報告その二 ガラス越しの戦場
瀬戸内シージャック事件とは。
銃を乱射する主犯を警察の狙撃手が狙撃して事件は終結したが、犯人が死亡した事でその狙撃行為が「正当な理由に足るか」と警察官を追求し責め立てたりと、世論を騒がせた大事件である。
俺が人質だったら当時の警察官には感謝しかないだろうが、事件後に「見せしめ以外の何ものでもない行為」として警察を抗議する野党や識者がいたという。
そいつらこそ船に乗せ、当時の人質達と同じ状況を味合わせてやりたい、と今の俺は思う。
今の状況は、俺達の乗る御厨の船よりも巨大な敵船に接舷され、アサトライフルを持った敵兵が俺達を威圧しながら乗り込んで来ようとしているのだ。
「大丈夫です。船の主導権はこちらですから奴らの侵入に耐えることが出来ます。海保が到着するまで持ちこたえられれば勝利です」
「海保?海の警察官?ですか?」
「違いますって。海の警察官は水上警察。海の安全を守る海保には犯罪者の逮捕権はありません。今回は領海を越えそうなんで協力を願い出ました。奴らを領海内に引っ張ったそこで我々によって逮捕、ですね」
俺は波瀬に顔を向ける。
波瀬は俺の顔を見て笑いを堪えた顔をしたが、それは俺の表情が不穏なものになっていたからであろう。
「そっか。藤堂さんと近松さん、それから鈴木さんがいなかったのは、最初からこれを想定して動いていたからですね」
「違いますって。あの三人は反社の方々へのおもてなし要員として港に残り、海保連携は船内で御厨の遺体を発見した時に、ですね」
俺は笑顔を作って波瀬に見せつけた後、もう見るべきものも無いと立ち上がる。
ソファに座って俺達を見守っていた拓海と藤の隣に座るのではなく、海賊船に乗っている武装兵がこちらに銃を向けたからである。
ニーチェの深淵を覗く者では無いが、こちらが見えているならば相手だってこちらが見えているのである。
「晴純、座りなさい」
「おい!!ハレって」
「晴純君。身を、身を低くして」
だが俺は立ったままだ。
もう一人の兵も俺へと銃を向けた。
バラバラバラバラバラバラ。
頭上ではヘリコプターの羽ばたきの音がする。
「昔の海賊みたいに船から船へではなく、ヘリで甲板に降りる気ですね」
「あなた方はここを出てドアの向こうに避難してください。ここを破られてもしばらくは時間を稼げ――晴純君、何を!!」
俺は避難するどころか海賊船を睨んだままだった。
そして俺は右手を伸ばす。
俺達乗船者に、動くな、と言うだけの威圧行為をしている敵船の甲板上の武装兵達に対して威圧し返すかのようにして。
右手が握るのは、拓海先生の部屋のカギだ。
それは俺が帰りたい自宅のカギでもある。
鍵にはLEDの小さなライトのキーホルダーがぶら下っている。
目に刺さったら痛いぐらいの光源を放てる凶悪な奴だ。
俺はそれを敵の一人に向けたのだ。
アサルトライフルだったらついているかもしれない照準器に向けて。
「あぶない!!」
俺は波瀬によって床に押し付けられる。
同時にガラス窓にヒビが入る。
頭上では乾いた破裂音が次々と鳴り響く。
「無茶をして!!」
「だって日本の警察官は、相手が撃って来るまでやり返せないじゃないですか!!相手が撃ち込んで来た弾丸が死を予感するものだと確信した時点で撃ち返せって、なんのシバリプレイですか?」
俺を床に転がして被さっている警察官は、ハハっと軽く笑い声をあげる。
外では銃撃戦らしき雨音が続いている。
「ほんっとうに悪い子だ。俺達を煽りやがって」
彼は俺から少々身を持ち上げ、自分のホルスターから銃を取り出した。
それから俺をいささか適当にソファの方へと転がすと、彼こそいつでも応戦できるように銃を構えて窓の外を覗う。
彼はもう一つ何かを背広から取り出すと、それを耳にひっかけた。
「はい。ハハハ。ハレ君がやってくれました。ラジャ。善戦します」
鹿角チームの本来の業務内容と考えれば、インカムは必須携行品だろう。
波瀬は返って来た誰かの言葉に対してニヤリと笑いながら俺に視線を動かし、その次には窓へと振り返り銃を撃った。
俺は波瀬の銃撃の結果など知らない。
なぜならば、ソファに座っていた拓海と藤によって俺の体は引っ張られ、ソファから降りた二人の体の下敷きにされたのである。
庇って貰ったのは分かるけど、むぎゅう、です。
でも、文句は言えない。
俺のせいで、こんな多勢に無勢の状況なのに状況開始をさせたんだ。
ほら、船窓が蜂の巣じゃないか。
次から次へと虫みたいにして弾が室内に飛んで、壁や何かを削っている。
俺達は遅かれ早かれあいつらに蹂躙されて殺されるだろう。
そんな状況を作ったというのに、拓海も藤も俺の防弾チョッキ状態で俺を抱え込んでいるじゃないか。
「どうして俺を守るんだ!!」
「晴純!!君こそどうしてそんな無茶ばっかりするんだ!!」
「先生。説教は後で。ハレには今すぐ言わなきゃならない事がある」
「藤さん?」
「藤君?」
「あのハレのカッコイイ台詞、あれ、自衛隊の縛りだから。おまわりさんに言うなよ?」
俺は恥ずかしいと両手で顔を覆った。
多分、涙も隠せたはずだ。
アンリは俺を助けてはくれなかった。
俺が絶体絶命なのに、アンリは助けに来てくれなかった!!
「晴純?大丈夫だよ。僕が絶対に助ける。だから君が頑張るんじゃない。大人のために何もしなくていいんだよ。君は守られるべき子供なんだ」
拓海は俺を抱き締める右手に力を込めただけでなく、左手で幼子にするように俺の頭を撫でた。
その行為は俺とアンリを切り離した手術の前夜にアンリが俺にしてくれた行為にも似ているが、あの時の俺は霊体で俺を抱き締めたアンリは俺の体の中にいた。
人に抱きしめられる温かみも、頭を優しく撫でられる感触も、俺は拓海に出会うまで知らなかった、のだ。
「やめ、止めてください。あなたはアンリじゃない」
「晴純」
「あなたは肉体がある」
「はれすみ?」
「あなたが、お、おれを、僕を守ろうとして死んだら僕は死ぬしか無いんだ!!」
だから俺は拓海を守るんだ。
絶体絶命ならば、俺こそが先に死ぬんだ!!
「アンリなんてこの世にいない!!もういない!!もういないんだ!!」
「僕はずっといるから!!晴純!!」
世界が瓦解する大きな音が轟いた。
拓海は俺を両腕で抱きしめ直し、船は横転するぐらいに大きく揺れた。
それは、俺の大声のせいではないだろう。
「ええ。見えました。ヘリが敵船に落ちました。いいえ、勝手にぶっこんだ」
波瀬の呆然とした声に俺達はゆっくりと身を起こし、銃撃戦が起きていたはずの甲板の方へと恐る恐ると視線を動かす。
拓海と億の医療機械を盗みに来ていた海賊船は、自分達が搭載し動かしていたヘリを甲板にめり込ませて黒煙を上げていた。プロペラが止まって落ちた訳ではないからか、プロペラによってぶった切られた肉片もそこいらじゅうに散っている死屍累々の情景でもある。
俺のポケットが震えた。
俺はポケットに手を伸ばしスマートフォンを取り出し、全員の視線を痛いほど浴びているのを意識しながらスマートフォンの画面を覗いた。
「おーる、くりあ?」
藤ではなく波瀬こそが素っ頓狂な声を上げていた。
それもそうだろう。
これが意味するのは、状況が完了したってことだ。
どうやらヘリに巻き込まれなかった敵兵も、死んでなくとも前後不覚な状態は確かなようである。




