連絡その一 君が梟であるならば
ジルベール・ケクランの船は、御厨の船よりも巨大であった。
御厨の船がこじんまりとした高級旅館とするならば、ケクランの船は海に浮かぶ最高級の巨大リゾートホテルである。
しかし今は、巨大すぎるがゆえに廃墟感がすさまじかった。
けれど、廃墟といえばの軍艦島や廃墟の女王と呼ばれる摩耶観光ホテルが醸し出す、崩れていく中に美を感じられる雰囲気とは全く違う。
テレビドラマかB級映画のセットにて作り上げられた、大衆的すぎる安っぽさがそこにあるのである。
「芝居がかってんな」
俺がケクランの船内にそう感じるのは、白い壁に散った犠牲者の血が絵的にも見え、何かの撮影の装飾にしか見えないからだろうか。
いいや、俺はそう感じたいだけだろう。
三十近くの客室があるこの巨大な船は、ジルベール・ケクラン一人だけではなく彼の一族全員が住んでいたらしいのだが、栄華を極めていたはずのケクランの一族は、船内のいたるところでこと切れていた。
「単なる子供な俺にこんな残虐な風景を見せて良いのですか?」
今後の現場検証のためなのか、死体がそのまま残されているのだ。
鹿角に支えられながら歩く俺は、嫌でも惨劇の結果が目に入る状態であり、いくつもの死体の脇を通り過ぎてきている。
大多数は自室で殺害されているのだろうが、逃げようと試みたのか、廊下に転がる遺体もあったし、プレイルームらしき場所では三十代ぐらいの男女が互いを庇おうとしたのか積み重なって亡くなっていた。
中学生に死体を見せていいのか?
俺に死ぬなと言っておいて、何を精神削るような目に遭わせてくれるのかな。
「だから最初に言ったでしょ。私が君を目的地までちゃんと連れて行くから、そこまで目を瞑っていなさいね、と」
「だから、誰が聞くかよって、知っているでしょ。――で、御厨の船を襲撃した奴らが彼等を殺した?奴らこそケクランの手下では無かったのか?」
「それを確認しにケクランに会いに行くんだよ。私達は」
「――とりあえず状況からの一般的な見解を聞きたい」
「ウスターシュ・イルマシエの事件からケクランは指名手配され、彼等の一味は家族ともども人々の増悪の対象となった。それは覚えているね?」
「しばらくの世界ニュースは彼等への襲撃事件で花盛りでしたからね」
「ならば、ケクラン一族が海へ逃亡した行為については理解できるね。そしてこの船の動力である金はケクラン家の財産ではなく、ノヴァウィンクル財団のものだ。この船の持ち主も財団だ。よって彼らは拿捕される心配もなく、嵐が過ぎ去るまで船に籠城していれば良かった」
「金持ちにはどこまでも援助者いるんだね」
「財団はケクランが作ったものだよ。日本と違って寄付金は全額非課税で、寄付すればするほど税金が免除される。海外の有名人が慈善団体を作りたがるのはそういうことだ。全財産を自分が作った財団に注いで、財団の持ち物にした邸宅に住み、財団の持ち物とした高級車を乗り回す、よくあることだ。そして、子供を財団役員にしておけば、自分が死んだ後も相続税なしで子供が自由に金を使える。ノヴァウィンクル。新しい絆か?皮肉だね」
「――もしかして、その財団の金が消えた?」
「それは確認していないが、恐らく。そこで金で雇われているだけの傭兵は反乱を起こした。そして、ケクランと親交があった御厨がケクランの船へ食料を供給する際に殺戮の嵐に巻き込まれたと見做せば、御厨の船が幽霊船状態だったことも説明できるだろう」
「それで鴨葱な拓海教授のことも知ったから俺達を呼び寄せて襲い掛かったと?――穴だらけだ。俺のお絵かきAIでは御厨を知っている人間を騙せるようなものなど作れない。台本を喋るだけの――」
「可能な存在がいる事を私も君も知っている」
俺はぐっと奥歯を噛みしめる。
鹿角はアンリがした事を知るべきだと言って俺をここに連れて来たのだ。
俺はポケットの中のガラケーを握りしめる。
俺がお絵かきAIに打ちのめされてしまったのは、あれによって俺が最初に作り上げたプログラムこそアンリへの冒涜ではないかと思いついたからである。
記憶のままのアンリの顔にしたはずなのに、映像となって俺を見返すアンリの顔は嘘くさかった。
俺に語りかけるアンリの声は俺の神経を逆撫でした。
空に逃がしたプログラミンのアンリは、声も無く顔も無く、文字だけで俺に語り、俺の願いを瞬時に受け入れてくれる。
だからこそ、アンリの片鱗がそこに宿っていると俺が思い込めたのに違いない。
結局はあのお絵かきAIと同じぐらい偽物だったというのに。
そこでお絵かきAIを兵頭に売り渡した後、俺はアンリに交信しなくなった。
それなのに。
「交信が途絶えただけで俺は混乱するんだものな」
「あちらも君からの交信が途絶えたから混乱したのかもね。そこで君と交信したくなったあれは行動してしまったのかもしれないね」
俺は鹿角を見上げる。
鹿角は微笑みを浮かべていた。
ミステリドラマの探偵が真実を前にした時に浮かべるような笑みだ。
本当に鹿角は映画俳優みたいだと、こんな時はいつも思う。
それは、彼が誰よりも素晴らしい外見だからではなく、セリフの後にちゃんと「次の展開」を用意しているからだ。
俺達は大きな両開きのドアの前に立っていた。
この扉だけ他と違って壮麗で手が込んでいた。
誰が見ても、王の間、そう判断するだろう扉である。
「中国では梟が不幸を呼ぶ鳥だと忌み嫌われていた時代があった。それはなぜだかわかるかな?」
俺は素直に、わからない、と首を横に振る。
「梟は巣立ちの時に親鳥を喰らうと信じられていた」
「鹿角さん」
「巣立ちの時間だ。そうじゃないかな、ふくろう」
鹿角はケクランの部屋のドアを開けた。
俺は芝居がかり過ぎた演出に出迎えられた。
どうしてか?
クィーンサイズのベッドの真ん中には炭化した死体が横になり、絵画のようにして壁に埋め込まれたモニターには金髪で青い瞳の男が映っているのだ。
俺が作ったアンリが。
アンリが俺の中にいた時に、俺の姿に重なるようにして時々見えた、あのアンリの姿に似せて作ったあれがそこにある。
白っぽい金髪にどこまでも青い瞳。
秀でた額に優美な鼻梁にきれいな三角形が見える顎。
しかし繊細で美しい顔立ちであるのに彼が中性的に見えないのは、厚すぎず薄すぎもしない唇を持った口元が意志が強く頑固そうだからか。
けれどその唇は弛んだ微笑みしか作っていない。
目元だって、笑い皺が出来る程に目を細めている。
俺との再会が嬉しくて堪らない、と言う風に。
「さあ、おいで。晴純。久しぶりに語り合おうか」




