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凡人である故の自負と責任

 俺は新田に教授室に放り込まれた。

 その瞬間俺は次に起こるかもしれない惨劇を考えて両目を瞑ったが、鹿角が考えていたような仕掛けは存在しなかったようだ。


 良かったあああああ。


 不可抗力でも、自分の出現で誰かが死ぬのはきっつ過ぎる。


 俺は安堵の溜息を吐きながら顔を上げる。

 桑井教授の部屋に桑井教授がいるのは当たり前だが、彼が椅子に縛り付けられているのは当たり前ではない。


 それも単にロープか何かで縛り付けられているのではない。

 ピアノ線か釣り糸を使い、まるで蜘蛛の巣に嵌った人のようにして、桑井の体はぐるぐるに糸が巻きつけられているという状況だ。


 俺は桑井をこんな状況にし、俺をこの部屋に連れ込んだ新田へと振り返ることなく、とにかく桑井教授の元へと急いだ。

 自分の足が床の糸に引っかからないように、それは慎重にして、急いだ、だが。


 俺と鹿角が新田の好きにさせたのは、桑井を助ける目的でこの部屋の扉を開けた時に、桑井の体がバラバラにされる仕掛けが発動したら怖いからだ。


 だから俺達は、賭けた。


 新田はきっと俺と桑井に一説ぶちたいだろうし、助けてくれと新田に懇願する桑井の姿が見たいだろうから、新田が扉を開けた場合は桑井の命はあるだろうと。


 新田の計画は、俺に桑井殺しの罪を着せるつもりだったからこそ、己のしたことを俺に見せつけるつもりだった。そして桑井を殺した後は、処分せねばならないサイコパスな中学生として、俺を殺してお終い、だったのだろう。


 何たる稚拙。

 桑井教授が新田の出来の悪さに悲観して、彼を手術室から追い出したくなった気持がよくわかる。


 それにしても、と、俺は今度は安堵ではない吐息を吐いた。

 この先を思っての、緊張を解きほぐすための溜息だ。

 まだまだ桑井は危険だが、彼の体のどこもまだ糸で切られていない。

 彼の人を助ける指は全部無事だ。

 今のところは。


 糸きりを失敗したら、今までの無事が全部台無しになるんだよなあ。


 そして、桑井を助けるにあたって、普通の人間と違ってこれ以上の傷は、特に指に関してはつけてはいけない。

 彼の指の喪失は、イコール素晴らしき脳神経外科医の喪失である。


 ああ、これには協力が必要だ。

 俺は絶対に動くなと願いながら、桑井に声をかける。


「動かないで。絶対に今の状態が辛くとも動かないでください。絶対に助けます」


 お願い、頼むよ。

 さて、どんな糸の絡まり方と結び目はどうなっている?

 肉体の重さも考慮に入れた結び方か?

 単に計算も無くぐるぐるに結んだだけで、桑井の機転と気力でこれ以上の惨劇が起きない状態にとどめているのか?

 俺はとりあえず全貌の画像を撮り、アンリに送る。


「き、君は逃げなさい」


「あなたと一緒にね」


「に、逃げられる時に逃げなさい。新田は危険だ」


「ああ。彼はもう無力ですから心配しないで」


「無力?」


「彼はここの扉を開けさせるためにだけに泳がしてました。でなきゃ誰があんな小者になすがままかよ」


「君?新田は尋常じゃなかった。そんな相手に好きにさせたと?怪我はしていないか?」


「ご心配ありがとうございます。慣れてますんで大丈夫です。あと、奴が尋常じゃなかったのは見りゃわかりましたから、全然平気。ってか、彼は自論に固執し過ぎているし注意散漫で暴力的でしたが、それはもしかして、彼の頭の中にも虫がいるのかな。疳の虫って奴が」


「は、はは。確かな観察眼だ。彼が君みたいな生徒だったら私も何も言わなかっただろうにな。いや、それでもあの技術を磨かない愚鈍さは患者には危険すぎる」


「夢を見るだけのぼんくら。己の未熟さに気が付かない人に患者は渡せない。新田は憤慨してましたが、聞いた俺は感動しましたよ。祥鳳医大はあなたの真意を汲み取れない学生ばかりなんですか?祥鳳大学工学部もそんなとこだったら、俺はそんな場所の教授職なんかいらないな」


「ハハハ。君も拓海ぐらいに傲慢だな。私も一度くらい傲慢になりたいよ」


「あなたは傲慢で良いじゃ無いですか」


「なっては駄目だ。私は凡人だ。頭の中で出来る事と実際に指先が出来る事は違うのに、その頭の中だって天才と凡人は違うんだ。凡人が出来る事は、常に学ぶ、それしかない。医者は天才と馬鹿の紙一重なんか望んじゃいけない。天才じゃ無かったら秀才になるしか無いんだよ。それなの」


 俺は桑井教授の口元を押さえた。

 そして彼にだけ聞こえるように耳元に囁いた。


「ごめんさい。中継してます。先を聞きたい気持ちですが、この先はあなたの自己憐憫が強まりそうなので、いったんここでカットしてください」


「君は?」


「パズルゲームの挑戦者です。絶対に動かないでください」


「え?」


 俺は再び胡坐になると、教授を戒める糸の本数や交差の状況、それから糸それぞれに掛かっている力を計算し始めた。

 計算と言っても概算でしかなく、目視で大体の目算を出した後にデータの一つとしてアンリに送るのだ。


 最初から最後までアンリに計算させる方が早いだろうが、それと俺の概算データの齟齬から計算し直す方が教授の指への安全性は高まる。

 情報は多いほど確実を導き出せるのだ。

 また、AIは方向性と条件などの情報の導きがあってこそ動き学習する。


「――私もパズル解析に参加していいかな?」


 俺の隣に鹿角がしゃがみこみ、俺がしたように糸の解析をし始めた。

 情報は多いほど良いが、鹿角はそのために自分も俺と同じことをしているのではなく、単にパズル解析が好きなだけではないだろうか。


 俺が新田にぶちのめされている時も助けてくれなかったし。


 まあ、あそこで新田を逮捕する事など出来なかった。

 既に桑井教授の状態を知っている鹿角としては、ヘタに新田が閉じた扉を開けて桑井教授をバラバラにしてしまう失態はなんとしても避けたかったはずだ。


 だから、俺を一人で行かせた。

 俺は横の鹿角を見つめ、横顔が怖いと視線を糸へと戻した。

 決して戸口など見ない。

 鹿角が新田に何をしたのかなど、精神衛生上見るべきではない。


 さて、俺は一瞬別のものを見たせいか、蜘蛛の巣上の糸が別のものに見えた。

 なんだろう。

 拓海の部屋を片付けている時に見たことあるような。


 俺のスマホが震えた。

 アンリの返信かとスマホを取り出すと、画面に表示されているのは拓海の名前である。


「もし」


「大脳皮質の神経細胞と局所神経回路の概略図を模したものだよ、それ」


「え?だいのうひしつ?きょくしょ神経?え?」


「それで、桑井先生を錐体細胞に見立てているのかな。糸の群体は局所神経回路として考えて、う~ん、どこから取り除いて行けばいいのかな。ハハ、それっぽいけど完全に正確じゃないからわかんないな」


 わかんないか、でも素人の俺には完全にもっとわかんないよな。

 そしてアンリからの返答が遅いのは、画像に映っていない糸の存在を補完するパターンがきっと幾億もあって処理に困っているのであろう。


 いや、アンリだったら、そんなもん考えずに切っちまえ、だな。

 だからまだ無言?


 俺は両目を瞑って深呼吸して自分を落ち着けると、拓海が俺にいつも望んでいることを実行することにした。


「亮さん、こっちに来て俺を助けて!!わかんなくてもいいから!!」


「まかせて!!」


 スマホを切り、何事も無い顔でスマホを片す。

 頬に視線を感じるが、俺は気が付かないことにした。


「君は人に頼りたくないのか全部ぶっ被せたいのか、どっちなんだ?」


「俺は楽な道を歩きたいだけですよ」


 一人で動いてなんかあっても、今日の悠に思うみたいな気持ちになるよりも俺がずっと楽だからだよ。

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