ここにおわすは無能な働き者
俺を桑井の教授室まで連れて来た新田がどうなっていたかというと、満身創痍の虫の息の姿で、なぜか教授室から離れた階段の下で見つかっている。
俺を教授室に放り込んだ途端に階段へと走りだし、足を踏み外してのその結果らしいが、院内カメラに映っていない何が彼に襲い掛かったんだろうね。
新田の右手の指はぜんぶ、後遺症が確実な折れ方をしていた、そうだ。
道中に俺にあれやこれやをした天罰なのかなって思うと、怖いね。
しかしそこは病院。
新田は死ぬ事は無く、数時間後には警察の病院に移送された。
尋問官(拷問官の間違いじゃね)な鹿角に後で聞いた話によると、新田の犯罪動機は、外科医たる自分は手術をしたかった、それだけだったそうだ。
外科医たるものたくさんの手術をして腕を磨くのは当たり前かもしれないが、その練習台となる患者側としては、練習台にするんじゃねえ、である。
しかし真の外科医(この時点で意味不明)になりたかった新田は、桑井によって手術室から干されたのは死活問題この上なく、また桑井の影響力で他の病院にアルバイトに出る事も難しい状況だった。
それで現状について桑井が望むように精進するどころか、桑井を憎み彼を潰すことを計画したのである。
まず、腐った新田は勤務先である医療センターを休み、大阪が駄目ならば東京と、東京近県でアルバイト医師をしていた。
そこで俺の祖父に出会った。
新田は祖父のMRIの結果を見て、脳にメスが入れられると喜んだ。
しかしアルバイト先の病院では脳神経の手術など行える設備は無く、また、祖父に付き添っていた孫が手術は祥鳳医療センターへの拓海だと言い張った。
圭祐が新田の名前をちゃんと覚えていたのは、この時にかなり新田と押し問答をしていたからだと思われる。思い出したが圭祐は、気になった事に関して理詰めで相手を責める人だった。まさに俺の従兄だよ。
さて、圭祐と拓海の壁を知った新田は、そこで俺達の祖父への執刀を諦めるどころか一計を企てたのである。
俺達の祖父を大阪に呼んで、そこで自分が執刀医になれば良い。
本人に承諾書を書かせて親族の了承を得ておけば、病院側は患者の意思通りにせざるを得ないはずだ。
拓海を大阪に呼んだのもその計画の一環、ではなく、そこは拓海に動かれて自分の望みが不発に終わったのだ。俺は祖父の悪運の強さを喜ぶべきか、俺と大阪旅行がしたいだけで動いた拓海に呆れ返るべきか。
本当に、行動の結果が全部裏目に出た新田は、無能の働き者と言う言葉そのものだね。その無能の働き者は、さらにもっと無駄な動きをしていたのだから。
彼は認知症の改善のための脳手術の周知と、実験台の勧誘もしていたのである。
実際に執刀までしてしまったのは恐ろしいことだ。
十七日に亡くなった竹ノ内正治さんが、その新田による手術の被害者となる。
彼の脳に寄生虫がいた事で、彼が亡くなる前に起こした異常行動が脳の外科手術の結果だったとは誰も見なかった。
それは、亡くなられた竹ノ内正治さんが祖父の将棋友達だった事も関係ある。
蒲生さんとこのお祖父さんと同じ病気かあ、それで終わったのだ。
「新田は変に運がいいのに本気で大間抜け。あいつは人の脳開けて何したんだ?開けたんなら虫こそ取って置けよ」
フロアの片隅に置いてあるベンチに俺は座り、コーラ片手にジンベイザメを仰ぎ見ながら虫食いだらけの真実に思いを馳せる。
美奈が町おこしで配っていたブラウニーには虫の汚染など無かった。
よって、本日ニュースによって従兄姉が住む街が騒ぎになることは無い。
これは良かったが、すると御厨とケクラン一味、そして祖父達の虫がどこから来たのかという話になる。
「祖父ちゃんたち、どこで何を食べたのさ。ああ。穴ばっか。ぼこぼこぼこぼこ際限なくて、気持ちが悪い。あああ、もうどっから手を付けるべきか」
「まずは俺達と楽しむべきじゃない?」
悠が俺の肩に自分の肩をぶつけた。
少々どころか俺が横に転がりそうだったので、かなりの鬱憤を込めたのだろう。
「悪い。心の洗濯してんだけどさ、洗濯はまず汚れを浮き上がらせてからだろ。ぶくぶくぶくぶく湧いて出て、もうどうしていいんだか」
「――うん。お母さんのことは辛いよね」
俺は母親のことなんか忘れていたなあ、とぼんやり考えた。
どうして忘れていたのかは、……彼女に俺が期待する事を止めたからだ。
決して望むものは返って来ない、それを受け入れたからだ。
「悠、実は母のことは辛くない。奴の行動が邪魔だなって思うくらいで、今の俺は奴のことなんかどうでもいいんだ」
「はれ」
「君がいるから」
俺は悠を見ずにジンベイザメだけを見つめて、言えなかった台詞を続ける。
「昨日の君は恰好良かった。だけど、君が死んだらと考えたら、俺は死にそうになった」
「俺のいつもの気持を分かってくれて嬉しいよ」
俺は悠へと振り返る。
悠はいつもの笑顔で俺を待っていた。
「悠。僕でお願いする。僕と自称する良い奴が本当は怖い奴って、そういう設定は大事にしようよ」
「俺が君には素が出せるって喜んでくれるどころか、設定?君は中二病すぎねえ」
「その喋りも、だあめ。俺とキャラ被るじゃない」
「じゃあ君が、僕と自称する良い奴でも本当は怖い奴、になりなよ」
俺はアハハと笑ってから、小首をかしげて悠を見つめた。
アングラ劇団の座長兼演出をしていた藤と編み出したここぞの顔だ。
俺の額は光の当たり具合で角の様な影が出来る。
それを利用した、悪い顔、である。
「はれすみ」
「演じる必要無いからさ。それじゃ詰まんないだろ?」
結果、悠という観客から返って来たのは、腹を抱えた爆笑である。
悠は俺が完全なる中二病だと笑い、俺はそんな悠を黙らせるために自分が持っていたコーラの紙コップを悠の口元に押し当てる。
その瞬間カメラのシャッター音が響いた。
驚いた俺達が見返せば、有咲である。
彼女は俺と悠の姿が映ったスマホを俺達に翳して見せびらかす。
その画像はなんかのBLの表紙みたいで、また、俺が悠に迫り悠が頬を赤らめて照れているという図は、別の状況を俺に想起させた。
俺はスマホを取り出し、有咲に差し出す。
「その画像くれ。まるで俺が悠に迫るキャバ嬢みたいで面白いからさ。悠も今度から強面キャラに変えるなら丁度いいよね。ヤクザとキャバ嬢!!」
「もう!!わかったから、僕言うから晴はもうやめてよって、どこに送るの」
「やっばいお兄さんのとこ」
鹿角は俺からのメッセージを受け取って動くだろう。
美奈達四人の誰かが、確実に竹ノ内正治の孫が、ガールズバーやキャバクラに勤めていたか、それよりずっと悪く、パパ活みたいなことをしていたか否か。
魚じゃない限り御厨は絶対に陸に上がっていたはずで、その時に出会った女性を自分の船に乗せて、もしかしたら親交があったケクランの船に連れて行ったことだってあるかもしれない。
ケクランの乱痴気パーティに参加して、虫入りの生ハムとか食べたとか?
もしかしたら土産で料理を持ち帰り、彼女の祖父はそれを友人との酒の肴に?
圭祐が参加賞と揶揄した通り、美奈達は商店の看板娘と評される程度の外見だ。
だが、少女趣味の人間には好まれるような童顔と体形でもあるのだ。
これで寄生虫がどこから来たかの穴が埋まると良いな、ってもうすぐ三時か。
おやつ、の時間だ。
梟がおやつを食べていいのか知らないが。
「悠、ちょっとトイレ」
「晴純?付いて行こうか?」
「止めて。有咲と夏南の視線が痛いよ」
「だから君に付いて行きたいんだけど?」
「母さんを見かけたから、ちょっと言いたいことを言うだけ。十五分で戻らなかったら、館内放送かけて良いから」
「館内放送?」
「あ、友達が呼んでる、ですぐに逃げられそう」
「迷子ってちゃんと放送して貰うからね」
「いいよ。その前に戻るから。でも戻らなかったら頼んだよ」
俺はよろよろとした歩き方でジンベイザメコーナーを出ると、手近にあるはずの関係者以外立ち入り禁止の扉を探し、その扉の内側へとするっと潜った。




