父と息子
時計の針が示すのは、朝の七時半。
今までも学会があっても拓海はこれほどスーツをピシッと決めていなかったはず、だと思いながら、俺は何が起きたのかと一瞬混乱した。
「今日も学会ですか?って、うう」
俺は慌てて飛び起きたが、びしっと胸元に筋肉痛が走ったのだ。
うわあ、俺は昨日悠と何したんだっけ、と自分の胸元を押さえながら昨日の自分の行動を思い出す。思い出の記念撮影と称して散々に変なポーズして遊んでた。
だってこっちの人、シャッタータッチを頼んだだけなのに俺達よりも悪ふざけして、俺達がするポーズに色々注文つけてくるんだよ。
すっごい、良い思い出の画像ばっかになったけどさ。
「晴純大丈夫なの?いけない。水でも、飲む?みず、ええと、お医者さん」
医者はあなただ!!
「――大丈夫です。昨日の馬鹿が蘇っただけですから」
「昨日の馬鹿って。昨日は楽しかったんだね。悠君に背負われてた君も悠君も満面の笑みだったものね」
「ええ。悠のお陰で俺は毎日が楽しいです。それで、亮さんは今日も学会ですか?ちゃんと休んでいますか?大阪でも手術、手術、じゃないですか」
新田の余波で祥鳳大阪医療センターは大忙しなのだ。
俺の祖父の他に新田に声を掛けられていた患者が、拓海からの執刀を求めて何人も大阪医療センターに押し寄せているという事だ。
脳に寄生虫がいる可能性や、新田に脳を弄られていないか、誤診は無いかと調べるために全員受け入れ、手術が必要な患者は桑井教授と手分けして執刀している状況なのだそうだ。兵頭の話では。
「うーん、今日は学会じゃなくてね、ええとプライベート」
「お見合いですか?」
「いや、そうじゃなくて」
仕立ての良い、どこから見ても成功した外科医にしか見えない恰好になっている拓海は、急にシオシオと萎んでしまった。
「大丈夫ですか? また兵頭さんが何か? その謝罪行脚?」
「いや、兵頭には昨日一日僕のお願いで動いて貰ったから、感謝ばっかりで」
「――俺の親がまた何か面倒ごとを? それを俺に言い難い、ですか?」
「いや、そういうことでも」
拓海は悪戯をした子供が叱る大人に言い訳をするみたいにして、喋る言葉はもにょもにょと小声になっていき、頭だってしゅんと下に下げてしまった。
どうした、何があった?
「――何でも言ってください。俺が何とかします」
「そうじゃ無いんだ!!」
「うわ」
珍しい拓海の大声だ。
俺は驚きながら拓海を観察していると、彼は何かを決意した様な硬い表情に戻ると、覚悟を決めた人みたいにごくりと唾を飲み込んだ。
そして彼は俺を真っ直ぐに見つめる。
「これから僕が君にする行為は、君が気に入らなければ受け入れなくてもいい。ただしそれでも今まで通り君が望む限り我が家を君の家にしていてかまわない」
「え、俺に何するの? もう一回開頭したくなった? MRIにぶち込みたくなりましたか? あ、ああ!自宅のペットカメラに細工しているの全部外せですか?」
「え、そうじゃなくて、いや、弄ってたの? カメラ」
「あっ」
俺は隠すべきことをなんて正直に話してしまったのだ。
拓海に観られていることは受け入れているが、俺にも観られたくない時はある。
そこで、プライバシーが欲しい時は別映像が差し込まれる仕様にしていたのだ。
「あ、アハハハ。安心した。君はちゃんと悪い子だった」
拓海は声を上げて笑うと、俺の頭をよしよしと撫で始めた。
それから、先程の緊張も無い様子で、いつものようにリラックスしている。
俺は拓海の様子に安堵の吐息を吐く。
「――君を僕が嫌う事は無いよ。君がもしもその心配をしているならね」
「じゃあ、カメラ映像をアニメに差し替えたりしても?」
「それは駄目。僕は君が僕の部屋にいる、その確認がしたいからね。君が病気になっていないか、君が怪我して帰って来ていないか、もしかしたら楽しいことを今すぐに誰かに伝えたい様子なのか、とか、確認したい。――僕は君が誰かの言葉を必要としている時に一番に声をかける人になりたいんだ」
突然にいつも意味のない電話を掛けてくるのは、手術の合間の暇つぶしだとばかり思ってました。
俺の頭は勝手に下がる。
頭に乗る拓海の手が重いだけだという風に。
でないと、泣きそうでぐしゃぐしゃに歪んだ顔を見られてしまう。
「だから、君を養子にする事に決めた。勝手に動いた。君が嫌だったら取りやめるが、き、君が望んでくれるなら、僕はこれから君のご両親と話合いに行く」
何も言えなくなった俺は、喋られなくなった代りに、昨日買って来た長方形の箱を掴んで、それを拓海に突き出した。
「晴純?」
「成功したら、それを。息子から父親への、初めてのプレゼントです!!」
俺の頭上から拓海の手の重さは消え、俺の手からは箱の存在も消えた。
その代わり、箱を開けるかさかさという音が聞こえる。
「ふ、ふふ。この柄が意味するのは新世界かな」
「ええ。リアルな宇宙柄のネクタイ、一目惚れしました」
「昨日君があんなに疲れて帰ってきたのは、このネクタイを探していたからか」
「ええと、アメリカ村に行ったのは悠の推しイベ目当てで、すいません。でも行って良かった。これを見つけた。一目で欲しくなって、絶対にあなたに贈りたくなって。そしたらあなたが俺を自分の子供にしてくれると言い出すなんて。幸運を呼ぶネクタイです」
「幸運だったら、彼等から同意を得る話し合いの席にこそするべきでは?」
俺は腕で止まらなくなった涙を乱暴に拭って、拓海へと顔を上げた。
きっと俺の顔は、迷子の子供が母親を見つけた時みたいな表情になっている。
拓海こそ迷子を見つけた親の顔なんだもの。
俺が欲しくて堪らなかった、親に向けて欲しかった、顔、だ。
「言ったでしょう。息子から、父親への、初めての贈り物、だって」
拓海は、絶対に誰も成功しそうにない手術に自分こそは成功できる、そんな傲慢な外科医の誇らしそうな顔をして見せた。
「絶対に、成功するよ」
七月二十七日。
大阪某所にて七月革命が行われた。
俺と拓海は正式な養子縁組を行い、俺は拓海の息子となった。
あの女の持つ、親権、という呪いが俺から消えた。
翌七月二十八日。
見舞いに行ったら祖父に謝られた。
ごめんな、と。
障害があっても愛していたし障害があるからこそ守りたかったのに、その障害が自分達由来だと言われたら罪悪感で動けなくなった、と。
だから、彰人を許してやってくれ。
俺は笑顔で謝罪を受け入れた。
人を操る一番の方法が罪悪感を持たせることだって、俺はアンリから教えて貰って知っている。




