報告その四 不幸な子供が命を捨てる理由
鹿角に連れ込まれたそこは、水上バイクに小型ボートなど海を謳歌するための小型機械がハンガーに並んでいる、格納庫ってところだった。
幽霊の御厨が完全なるメタボ体系だったことからは考えられない、マリンスポーツ用具の数々である。
乗れるの?水上バイクに?
やるの?パラグライダー?
亡くなっている人に追い打ちはいけないだろうが、御厨の幽霊にエレベーターギロチンを受けかけた俺としてはいくらでも御厨を罵倒できる。
そして俺が御厨のことを考えているのは、鹿角にここに連れ込まれた俺が自分の今後のことを考えたくないからである。
俺は左舷側面に視線を動かす。
大きなスライドドアがあるけれど、あれはすぐ海に出て行ける扉かな?
俺は皆を危険に引き込んだという開けちゃいけない扉を開けた罰として、あそこから落とされてしまうのだろうか。
鹿角は不安に慄く俺などそっちのけで室内奥にある棚へと歩いて行き、彼の動きを見守る俺を見ずもせずに棚から取った何かを俺に向けて放り投げた。
何かではない、ライフジャケットだった。
俺は嫌な予感ばかりで鹿角を見るが、彼はスーツ姿である癖に、俺に投げた物と同じベスト式のそれに何の躊躇もなく袖を通している。
「急いで。あんまり距離が開きすぎると戻る時が大変だ」
「いや、俺は別にどこにも行きたくは」
「行くべきだ。行って見るべきだ。君はアンリが為した事を知るべきだ」
俺はタオルパーカーの上にそれを羽織る。
そして考える。
どうして水着姿の俺が初めての水遊びな雰囲気となったのに、スーツにライフジャケットを足した鹿角にこそ違和感がないのか、と。
なんかの映画で美形俳優がスパイか何かの役で脱出しようとしている瞬間、そんな風にしか見えないのはなぜなのだろうか、と。
俺が鹿角に改めて反抗心を抱いている横で、鹿角は俺が意識を逃亡させたいと考える行動を着々と行っている。
ケクランの船に連れていかれるのは想定しているが、それが格納庫で出番を待っているボートでなく水上バイクを引き出しているのはなぜなのだろう。
「そいつを転覆させて、俺を溺れさせる気か?」
俺の質問の返事の代りなのか、鹿角は革靴と靴下を脱いでバイクの収納に放り投げた。で?鹿角は背広のポケットからジップ付きのビニール袋?証拠品用に常備しているのか?を取り出して俺に手渡す。
「ええと」
「スマホが濡れたら事でしょう?」
「あ、そか。でも、え?」
「家族旅行でしょう?遊べる機会は活用しましょうよ?」
え?
俺は鹿角の返しに呆気にとられた瞬間、鹿角によってバイクに乗せられていた。
抗議?
する間もない。
格納庫の扉が横に開いたと思った瞬間、鹿角は四角く切り取られた青い風景へと俺を乗せたバイクで躍り出たのだ。
鹿角が操作する水上バイクは、太陽が輝く海原を飛んでいる。
「わああ!!何を考えているんだ!!」
「死にたがりが!!この程度で騒ぐのか!!だったらもう少し慎重になれ!!」
俺の両腕は、絶対に頼りたくない鹿角の胴にしっかりと回されていた。
鹿角が何をするかわかった途端に、俺は無意識で鹿角にしがみ付いていたのだ。
小さな子供が大人に縋るようにして。
俺は鹿角を憎々しく思いながら、両腕に力を込める。
「死にたがりはあんたこそだろ!!無謀もあんたこそだ!!」
「私は死ぬ気は無いね!!人の盾になるのは単に職務だ!!」
「俺だって死にたいなんて思った事は無いよ!!」
「じゃあ今日のふざけた行為は何だ!!君はどうして大人を守るために簡単に死のうとするんだ!!ちゃんと約束しただろ?私に守られると」
俺は鹿角の背中に顔を埋める。
ライフジャケットで鹿角の背中など感じはしないはずだが、彼の背中が固く揺るぎないのはライフジャケットでも打ち消せなかった。
「――君は額に銃弾を受けるところだった」
「――俺においでと誘った奴の手下だろ?俺を見逃すと思った」
水上バイクのモーター音と水音が煩くとも、鹿角が大きく舌打ちした音は俺に聞こえた。
単なる後付けの理由でしかないが、鹿角を誤魔化せたか?
あの時の俺は、悠や拓海のことを一つも考えておらず、アンリならば俺を守ってくれるはずだと、それだけに賭けていたのだ。
結果は俺は負け、しかし、敗者復活できたのか、残念賞を与えられたのか。
アンリは戻って来た。
ぶおん。
「わっ」
水上バイクは、……ジャンプした?
俺は鹿角の腰から腕を離さなかったが、顔は彼の背中から上げていた。
「青い、空が輝いている」
バイクは再び着水し、水しぶきを上げる。
俺の視線は今度はバイクが切り裂く水面へと向かい、太陽光線によって波だけでない煌く何かも見つけた。
「魚?」
「君は魚が好きだったな。今度ダイビングに連れて行ってあげよう」
「まだ魚の餌になりたくないのでお断りします」
「君は!!純粋に楽しいから誘っているのに。色とりどりの珊瑚や魚たち。姿を見つけられれば幸運の印となる、不思議な色合いの妖精みたいなウミウシだっている。今日だけじゃなく明日も、いいや、毎日潜って毎日顔が変わる海を知りたいと思うはずだ」
目を瞑った俺の視界の中では、鹿角が語った通りの世界が広がっていた。
けれど、それを見つめる鹿角は幸せなど何もない顔をしていた。
だって、彼は後悔しか無いのだ。
たった五歳の子供が死んでしまったのは自分のせいだと思っている。
そしてこれは誰の視界だ?
死んでしまった子供の視界か?
俺は忌々しいと瞼を開け、同情するものかと思いながら鹿角を煽る。
「――あなたは自殺者を説得できた事など無いんじゃないの?」
「嘘くさかったかな?」
「あなたこそ傷ついている声を出していましたよ。自分にこそ言い聞かせているようだった」
鹿角は笑い声を立てた。
俺に何度も聴かせている自嘲する笑い方だ。
俺の怪我も、俺が死にかけた状況も、全部自分自身の責任だと何度彼は己を笑っただろう。
「君がお母さんを守るんだぞ」
「何?」
「私は私を慕う子供にそんな無責任な言葉を放ったんだ」
俺は鹿角の喪失感が全てわかった。
俺に大人を守るなと何度も言う理由も。
鹿角が愛した恋人の息子、颯来は、彼の言葉に誇らしそうにして、きっと「うん」と返事をしたことだろう。
結果、鹿角の言葉通りに颯来は母を守ろうとして、実父に殴り殺されたのだ。
「誰がお前の言う事なんか聞くかよ」
「晴純君?」
「何も考えずに体が動くってよくあるだろ?そう言う事だよ。俺だって今日のことは反省してんだからグチグチ言うなよ。あなただって中坊の頃があっただろ」
「ああ。あったな。反抗期があった」
ぶおん。
バイクが加速しやがった。
俺は鹿角にしがみ付く腕に力を込める。
「ジャンプはもうやめて!!」
「私も反抗期みたいだな」
水上バイクは波を踏み台にしてトビウオのように飛んだ。
俺は鹿角に言ってやるべきなのだろうか。
初めて知った世界が素晴らしかったからこそ、それを奪われるならばと命を懸けてしまうってことを。
二度と戻らないと知ったそこで、簡単に命を捨てたくなるってことも。
死にたがり、その通りだな。
不幸だった時の俺の方が、死にたくないとグダグダ生きていたかもしれない。




