相談その一 正義執行者の残虐さは悪党の比ではない
さて、病院は完全に制圧されたようである。
アンリと繋がっている俺と鹿角以外の院内にいる人達は、外に助けも求められないどころか、確実に命を奪おうと考える暴力者には誰もが従うしかない。
武雄の病室前の廊下でも、エントランスに向けて移動する人々の足音が騒々しく過ぎ去ってった。
拓海はどうしただろう?
彼は実は物凄い頑固者であり、絶対に患者の傍を離れることは無いと思うと、胸が不安でぎゅうと締め付けられた。
「鹿角さん。拓海先生の無事だけは絶対に確保してください。」
「君は!」
俺は鹿角を見返して、さっさと行けと言い放った。
しかし鹿角は納得していない顔で俺を見返すばかりで、俺は鹿角にスマートフォンを翳して見せた。
「銃を持つ人達の姿を全部映してアンリに送ってください。」
「殺すのか?」
「いいえ。敵はあなたが捕まえてくれるのでしょう。アンリは彼らの繋がりを全て探ります。蠅をいくら潰しても湧いて出るだけです。だったら、蠅を呼ぶ生ごみを処分しましょうよ。」
「了解。部下に伝えて私のスマートフォンに情報を集約させよう。」
「いえ。あなただけでお願いします。どうしてここに武装勢力が襲ってきたのでしょうか。何のためにここに来たのですか?ここにイルマシエはいないのに。」
鹿角は微笑み、俺にすまないと言った。
それから、やはり俺が最初に殺すべき男だと再確信させる言葉を、鹿角は俺に白々しくも発したのである。
「拓海先生に本日執刀していただいた患者は管将隆だ。敵は全ての繋がりを消そうとしていると言っただろう?今日我々を撃ち込んできたものと同じ銃弾が管の頭蓋骨を貫通もしているんだ。あいつを証人として生かすために、私は拓海教授の魔法の手を頼ったと言う事だ。」
「全部終わったら、お前こそ殺してやる!拓海先生に何かあったら、お前を絶対に許さない。お前に血がつながる人間全部、子供も親も殺してやる!」
しかしそこで鹿角は首を横に振った。
君にはできないよ、と言った。
「できるよ!お前の動きのせいで悠がこんなだ!悠の家はボロボロだ!悠に嫌われても俺はお前を絶対に不幸にしてやる。」
「ふふ。悠君は私を嫌っても君を嫌う事など無いな。そして、私の子供を殺すのは君には不可能だよ。」
「今はいないから?出来たら殺してやるよ。」
鹿角はふっと微笑み、二度と出来はしない、と静かに言い切った。
「後悔ばかりだよ。私が愛したあの子は六歳になれなかった。」
「え?」
「いや、行ってくる。」
俺を茫然とさせた鹿角は数秒前の台詞など無かったように踵を返し、敵の元に向かおうとというのか病室の扉の鍵を開けた。
ばん。
紙袋を破裂させた音が響き、鹿角は腹を押さえて崩れ落ちた。
鹿角を撃った銃を持ち室内に入って来たのは、スーツ姿の背の高い男。
俺に最愛の妻子の無事を委ねた男では無かっただろうか。
立神はまず俺の姿にびくりとしたようだ。
しかしすぐに顔付を冷静なものに直すと、すまない、と俺に呟いた。
「すまないって。何ですか!どうしてあなたが鹿角さんを撃ったのですか!」
「巻き込んですまない。こいつは俺を裏切ったんだ。そこで眠る義弟がこいつと優花の高校時代の子供だったなんて、ひどすぎる冗談だろう?」
え?
俺は立神の台詞で殴られたような衝撃を受け、すぐに武雄に振り返った。
武雄の顔に鹿角の存在を探したのだ。
しかし、鹿角の存在は認められなかったが、優花が母親と似ているのに武雄にはその母親の面影が一つも見えない理由が見えてしまった。
ちょっと、待て。
そんな事実があれば、この世界の出来事が変わって来るのでは?
この病院を襲ったのは?
敵が最初にベビールームに出現したのは?
いや、鹿角は管が何者だって言っていた?
普通の弁護士が違法銃器をどうやって転売するんだ?
俺は目の前の立神をまじまじと見返し、彼が持つ銃がグロックで、日本の警察官が持っている銃では無い事に気が付いた。
そう言う事か、と。
自分の罪と一緒に、自分の人生に影を落とす子供を始末に来たのか!
「でも、美優はあなたの子供でしょう。そして、悠はそこの汚れ物の子供なんかじゃ無いですよ。たぶんね。だから、これ以上罪を重ねる必要は――。」
「本当に賢い子だな、君は。」
立神は皮肉そうに笑みを作ると、俺に向けて銃を持ち上げた。
「ここに居合わせてしまった不幸を呪うんだな。ただ、どうして君はここにいるんだ?犯罪被害者の警護という名目でこの病室には家族以外の立ち合いは禁止してたはずだろう?有栖川さえも排除したのに?」
俺はスマートフォンを持った手のまま、立神の直ぐ足元、上半身を廊下に下半身を病室という状態で倒れているろくでなしを指し示した。
「あなたと俺が存在する今が、そいつが作り出した世界だからですよ。汚れ物が許せない本物のテロリストが、あなたをここに呼ぶために仕組んだからです。」
「はっ。こいつが一番の汚れものなのにな。親友だと思っていたこいつが、俺の幸せを全部壊していただなんて。いや、こいつが惚れこんだ君という少年を俺が殺すんだ。一番の仕返しかな。」
俺は悲しい気持ちで立神を見つめ返すしか出来なかった。
そして、立神は俺に改めて銃口の狙いをつけようと腕を上げた。
ぱん。
俺達の世界に破裂音が一つ鳴った。
立神は体をびくりと痙攣させ、銃を持つ手で心臓の辺りを押さえて崩れ落ちた。
崩れ落ちて横たわる立神は、まるで胎児のように手足を曲げた姿となり、彼の体からは、赤いリボンが解けるようにして血の小川が床を赤く染めていく。
心臓を後ろから撃ち抜かれた立神は二度と目を開けないし、俺はこの人とこの人の親族の為にはその方がいいと考えた。
なぜならば、立神が生き続けるならば、親友さえも罠に嵌めて殺すことができる男が、立神に更なる地獄を与えるだろうと思うからだ。
鹿角は上半身だけを起き上がらせると、手に持っていた小さな銃を放り投げた。
カラカラと虚しい音を立てて床を滑っていくのは、昔からある日本の警察官の二十二口径のリボルバー銃だった。
「捨てられた正義だ。」
そしてその銃の代りという風に、彼は自分のスマートフォンを右手に持ち、床に座ったまま俺に向けて彼のスマートフォンを翳してきたのである。
「何の意味ですか?」
「君こそ私に自分のそれを向けている。せめて抵抗しようと思ってね。」
「俺こそあなたへの抵抗ですよ。だってほら、弾が貫通する事も厭わずに俺に向けて銃を撃って来る恐ろしい人がいるのですもの。」
「ハハハ。二十二口径は貫通などしない。私が君を殺すと?そんなはずは無いだろう?」
「そうですかね。」
俺は鹿角に向けていたスマートフォンを自分のポケットに片付け、それから鹿角に向かって手を振った。
「さっさと粛正に出掛けてください。この病室前に適当な敵の一人ぐらい転がせる事も忘れずに。立神さんの死因を誤魔化す必要がある。」
「ハハハ。立神は俺を撃った男から銃を奪った。だがそこで、倒れた男が隠し持っていた銃で殺された。それで頼む。残された家族のために。」
俺はもう一度鹿角に手を振った。
自分の正義にぶれもしない男は、気味が悪くて仕方がない。
しかし、鹿角はそのまま床に倒れ直した。
彼の体の周囲には、小川どころか真っ赤な水溜りが出来ていた。
「この役立たずが!」




