巣立ちの時は来たると我は親鳥を喰らう
七月二十五日、午後十三時を少し回ったところ。
関東に帰る有咲達を見送った後、俺は祖父の病院に向かっていた。
もちろん、藤が運転する車で、だ。
祥鳳大学所有の黒塗りの車で、彼は俺達を送迎してくれているのだ。
そう、俺達。
俺は病院で降りるが、悠はこのまま母親と姪が泊まっているホテルに藤によってお届けされるのである。
うん、お届けだな。
熟睡してやがる。
昼は俺達と遊んで夜は美優の世話とは、彼が疲れ切っているのは当たり前か。
「着きましたよ」
「どもです」
「起こさないの?」
「明日も会えるし、いいよ」
俺は車から降りようと扉に手を掛けたそこで肩を掴まれた。
もちろん掴んで来たのは、悠だ。
彼は怒ったような顔で俺を睨むが、俺は彼が俺よりも早く大人の顔立ちになりかけていると気が付いた。だから嫉妬でそっけない声が出たと許して欲しい。
「何?」
「僕が君を心配するのがそんなに嫌か?」
「君からは同情は欲しく無いんだ。純粋な友情だけ欲しい」
「純粋な友情だよ。僕は君の助けになりたいだけだ」
悠はまっすぐな視線で俺を射抜く。
俺は彼のその真摯な表情を見つめ、彼を落とした段判定の奴らは無能だな、と余計な事を考えた。でないと嬉しさで泣いてしまいそうだ。
「晴」
「悠。行ってくる。それで、いつだって君は助けだよ。俺が頑張るのは、君の横に立ちたいから。だから、助けるとか言うなよ」
悠は俺の精一杯に何と返したか。
爆笑しやがった、中二病、と。
「くっそ、悠!!」
俺は車から降りようと再び扉へと身を翻したが、俺の行動はそこで止まった。
悠が俺を後ろから抱き締めたのだ。
「悠」
「俺だって君の横に立ちたいって頑張ってるんだからさ、置いていくな」
「悠、実は俺は君から借りた東都壊滅少女放浪譚は全部観終わっていた。君が良いって言ったから、俺は借りたその日から翌日の二日かけて全部観た。船で全部観ていないって嘘言ったのは、俺はミミとヨッコはあの八話で良かったと思うから。互いの事情を知ってもどうせラストが変わらないならば、あれで良いって。だけど君がラストを変えられると言うなら、俺もそっち方向で観直してみようと思った。だから、もうしばらく借りるな」
「――いいよ。ただし、シーズン2が始まる一週間前には返せよ。シーズン2始まるカウントダウンで一緒に観よう」
「やっぱすぐ返す。悪いが三回はきっついわ」
「晴は酷い」
悠は笑いながら俺から腕を外した。
そして俺が振り返ると、彼は俺の肩を今度は軽く叩いた。
行ってこい、という感じで。
俺は親友に笑みを見せ、そして今度こそ車を降りた。
病院に入った俺は、忘れる前にと病院の売店に向かった。ATMはそこにある。そこで、コンビニって二十万しか下ろせないと気が付き、ここもかと自分の初手の失敗に笑った。俺が笑わなくともアンリがいたら笑う。
お前、出世してたっけ? だからだよ。
「あの、何かお困りごとが?」
「いいえ。申し訳ありませんでした。あと八万どうしようかなって思って」
「違うカードでしたら出るのでは」
俺は店員に礼を言って、それから目的を果たしてから店を出た。
さあ、気軽には会えない俺の家族との集合場所に行かねば。
俺が話しかけても無視していらない子空気ばっかなのに、待ち合わせに俺が遅れると文句を言う。わけわかんない。
俺は金入りの封筒が入っているボディバックに触れ、これで終いだからと自分に言い聞かせる。それから俺は家族が待つ病院の喫茶スペースへと歩き出す。
俺の歩き方がいつもより足の悪さを強調するのは、今回だけは心象風景を演じたかったからだ。決して敵を油断させるいつものでは無い。
あいつらは、母は、小者だ。
「晴純、こっちだ」
喫茶スペースは入院患者と面会人が歓談するだけでなく、研修医や看護師が休憩に使って居たりと誰でも使えるようになっており、小さなファミレスの広さぐらいある。ソファ席と四角いテーブルという点もファミレスっぽい。
佐和子叔母が俺と祖母に薦めたのがここで、俺が最初に入った売店でお茶とお菓子でも買ってそこでゆっくり話しておいで、という意味だった。
俺は父の声に振り返り、母と蒼星、それから単身赴任中の父の三人が座るシートへと向かって歩く。
もちろん母の隣は蒼星なので、俺は父の隣に座る。
彼女は自分の隣が特等席だと思っているのだ。笑えるな。
「悪い、待たせた」
父は単身赴任のせいか衣服がヨレっとしていて、本人の中肉中背のあまりぱっとしない外見も相まって、実年齢よりも老けて見えた。
そんな彼は数か月ぶりの俺に対し、笑顔を作って俺に何かを言――。
「なかなか会えないお父さんの方を優先するべきなのに。昨日だって水族館に一人で行ったのよ。こっちで一人になった弟が可哀想だと思わないのかしら」
「いいよ。佐和子も母さんも晴純に良くして貰ったって喜んでいたじゃないか。あの日は蒼星が遊びに行っていて、晴純が一人で父さんの手術の付添いしてくれたんだろ。昨日はその逆ってことで良いじゃないか」
「遊びに、だなんて。せっかく大阪に来たんだから遊びに行ってきなさいって当たりまえでしょう。私達はお父さんがあんなになっているとは思っていなかったんだから。知らないまま晴純と見舞いに行って、私は一方的に責められたの」
「――俺も知らなかったよ。でもさ、普通は滅多に会えない祖父の見舞いだったら、俺と晴純の二人を連れて行くもんじゃないの?」
俺が到着した途端に、俺は別にいらないんじゃね? という会話を始めた蒲生家を、いや母がか、俺はうんざりと見つめる。
三人の前には紙コップの飲み物が置いてある。
俺も売店でコーヒ―でも買って来れば良かったな。
そう思いながら鞄からペットボトルの飲み物を二本取り出し、一本を蒼星に向かって投げ渡した。
「うわ、と、何?」
「悠からお前へ。あいつの好きなアニメのコンビニコラボ商品。さんざんに呆れ返ってくれたまえ、がメッセージだ」
「うっそ。悠さんが俺に?東壊浪譚のユッコだ。一番人気のキャラじゃない。やった」
「お前も好きか」
「――悠さんが言ってた。仲間作りに困ったら、まず流行を追えって。新作のドラマやアニメ、それからよく流れる音楽。それを知ってれば共通の話題で喋れるよって。それで東壊浪譚を薦められた。三話まで無料で見れるサイト教えて貰ってね、俺も嵌ったみたい」
「あいつは東壊浪譚の広報担当か」
「推し活っていうんだよ」
俺はミミの絵柄のペットボトルの蓋を開け、甘ったるいソーダを一口飲む。
マジ甘い。蒼星にじゃなく、俺が悠に呆れ返ったよ。
「悠さんはこうして俺と晴純との会話を作ってくれた」
悠め。蒲生家には八話を変える必要は無いんだよ。
俺は悠のせいで気が少し緩み、蒼星に初めて冗談らしきものを言っていた。
「兄と呼ばない弟はいらないがな」
「晴純、それって――東か」
「兄と呼びたくなることをあなたが一度もしたことが無かったからでしょう。何でもかんでも悪いことは私や蒼星のせいにして。私や蒼星があっちでどれだけ肩身の悪い思いをしていると思っているの」
「あっちでもそうなのか」
「そうよ。佐和子さんにした事と同じことをしたの。私が言ってもいないことを言い出して、私は物凄い鬼母よ。大体あなたこそそんな事を望んではいないでしょう。晴純と住むなんてことは、絶対に!!」
「ああそうだ。俺がそんなことを思うわけ無いだろう。どういうことだ、晴純」
俺は母の性格の悪さに、いや、やり方に、今回ばかりは興味を引かれた。




