて。」
「晴純?」
俺は自分の顔をしているが自分では無い男の両目をじっと見つめ、他の誰も聞いてくれない俺の言葉を聞いてくれる男に、自分の一生のお願いをしていた。
「お願い。俺はそのお金でパソコンが欲しい。俺はパソコンが欲しい!」
けれど、アンリは、駄目だ、と言った。
「どう、どうして!」
アンリはニヤリと、それはもう悪そうな笑みを顔に貼り付けた。
「アンリ?」
「この金であいつらを謝らせるんだ。お前のその腹の傷を綺麗にする金になってこの金は膨らんで返ってくる。お前は親父に約束した通り、親父みたいなコードが書けるパソコンを手に入れて、真っ新な未来も手に入れるんだよ。親父がお前のために用意してくれた金を踏み台にしてな!」
「本当にそんな事が出来るの?」
「しっ。」
「え?」
アンリは足を止めたどころか、目を爛々と輝かせて林田の父の会社がある方角ではない方を見つめていた。
それはもう、ギラギラした目で嬉しそうに笑顔となって、だ。
俺は何事かとアンリの目線を追い、汚い大人の所業を目にする事になった。
息子と同じ二重だが、息子が運動不足でふくよかになって目が小さく小賢しい顔立ちになってるのと違い、父親の方は年を取って弛んだ皮膚によって目尻が下がり、二重の目元が優しそうにみえて情に篤い男性に見える外見をしている。
「ほんとうに、情が熱い人なんだね。」
「お前は意外と毒舌!」
息子しかいない林田家の父親が、若い女性と腕を組んでいるのである。
「晴純。近くまで行って、ギリギリお姉ちゃんとスケベパパのスマホのデータを抜いて来れるか?」
「わあ。俺はどんどん悪い大人の事を知っちゃう。」
「汚泥の中でも清純でいられる奴こそ本物だ。さあ行け。」
俺はふよふよと飛んで行き、アンリの言った通りに林田家の父親と彼と腕を組んでいる女性のスマートフォンを漁った。
データ検索しているうちに彼らが間違えようもなく不倫関係にあると知り、林田に対してざまあな優越感も持ったが、自分の父親が単身赴任先の大阪でそんなことをしていたら死ねるとも思った。
俺は彼らの浮気の証拠となるやり取りのログを自分のケータイに送ったが、そこには吐きそうになる画像もいくつかあったので、俺のスマートフォンが汚されたような気持ちになった。
そこで再び手に入らないパソコンを思い浮かべ、俺がアンリの元に戻った時はとても悲しい気持ちになっていたかもしれない。
「晴純?やっぱパソコンを買いに行こう。林田の父親に渡す金は、まず、三万もあればいいかな?」
え?
驚く俺をものともせず、アンリは楽しそうにスマートフォンで林田の父を撮影し、機嫌よく歌うようにして恐ろしい事を口にした。
「林田のパパをな、犯罪者に仕立ててやろうとも思ったが、これなら闇金に沈めてやる方法も取れる。どちらが好みだ?パーパが消えた林田君は逞しく生きていけるかなあって、俺は考えるだけでワクワクするね。」
俺は俺に金をせびりに来た林田の顔を思い出し、あいつこそそんな目に遭えばいいと憎しみが湧いた。
金を渡さねば殴られる。
渡すための金が無い。
親の金を盗めと言われたことだってある。
盗めなかった俺は、無駄な奴は空気を吸うな死んでしまえと林田に言われながら、殴られて、殴られて。
「林田こそ闇金に沈んで欲しいから、犯罪者の方で。」
アンリは機嫌が良い酔っぱらいみたいにして、りょーかい、と軽い口調で俺に答えた。




