連絡その三 月がきれいですね
「やっぱ親父船だな。期待したプールが風呂でしかなかったよ」
「ねえ。ぬるま湯のジャグジープールって、何が楽しいのかなって感じ」
「悠。親父の露天風呂よろしく飲み食いしながらプール入ってる凶悪達がなんか言ってるよ」
「晴ったら。でも、ありがと」
悠のお礼は悠の家の異変を聞いても俺が変わらなかった事であるが、ジャグジープールに浸かっていた凶悪達は何も知らないために誤解をした。
「あたしらがいなくて寂しかったっぽい悠君は許す。さあ、入れ」
「うん。わかってくれたんならいいよ、悠。でもハレ、貴様は駄目だ」
「え、ええ?意味わかんないし。晴が入んないんなら僕もいいよ。展望デッキに行こうか?あそこに卓球台もあったよね?……あ」
俺はこういう時に悠にすまないって思う。
俺の足が悪いために悠に制限をかけてしまうのだ。
俺はジャグジープールに浸かっている有咲に振り返ると、右手を顔の前に持っていて、ごめんなさい、と頭を下げた。
「ハレ君?」
「有咲ごめん。俺達は四人じゃないとなって思った。俺達は四人じゃないと全員が全員我儘で自由に好き勝手をできないんだよね?」
「ま、まあ、しょうが無いな。反省したハレ君も入って良し」
「ええ~有咲ったら甘い。あ、でもぉ~。ラブいんだから仕方ないか。私達もそうだけど、付き合い始めは色々甘くなっちゃうよね」
夏南の台詞が終わるや、俺の横腹が衝撃を受けた。
悠が俺に肘鉄をしてきたのだ。
この事態だけは俺のせいじゃない。
「勘違いするな。俺こそ初耳な事態だよ。でも、君こそ夏南ともともと付き合ってたんじゃないの?」
「い、いや。お、お幼馴染認識?でも、君こそでしょ。有咲君は彼女でしょ?」
「いやいやいや」
俺達が有咲達に好き勝手されるのは、この事態に対して大声で違うと言い張るどころか、ひそひそ声で状況確認を互いにするだけの小心者だからであろう。
え?彼女認定だった?最初から?
「じゃあ俺はこの場は遠慮した方がいいのかな?先輩方」
俺達よりも低い音声のあきれ声は、俺達の後ろからだ。
振り返った俺と悠は、蒼星の姿を目の当たりにした事で言葉も思考も失った。
彼は黒の競泳用の水着姿だった。
上半身裸な上、膝丈でもぴちっと体に貼り付く水着で、弟の羨ましいほどに出来上がった肉体美が嫌でも目に入る。
単なるショートパンツ型の水着姿の俺と悠とは、ぜんぜん、違う。
ついでに恥ずかしがり屋の俺達は、タオルパーカー着てるし。
「何?」
「すげ。シックスパック。中坊でも出来るもんなんだ」
「羨ましいねえ。僕達よりも高校生みたいな体つきだよ」
「は、恥ずかしいな!!シックスパックなんか贅肉が無けりゃ勝手に出てくるもんなんだよ。ここの筋肉は日常生活で普通に出来てるもんなんだからな!!」
「いや、俺達ガリでもそんなの出てないよ」
「だよね。いいなあ」
蒼星は顔を真っ赤にすると、両腕で自分の腹を抱えて俺達の視線から隠した。
今はもう俺に恥じらいも無くなった拓海であるが、初めて着替え中に遭遇してしまった時は蒼星みたいに自分の体を隠したな、と思い出した。
だから俺は意地悪心が出たのだろうか。
「モモの筋肉もすげえな」
「だねえ。蹴りでコンクリート壊せそう。実際どのぐらい威力があるの?ささ、我らが支配者がおわすプールにどうぞ」
「あ、あの!!俺は挨拶もせずに!!」
蒼星は慌てたようにして姿勢を正すと、悠に向かって頭を下げた。
それも深々と。
「蒲生蒼星です。兄がいつもお世話になってます」
え?
顔を上げた蒼星はやはり真っ赤で、それも恥ずかしさこの上無いという表情だ。
呆気にとられたのは俺と、俺と弟が上手く行っていないと聞いていた悠である。
いや、俺だけか。
悠は、誰もが生徒会長にと望んだ彼自身のカリスマな微笑みを顔に浮かべ、先輩然とした仕草で蒼星に言葉を返したのである。
「僕こそ君のお兄さんの世話になっている、武雄悠です。彼のせいで僕の退任式が凄い事になっちゃったので、余計なお世話な時もあるけどね」
「あ、兄がやっぱり迷惑をかけて!!」
「だから迷惑何て無いって。彼のせいで僕が花と全校生徒の涙に埋もれただけだよ。さあ、ジャグジープールに行って、君も夏南達の洗礼を受けようか。迷惑って何だろうって、君は一瞬で理解できると思うよ」
「酷い」
蒼星は悠の毒舌に笑いだし、俺は久々の悠に見惚れていた。
俺が転校して初めて彼から紹介を受け、学校について案内までしてもらった時、彼は俺にこんな風に振舞い俺を魅了したのである。
同世代の醜さや足りなさばかりにウンザリしていた俺には、彼は清涼剤そのものであった。
「僕は君と友達になりたいわけで」
悠は知らないだろう。
俺が彼からのその言葉でどれだけ救われ、自分に自信を持てたのかを。
思い出した記憶で涙が零れそうだと、俺は顔を空に向けた。
真っ青な夏の空に浮かぶ白い雲と白い月。
真昼の月はトラウマだって、誰が言い出したのだろうか。
今の俺の腹の傷のように、とってもきれいなものだというのに。
「ハレ君!!お前こそ来いよ!!秘密基地みたいだぞ!!」
「そうよ、もう許したんだから来なさい!!床が開いて下の部屋が見える!!」
「みんな急いで上がって!!急いで館内に逃げて!!」
俺は有咲と夏南の声に開閉式の蓋を見返し、それが開ききる前に友人全員に大声をあげていた。
トラウマ?
そう、俺のトラウマが、開閉式の蓋の下には危険があるはずだって俺に叫ぶ。
そこから銃を向けられたら危ないねって。
俺はシャッターが閉まった密室で、ベレッタ十丁に狙われた事がある。
「はい、はい!!皆さん、急いでこっち!!下は見ないで移動しよう!!」
「大丈夫だよ。君達は展望室にまず行っちゃって!!」
三角と立木学がプールデッキに飛び込むようにやって来て、それぞれが持っているバスタオルを広げて目隠しを作りながら声を上げた。
有咲達は状況の変化に驚きながらも次々にプールからあがり、出口前にいる俺の方へと訝しみながら歩いてくる。
真昼の月は良いものだよ。
ほら、天蓋が開ききった階下の空間にあるものを、俺は純粋な友人達に見せなくて済んだ。
蓋によってプールデッキと遮断されていた空間は、火照った体を冷ます為のドリンクバーもある休憩所。
だからそこが選ばれたのか、そこに黒い遺体袋が並んでいるのである。
俺のスマートフォンが振動するのは、俺の無事を確かめたい誰かからの連絡ではなく、俺を見守っているAIであるアンリからの連絡だ。
被害者は、俺達が乗っている船の船主、御厨洋右。
それから、彼の秘書と看護師二名にボディガード三名の総勢七人。
「七人?七人みさきでもやろうってのか?」
「そんなことは私がさせない。安心してくれ」
俺の真後ろに立つのは、雑誌から抜け出て来たような美貌の男。
この暑いのに三つ揃いなんか着ている阿呆、鹿角十六夜。
「ハレ。月がきれいだよ」
俺は鹿角に何も答えずに、友人達との合流を待たずに館内へと入った。
奴には言いたいことが山ほどあるが、奴の台詞に言葉を返したくない。




