報告その四 俺を過少評価してくださいよ
「君の初登校の戦果については褒めるべきか叱るべきか悩むどころだが、まず無事に私の元に戻って来た事を喜ぼう。今日は何が食べたい? さあ乗って」
俺は素晴らしいバリトンの滑らかな声に、うんざりした気持ちとなりながら見上げた。この目の前の男の存在が、俺の数週間前から今の現状が夢では無かったと、残念ながら思い知らせてくれる。
目を瞑ったらあの楽しかった夏の日に戻らないかな。
本当に目を瞑るべきだった。
目の前のこの人を直視するなんて、無謀この上ない行為だったのだ。
浅黒い肌をした日本人とは思えない彫りの深い美貌は、太陽の光よりも強烈で、俺は片手で目元を覆ってよろめくしかなかったのである。
「うわ、眩し」
「晴純君は、そうやって私を虐める」
「いじめる? 寒々しいことを言ってんなよ」
お車登校禁止の学校の校門前で車のドアを開けて俺を待つ男は、あの裁判官と違って俺の生意気こそ嬉しいと目を細めた。それだけでなく、この高身長で映画かファッション雑誌の住人の様な見事な顔貌の男は、幸せいっぱいの表情で動かない俺の背中を押し押しして車に乗せようとする。
「鹿角さん。やめて」
「ほら。通学路にいつまでも車で邪魔をしちゃ駄目でしょ。さあ、乗った」
俺は大きく息を吐く。
収監された施設にて初日にリンチらしきものを受けた俺は、今は偉い警察官の保護下にあるのである。俺をあそこから助け出すために、鹿角はきっとものすごく超法規的手段を取っただろうな。だけど本気でこいつは正体が知れないなと、俺は偉い警察官を見つめる。
鹿角十六夜警視。
日本にもいたんだSPの人として彼と出会ったが、実際は警察組織の中での立ち位置どころか何をやっている人なのかよくわからない上、なぜか俺を大変気に入って養子にしたがっている不気味な人でもある。
そんなに俺は五歳で死んでしまった彼の子供の颯来君に似ているのかな。
そうじゃないな。
彼は自分が何の気なしに颯来君に言ってしまった、母親を守れ、という言葉によって颯来君が死んでしまったと考え、颯来君の死に罪悪感を抱いているんだ。だから勝手に颯来君の面影を俺に重ね、俺にうざく関わろうとしてくるのだ。
「さあ、晴君」
鹿角の声に少々苛立ちが混じった。
鹿角は意外とこらえ性が無いのである。
彼を揶揄うのもここまでだと、俺は素直に車の中に乗り込んだ。
俺が座席に納まればすぐに鹿角こそ運転席に座り、そして次いでという風に、俺の膝の上に茶色の角二封筒を放り投げた。
「君の新たなクラスメイト、三十四名の身上書だ」
「普通は先に渡さない? もう三人狩ってしまいましたよ。詳細は三角さんに聞いて。俺は狩っただけなんで」
「初日で三人か。そんなにあからさまだったか?」
「ハイブランドの十五万のバレッタ付けている女子生徒がいました。今季の新作ね。それで適当に煽ったら、勝手に踊った。皆原少年の貯金残高はゼロだった。それなら普通に恐喝があるはずだと思ったからね、楽だった」
「流石だな。君に先に資料を渡さなくて良かった。君の直感をまず聞きたかったんだ。あの施設から逃げる為だけに、誰の目にも品行方正な職員の残虐性を引き出して見せた君だ」
「俺を買って下さりありがとうございます。あれは偶然ですよ。っていうか、あいつは入所してきた子供全部にあの洗礼をしてたと思います」
「そうだね。子供達の証言で君の言う通りだってわかった。だが、今までは隠れての行為だった。どうして君の時は他の子供も引き込んだんだ?」
「俺をどうしても殴りつけられなかったから、でしょうね。殴りつけたい俺が施設の中から消えてしまった。それで全員で見つけ出せって言い出したんですよ。俺に殴られたくなかったらなと、子供達を脅して。そんな大声を出してそんな事をしたら、他の職員が気が付くでしょうにね」
鹿角は嫌そうに大きな溜息を吐く。
他の職員こそ、その男の行為を見逃していたのだから。
そして俺はあの男の言いなりだった子供達に恨みはない。
固形石鹸を靴下に入れて作った武器で殴られるのは、もの凄く痛いどころじゃなかった。俺だってあんなんは二度と受けたくはないね!!
それに、鹿角に乗り込んで貰うために俺は大怪我をしたのだ。
そのためにわざと隠れて苛立たせ、捕まった際も奴を罵り、普段は手心(?)を加えていたらしい奴の理性(あるものならな)を外してやったのだ。
病院送りになる程度の怪我など計画通りだ、何の問題もない。
水口に俺との接触禁止にされていた拓海にも、俺の入院騒ぎで再会できたんだ。
拓海こそ俺の壊れていた脳みそを治した執刀医で、俺の担当医なんだから。
再会した拓海から貰った言葉は、俺を子供にするのは諦める、だったけどさ。
「君が施設職員によって暴行を受けたことで、あの施設に君の送致を決定した水口裁判官は、自身のキャリアに著しい傷がついたね」
「裁判官としてあるまじき独善的行為の結果で子供が大怪我したのに、キャリアに傷程度ですか。裁判官って守られてますねぇ」
「ハハハ。そう言うな。キャリアには小さな傷だって一大事なんだぞ。まずもう出世は望めない。そうしたらもう、同期の集まりでの肩身がとても狭くなる」
「その程度。大体あなたはキャリアに傷がつこうか平気でしょうが」
鹿角は目尻の笑い皺をさらに深くして、俺に軽くウィンクして見せた。
それは、老若問わず百人の女性がいたら九十九人は腰砕けになるだろう、映画の一場面のような一瞬だった。
だが俺は中坊の男子でしかない。
俺は鹿角のウィンクなんぞ完全に無視し、膝の上の茶封筒を取り上げて開けた。
「答え合わせいくぞ」




