追い詰められた少年の最後の時間
机の落書きどころか、机の中に腐った給食の残りや誰が持って来たのかゴキブリの死骸までも入っているのがデフォルトである。
俺の身の上は、いじめ、を受けているクラスの鼻つまみ者で、教師は俺がいじめを受けているから面倒ごとになっていると俺を恨み、いじめをしている奴らこそ、俺がいるからいじめがやめられないのだと全てを俺のせいにしているのだ。
俺は溜息を吐いた。
いじめは物心ついた時から、まるで俺のオプションかのようについて回り、俺こそ何もされない日には、翌日に刺殺されるのか、あるいは下校途中でタコ殴りにされて撲殺されるのか、と、かえって不安に陥ってしまうという暴力の奴隷そのものになっている。
殺されるのは怖いのに、楽になるために死んでしまいたくてたまらない。
それでも死ぬのは痛くて苦しい事だろう。
だから俺は、出来る限り楽に死ねる方法を探していた。
首吊りは実はうまくやれば一瞬で意識を失って苦しくないらしい。
首を括った紐によって頸動脈が抑えられ、脳が酸欠になって意識が飛んでしまうのだそうだ。
だが、失敗したら?
曽根に首を絞められた時を俺は思い出した。
その時の俺は、体中から出せる汁、つまり涙に鼻水に小便を垂れ流し、死にたくないと、いや、この苦しみを早く終わらせてくれとひたすらに願っていた。
助かったのは曽根が俺を殺す気はなかったからではなく、俺が漏らした小便で自分が汚れそうだから俺の首から手を外しただけだった。
俺はそれで殺されずに済んだだけだ。
多分そこで殺されていても、あいつらは俺が自殺したと言う事にするだろう。
実際に彼らはそう言って笑い合い、俺は声が出せなくなった喉を押さえながら、彼らがほんきでじっこうしてきませんようにと脅えるしかなかった。
あいつらはスマートフォンをかざし、俺が自分の小便で濡れそぼった姿を喜んで撮っていた。
どうして虐められるのか。
それは、母も父も俺を疎ましく思っているからであろう。
彼らは俺が理解できない。
俺も彼らが理解できない。
俺は彼らが考えていることが全く理解できないし、彼らが望む子供らしい振る舞いをどうすれば良いのかわからないのだ。
弟が笑うように笑えば、気持ちが悪いと言われ、話しかけようとすれば弟が先だろうと話を遮られて聞いてもらえることなど無い。
それは仕方がないことか?
勉強も出来て周囲と上手くやれる弟は彼らの自慢であり、そんな弟の光り輝く未来の道を汚す俺は、蒲生家ではいらないものなのだ。
父兄参観日に親は俺の教室の顔を出すのは一瞬で、その後は弟の教室に居続ける。
ああ、そうだ。
俺がいらない子だから殺してもいいんだよな。
曽根はそう言ったのだ。
俺の両手に温かい涙が滴った。
俺は俺が考えた最高の死に方をこれからするのだ。
ドラマや映画に小説と、被害者が苦しむ間も無く呆気なく死んでしまう青酸カリ。
俺はこれを飲む。
桃の種の中には88mgの青酸カリが含まれている。
種を三つ齧れば致死量のはずなのだ。
「あなたを殺した方法で俺も死ぬよ。」
俺は自分の机に載っている文庫本、それと自分の殴り書きのような文字の見える何冊もの大学ノートを見つめた。
ノートには既存の小説をもとにして俺が創作した小説が書き込まれているが、内容は創作どころか小説の登場人物の全員が嫌い合い裏切り合い、最後には殺し合ってみんなが死ぬというものだ。
俺は俺を痛めつける人達を登場人物に見立て、彼らが非業の死を遂げる物語を書いて自分を保っていたのである。
「最後のページにはいじめをした奴の名前と、父さんと母さんへの恨みを書いてあるから、少しは彼らへの嫌がらせにはなるかな。……なんないか。俺は虫クズ同然だもんね。」
俺は手の平に掴んでいる桃の種、真っ二つに割った柔らかな中身がむき出しになっているそれの一つを齧った。