迎撃
時刻は十三時まで十分前、つまり十二時五十分。
アンリは立ち上がると市村の後ろに立ち、市村の首筋に手刀を当てた。
俺の手の平じゃ威力は無いが、俺の昔のガラケーを握っている右手では、彼が想定する結果をちゃんと起こせたようだった。
「こっちは想定外だったな。」
椅子に座ったまま意識を失っている市村を俺の身体では抱え上げる事も出来ないと、アンリは苛立たしいと舌打ちをした。
「そ、その椅子。車輪付き!それでさ。」
「あ、そうか。盲点盲点。」
アンリは椅子ごと市村をベッドに運び、そこから何とか市村を椅子から持ち上げてベッドに転がせた。
「はあ。決行時間を早めておいて良かった。」
アンリはお道化た風に言うと、市村の体の上に布団をしっかりとかけた。
黒い髪の毛が布団から少し出ているとこは、俺が寝ているようにも見えるかもしれない。
それから彼は俺達が買ってもらったばかりのスマートフォンを、ベッドの様子を撮ることができる棚の上に充電用コードを付けたまま立てかけた。
「さあ、舞台は準備できた。」
アンリは保健室を飛び出していき、俺は保健室に残ってこれから起きる事を見逃すまいと保健室の床に座り込んだ。
アンリが出て行って無人となった保健室、十三時三分に招かれざる客が律義に姿を現わした。
彼の手にはスマートフォンではなく、トランシーバーぐらいの黒くて縦長のものを掴んでいた。
彼はまっすぐにベッドに向かい、掛け布団を左手で押さえると、布団の中に右手を差し込んだ。
バチバチバチバチ。
「ぎゃああああああああ。」
布団を透かすぐらいの明るい青い光が布団の内部で起こり、そこに続く市村の悲鳴で俺は何が起きたのか理解した。
北沢は俺にスタンガンを当てるつもりだった。
そんな北沢は、悲鳴が女性のものだと知ったからか、慌てたようにして布団を捲り上げた。
布団が無くなり全身を現わした市村の姿に、北沢が俺にスタンガンを当てた目論見が分かった気がした。
市村は漏らしていた。
臭気が強くシーツに薄黄色い染みが見える事から、もしかして彼女は便も漏らしてるのかもしれない。
北沢は俺が保健室のベッドで漏らしていた場所を写真か動画に撮り、それを更なるいじめの小道具にするつもりだったのだろう。
どうしてここまで俺に執着して攻撃をしてくるのだろう。
それも、自慰をさせられそうになったり、こんな風に漏らした姿にさせられたり、下ばかりの攻撃は何故なんだろうか。
俺は北沢の粘着質に気持ちが悪くなっていて、いじめだと脅えていた時とはまた違う恐怖を北沢に感じていた。
「お前は何をしている!」
大人の男性の怒号に振り返れば、上杉が戸口におり、次に上杉を呼びに行っていたアンリが息を切らせながら戻って来たところだった。
しかし、アンリは保健室の中から見える位置には立たなかった。
「北沢!お前は一体何をしたんだ!」
上杉は怒り声を出しながら保健室の中に入って来て、北沢の真ん前に立ったが、しかし、北沢は上杉に動揺するどころか、ケロッとした顔でスタンガンを持ち上げて上杉に差し出した。
「落ちていたんです。それでどうしたんだろうと布団を捲ったら市村先生がこんな状況で。あいつですよ。あいつがこんなことをしたんですよ。」
「あいつって誰だ?」
「あいつって、蒲生ですよ。きっとあいつはこんなものを持ち歩いていて、市村先生に見咎められて使ったんですよ。」
「それで、その蒲生はどこに行った?市村先生の悲鳴はたった今聞こえたばかりだよな?」
そこで北沢はさっと視線を保健室内に動かして、ここには自分と自分が気絶させた市村以外しかいないと言う事を確認すると、困ったという顔をするどころかにやっと笑みを作った。
「逃げたんじゃないですか?」
「そうか、それで君はどうしてここにいるんだ?顔のその怪我が痛むのか?俺が見てやろうか?」
北沢はにへらと笑うと、自分の頬に当ててある白いガーゼを剥ぎ取った。
十字架にも見える、真っ赤な火ぶくれがそこにできていた。
上杉は当たり前だが子供の火傷の傷に怯み、北沢はその隙をついて保健室から飛び出して逃げ出した。
ほんの一瞬だけ。
戸口にアンリがいたのだから、俺達を痛めつけたいだけの北沢はそこで足を止めざるを得ないのだ。
「ガマ!」
北沢は叫び、俺は北沢を止めたいと廊下に飛び出した。
しかしそこで、俺は一瞬で起きた出来事を見守るしか出来なくなった。
北沢は叫びながら足を振り回し、足を振り回した駄賃のようにして保健室の扉に顔面をぶつけていた。
まるでアンリが林田達に怪我をさせられた朝の報復のように、思いっきり顔面をぶつけていたのである。




