相談その三 トラウマは心の奥にだけあって欲しい
祖父は手術準備室。
祖父がいない個室では、蒲生家の女達が舌戦を繰り広げていた。
主に、佐和子叔母と我が母だけであるが。
母は佐和子叔母の息子が高校中退であることを攻撃材料にしたばかりか、彼の進学先の大学についても就職が望めない場所と馬鹿にした。
そこで、俺こそ我慢できなくなったと、口を挟む。
「たぶん、何の特技も無く大学名だけな人間よりも就職は大丈夫だと思う」
俺は従兄の圭祐さんに俺の余波関係ないことにほっと安堵していた。
だが今は俺のせいで圭祐さんが母に侮辱される流れになっており、結局自分のせいでとここにいない圭祐さんに罪悪感が湧いたのだ。結果、自分で燃やした母と叔母の諍いの炎に水をかけてしまっていた。
思い返してみれば、圭祐さんもその妹の美奈さんも、俺に攻撃なんか一度もして来たことのない人達だった。挨拶だけの関係と言えばそうなんだけど、ね。
「それよりも叔母さん。認定試験取ったなんて圭祐さん凄いね。僕はこの足だし、お母さんに高校は無理だって言われているから、あとで詳しく教えてね」
「どういうこと?」
「俺には普通は無理だから、俺は大阪で父さんの身の回りのことをしろって。俺は友達と同じ高校行きたいけど、馬鹿な俺には無理だって」
「ひっど。何それ。叔母さんがそんなことさせないし、そんな事に兄さんが乗り気だったらぶっ飛ばすから、あなたは安心して受験勉強しなさい」
俺は、心の中で勝利の雄叫びを上げたが、見た目は叔母に感動している風にしてコクリと頷くだけに留めた。
鹿角、含み笑いが煩い。
さて、思わぬ俺の援軍となってくれた叔母は、俺の台詞で自分と自分の息子を馬鹿にしてきた女のダブルスタンダードに気が付いたのか、俺の母へと冷たい視線を向ける。
そして俺の母は、もちろん自分を貶めた俺を睨みつける。
そこで俺は誰も睨んでいない人へと逃げた。
あいつが俺と蒼星から祖父母を遠ざけてきた理由が、自分の支配力が弱まることを恐れてのことならば、俺はその思惑をしっかりと踏みにじる。
「お祖母ちゃんさ、ちゃんと休んでる?」
「何を、晴純?」
「あのね、お祖父ちゃんの看護でお祖母ちゃん寝ていなかったかなって、急に思った。あと叔母さんも。俺が待機室で手術終るの待つから、叔母さんとお祖母ちゃんはお祖父ちゃんのベッドで横になってて。終わったら俺が呼びに来る」
「晴純?」
「良いの?」
「もちろん。で、母さんは、どうする?」
なぜか自分を良妻賢母と思っている母だ。自分こそ残ると答えたら困ると尋ねた瞬間思ったが、母は俺が思っている以上に自分の感情を大事にする人だった。
「私がいるとかえって迷惑そうだからお父さんの所に行くわ」
叔母と祖母の顔が曇ったのは、父が母に何を吹き込まれるのか不安になったのだろうか。
俺には愚鈍で人の気持がわからない父だが、母と結婚する前はどうだったのか。
それは父が祖父の見舞いに姿を見せた時に観察してみれば良い。
母が病室から姿を消し、今まで満足に寝ていなかった祖母と叔母が祖父のベッドで横になった後は、俺は鹿角を連れて親族待機室へと向かった。
俺は待機室のベンチに腰かけると、当り前のように隣に座って来た男に八つ当たりめいた恨み言を呟いていた。
「トラウマはトラウマだからトラウマでいられるんだよ」
「悪いね。ケクランに実行部隊として雇われていた人間が行方知れずだ。ジェレミア・ドゥーニ。彼はイタリア空軍の特殊部隊出身の傭兵だ。状況が見えるまで君を警護させてもらう」
「アンリが逃したのならば、凄腕の傭兵なのですね」
「アンリがホテルの部屋に閉じ込めてくれていたのに、部屋から引き出す役目の警官が取り逃がしてしまっただけだ。本国で特殊部隊員だった男だからというわけではない。ケクランの為に通訳と弁護士まで用意しての大騒ぎしていれば、捕まりたくない人間は逃げるというだけだ」
「ありゃ。それで悠達はテーマパーク行きだけど、あっちは大丈夫ですか?」
「場合によっては人混みが有利に働く。それよりも君に聞きたい事がある」
鹿角は背広のポケットから証拠品袋らしいビニール袋を取り出し、それを俺に手渡して来た。袋の中には子供の手の平サイズの紙の箱が入っている。箱の上部には店名が書かれており、白地に紺色で連続草花模様が装飾されているものだ。
まちカンパにぃ?どこの菓子屋だ?
「なにこれ?」
「ビニールは絶対に開けないで。箱の中は半生のチョコブラウニーが一つだけ入っているものだ。知っている?食べた事は?」
「いいえ?」
俺の返事に鹿角はあからさまに安堵の溜息を吐いた。
俺は自分が掴む証拠品袋に対し、薄気味悪さばかりが募って行く。
「ケクランは本日の朝五時に死亡した」
「どうして」
「留置場にて突然のけいれんの後に意識障害に陥り、すぐに病院に搬送されたが、そのまま意識を取り戻すことなく亡くなった。解剖結果、寄生虫だった」
「寄生虫?」
「そうだ。拓海教授が御厨に執刀する予定だったのは、それで、だよ。御厨も脳内に寄生虫がいた。通常は薬で虫を殺せるが、虫が作る嚢胞が多すぎたり逆に一つしかないと外的処置の方が有効手段らしいね」
俺は掴んでいたビニール袋を落とした。
俺に鹿角が渡した証拠品だという事は、俺が持たされた袋の中身は寄生虫で汚染されているはずのものなのだ。
「こ、こここんなの見た事ないし」
「君のお祖父さんの病名は聞いたかな」
「まさか?」
「御厨と同じ脳に寄生虫が入り込んだ神経嚢虫症だ。君のお祖父さんが感染したのはそのブラウニーが原因と見られているが、海の上だったケクランと御厨がそれを食べたとは考えられない。私はその不思議を解きたいんだ」
「――もしかして、逃げた傭兵も、感染者?」
「十中八九。彼もケクランと同じく虫に汚染されていると見てよい。彼がケクランと同じ末路を辿る前に、どういった経路で感染したのか確認せねばならない」
「普通に生豚肉とか食べちゃいけない魚や貝とか食べたんじゃない?」
「御厨と君のお祖父さんは繋がりなど無い。それなのに感染の時期が同じで発症時期が同じ。ウィルスなどの病気では当たり前だが、病原が虫だ。もし、殺人用に改良されている寄生虫が出回っていると考えたら、これはとっても恐ろしいテロ行為だと思わないかな」
鹿角は俺に画面が見えるようにスマートフォンを差し出す。
俺はその画面を見て、胃がキリキリと痛んだ。
フリル付きのエプロンに二つ髷に飾りをいっぱいつけた女の子四人が、俺の膝の上の箱入りブラウニーを笑顔いっぱいで人々に手渡している画像である。
四人の中の一人は、俺の従姉の美奈さんだ。
「ええと、これは学祭?でも張戸観光大使ってタスキを掛けてる?」
「フリーマーケット。NPO団体まちカンパにぃ主催のもので、地元を盛り上げる目的として今年の四月に開催されたものだった」
「よく、実物が残っていましたね」
「孫から貰ったものは捨てられない。そんな老人の習性が今回助けになった」
「祖父の持ち物ですか?」
「女の子は四人だ。君の従姉以外の三人にも祖父母がいる」
「――ケクランみたく亡くなった方が、」
「残念ながら。被害者は八十二歳の男性。七月十七日に混乱状態で刃物を振り回し、制圧時に意識消失のその後死亡。圧迫死と見られたが、解剖結果、寄生虫の脳への迷入によるものだった。そのブラウニーは、その方の家の食糧庫に山積みになっていたものの一つだ。原因として確定では無いが、今のところはそれが汚染されているものとして可能性が高い」
「ニュースには?」
「なっていないが、明日にはニュースとなって全国で流れる」
「地元は寄生虫祭となって、俺の従姉を含んだフリーマーケット主催者達が魔女狩りの標的となるってことですね」
「ドゥーニを捕らえて別ルートを見つけられたとしても、騒ぎは免れないね」
「それでも美奈さん達だけのせいだってことにならない方が良いです。囮になりますから、ちゃんとドゥーニを捕まえて下さいね」
「かしこまりました」
鹿角は俺の膝の上のビニール袋を取り上げそれを背広のポケットへと片付けたが、わざわざ背広の中で吊っている銃のホルスターを俺に見せつけてくるあたり、本当にいけ好かない奴である。
「中坊男児に魅力振りまいても誰得ですか?って奴ですよ」
「そんなことなんかしてない!!」
鹿角は彼にしてははすっぱな声を出した。
俺はそれに満足しながら、俺こそ自分のスマートフォンを取り出した。
俺がするのはアンリへの連絡ではない。
拓海の敵の動向ならば全部知っている兵頭に、どうして祖父が拓海のいる祥鳳医療センターではなく祥鳳「大阪」医療センターで執刀してもらう事になったのか知りたい、とメールしただけだ。




