連絡その一 事件概要と己の現状
昨年の七月二十八日、都内某所にて救急車と自家用車の接触事故が起きた。
交差点で無理矢理なUターンを行ったワゴン車が緊急搬送中の救急車に勢いよく体当たりし、制御が取れなくなった救急車が横転したのである。
結果、消防隊員の一名と搬送中の患者一名が死亡。救急車に同乗していた隊員二名と患者の付添い家族一人の計三人が重軽傷という、痛ましいものとなった。
ちなみに、救急車に接触した車両の運転手は事故現場から逃走したが、二時間後に警察によって緊急逮捕されている。
この痛ましい事故はそれで幕引きだという風に、その後のニュースには乗らなくなった。そもそも死亡事故など毎日のようにある。救急車両の横転事故であったために全国放送されただけだ。そのニュースは報道された翌日には忘れられ風化した。そのため、逮捕された運転手の名前と、その運転手が逮捕された翌日に自殺している事実など、事件関係者以外には知られずに終わっていたのである。
「どうして後出しバッカするかなあ」
俺は今まで読んでいた(本当は子供が読んじゃいけない)警察資料のコピーを食卓に放り出す形で、自分こそ机に突っ伏した。低音の心地良いばかりの笑い声を台所に響かせた男が、お疲れさまという風に俺の頭の脇に芳しいコーヒー入りのマグカップを置く。いや、本気でお疲れ様の気持ちであろう。鹿角は俺を保護してくれたが、子供でしかない俺に潜入捜査をさせているのだ。
俺が通う事になった祥鳳学園中等部麻布校の俺が組み入れられたクラスには、夏休み明けから登校しなくなった少年がいる。
皆原翼。
俺が病院に担ぎ込まれた同日、皆原家の隣家が異臭がすると警察に苦情を通報した。通報で駆け付けた警察により、屋内にて家人と思われる女性の遺体を発見した。また同時にその家の息子である皆原翼の所在不明も明らかになり、現在警察は行方知れずの少年の捜索にかかりきりである。
俺がテーブルに突っ伏して嘆くのは、鹿角に読ませられた資料に記載されていた死んだ救命隊員が彼の父で、皆原の父親の死因となった車両事故での加害者が狩谷陸の父親だと知ったからである。
「わかんねえ。わかんないよ。父親を失ったばかりの子供をいじめ始める奴らの心情も考え方も分からないが、加害者の子供が被害者の子供をいじめる図式こそ意味わかんない。普通は逆だろう? 東京まじ秘境」
その狩谷は本気でわからない奴だったと、俺は思い出す。
俺がクラス中から一挙手一投足を監視されていたので、わざとその情報網を知るためにわざとらしく煽ってみた。すると、皆原いなければパパ活しそうな馬鹿女二人が簡単に馬脚現わすし、五時間目の休み時間に机に悪戯書きという物的証拠も貰ったので、今日の仕事は終わりだと俺は帰路につく事にした。
お迎えで鹿角を呼ぶのは不本意であるが、この足で東京の公共交通機関を使うのは俺の脆弱な体とガラスハートでは無理である。
なのに、俺は働きすぎ。
トイレという敵さんホイホイの場所に入り、狩谷陸以下三名様の襲撃を受けることになったのである。違うか。三人が俺を襲撃する前に狩谷が俺を先に拉致って個室へと連れこみ、あとから来た三人は俺がトイレには不在と思い込んで憤慨しながら戻って行ったが正しい。
狩谷は始終無言だった。
三人が消えるや突き飛ばすように俺を放り、そのまま彼も教室へ戻って行こうとしたのである。戻れなかったけど。だってさ、この学校には、鹿角によって学校に潜入させられていた三角凪警部補が、俺のストーカーみたいに俺の安全に目を光らせているんだよ。
普段は狐顔の文官系外見の二十代のイケであるが、鹿角の信頼が篤いだけあって事が起きた時にはまじ怖い奴なのだ。
凄いよな。
教師の仮面を外さない状態でおっかない威圧感を全身から迸らせ、完全に脅えさせた狩谷を捕獲してしまったのである。そして三角が狩谷を教室へ返さないどころか狩谷を連れて消えてしまったのは、他の三人と違う狩谷の様子に思う事があるのだろうかと思ったら、皆原と狩谷の親が一つの事件で繋がっていたとはね。
俺は溜息を吐く。
「大人は子供に必要な情報こそくれないな」
「晴君。ケーキ食べるかな? スフレ焼いたんだ」
「お前が焼いたのか」
俺は更なる衝撃を受けながら身を起こす。
気味が悪いぐらいにニコニコしている鹿角が、俺の目の前に小さなケーキが乗った小さな皿を差し出した。
きめが細かく、口に入れたらふわっしゅわと感じるだろうなと、見るだけで最高だろう気の利いたスフレケーキがそこにある。
「嫌いだったのかな?」
「いえ。なんか悔しくて」
「ハハハ。君は悠君と料理作りで競いあっているのだっけ?」
もう数週間は会えなくなっている親友を持ち出され、俺は親友を懐かしく思うよりも、会えない状況に苛立っている感情こそ呼び起こされた。だから鹿角に返す俺の言葉は、かなりぶっきらぼうなものだった。
「あいつが主食担当で俺がデザート担当です。住み分けしてますんで競争なんかしてないですよ」
「友人だからこそ反発し合い競い合うものじゃないかな?」
「憩いの場に競争は必要ないです。あと俺達は競い合ってはいますよ。今のところ全敗だけど、俺はあいつと同じ学校に行くために必死で勉強してます」
「でも、君達は譲り合っていないかな。それは素晴らしいことだと思うけど、私は君達がいざという時に手を繋いで一緒に死んでしまいそうで怖いんだよ」
「きも」
「きもって、君は」
「死なねえよ、馬鹿。俺が悠が死ぬのを許すわけ無い。悠はみんなの人気者の生徒会長でさ、文武両道で外見だって最高なのに、見下される糞虫みたいな俺に」
俺はあの日の悠が俺にしたように、右手を差し出した。
誰よりも傲慢に振舞っていいはずの彼が、おどおどと伺いながら俺に右手を差し出したのである。
「僕は君と友達になりたいわけで」
俺はあの日の悠が俺に言ってくれた言葉を唱えると、右手に拳を握った。
力を込めねば涙が出そうだなんて。
「あなたが言うようにあいつが俺の為に死ぬ奴なら、俺はあいつを死なせないために生き延びますよ。絶対に死にやしない」
だから、俺から拓海を引き剥がしたようにして、俺から悠を奪わないでくれ。
鹿角から大きな溜息が吐き出された。
俺は奴に内心を吐露し過ぎたか?
「すまなかった。君達が純粋すぎて、私が勝手に考えすぎているだけだ。ハハハ。私の交友関係なぞもっと計算が入っていたからな」
「お前こそ友達作れよ」
俺はさっそく鹿角手製のスフレケーキにフォークを刺し、そして味わいながら当たり前のようにして自分の対面の椅子に座った鹿角を眺める。
彼は俺に警察資料を見せ、行方不明の少年を探させようとしているが、それは全て俺とのこんな時間を過ごすための理由の様な気がした。




