進撃するぞ!
少年はいつもよりも早く起床し、学校に行くための制服ではなく、普段着のボタンダウンの白いシャツとスラックスを身に着けた。
次に、制服ジャケットの代りに、大き目の紺色のセーターをその上に着た。
少年の隣には少年と同じ姿形だが半透明の少年が浮いていて、その半透明な幽霊らしきものは、身支度をしている少年にそばでふよふよと浮いているだけだったが、ようやく意を決したかのように声をかけた。
「どうして制服にしないの?」
「こんなボロボロな服を俺が着れると思うか?」
「そ、そうだけど。」
「で、このおかしな機械はお前の言った通りの使い方で使えるんだな。」
「う、うん。ごめんね。スマートフォンじゃなくて。それはカメラと動画機能は残っているけど、他は何もできないよ。解約されているから。」
「敵に追われている者から通信手段こそを奪うとはな!お前の御母堂とやらは!」
「で、でも、何度も壊されているから、あの、仕方がない。」
「壊した奴に弁償させろ!」
紺色セーターの少年は外見からは考えられない太い声を出し、半透明の少年はびくりと脅えた。
すると、命令口調で威圧的だった少年は、半透明の少年の頬に手を伸ばした。
半透明の少年はそれだけで胎児のようにぎゅっと体を丸めたが、相手が何もして来ないと伺いながらそろりそろりと体の緊張を解いた。
「ごめん。アンリが酷い事をするわけはないのに。」
「いいよ。晴純はそれだけ辛かったんだ。」
「うん。だから、辛いよ?俺の人生は辛いよ?」
アンリと呼ばれた少年は自分が晴純と呼んだ少年に、大人のようなゆったりとした笑みを向けた。
「これから挽回するんだ。安心しろ。」
それからアンリは着なかった制服を腕に抱えると、ドアを蹴破る勢いで開き、足音高く家族が囲んでいる朝食の席があるダイニングへと向かった。
家族と言っても、そこに晴純の父親の姿は無かった。
ダイニングテーブルには晴純の弟と母親だけが囲んでおり、二人は晴純の姿を見るや、普通の家族がするような表情を向けなかった。
それでもアンリは笑顔を作り、おはよう、と家族に声をかけた。
「いっつも食べないじゃない。どうしたのよ!」
「母さん。ごちそうさま。俺の残飯をやっちゃっていいよ。」
「蒼星。もう出るの?」
「うん。だってこいつと歩きたくない。飯はコンビニで買う。」
母親に蒼星と呼ばれた少年は乱暴に椅子から立ち上がると、隣りの椅子に置いてあった鞄を斜め掛けすると、そのまま玄関の方へと歩いて行った。
取り残された母親は不機嫌な顔になって椅子に座り直した。
「まったく。いつもは食べないじゃない。せっかく朝練が無くて蒼星がゆっくりできる日に限って。ほら、せっかく譲ってもらったんだから食べちゃって。」
半透明の少年はアンリの後ろで浮いていたが、自分の家族のいつもの自分への対応だとわかってはいたが、今日はいつも以上に心に傷をつけられた。
それは、アンリに自分のみじめな所を知られたと自分を情けなく思うからであろう。
しかし、アンリは鼻ではっと笑った。
それから何事も無いようにして、自分が抱えていた物をテーブルに放り投げたのである。
「母さん?これは汚れすぎなんだ。クリーニングが無理なら買い替えてくれ。」
晴純の制服は同級生達に汚され続けたことで、何十年も前の古着めいてみせていた。
母親はそんな息子の悲劇の証拠に胸を痛める仕草をするどころか、椅子を倒す勢いで立ち上がり、アンリに怒りの目を向けたのである。
「あなたが汚すからいけないんでしょう!汚いものをテーブルに乗せないで!」
「暴力行為でこんなになったんだよ。見りゃわかんだろ?」
「あなたがいけないのよ。どうしてうまくやらないの!蒼星はこんなこと一度だって無いじゃないの!いじめられたらやり返せばいいじゃないの!いつだってぐずぐずするばっかりで!」
「そりゃお前らが差別してっからだろ。」
「差別なんて!」
「朝飯も作らない。子供がおはようとやって来ても挨拶どころか迷惑だと言い放つ。いい母だな。」
「あなたは!」
「とにかく、制服は新調しろよ。あと、スマートフォンとやらも買ってもらおうか。あいつには持たせてんだろ?」
「だから、そんなお金は!」
アンリはポケットから晴純のガラケーを取り出すと、母親に向けて軽く振って見せた。
「制服くらいいいだろ?息子に残飯食わす母ってお友達にバレるよりも。」
「あなたの言葉なんて誰も信じないわよ。っ、ぎゃ!」
アンリはガラケーを掴んだ手をそのまま母親の鳩尾に突っ込んでおり、彼女は腹を押さえながら床に跪いた。
そこを思いっきり彼は蹴り上げた。
「ひ、ひいいい!やめて!どうして!」
「俺じゃないよ。これはサッカー部の蒼星の仕業かな。警察と救急車を呼ぶね、母さん。ほら、いじめられっ子の俺がこんなことはできないってみんな思うね。優等生の蒼星が家庭内暴力をしたって方をみんなが信じるんじゃないかな?後さ、俺はもう駄目だから。少年院?に行ってもいいよ。蒼星も父さんの仕事も、母さんのエセレブな交遊も、全部ダメになるけどね。」
「ど、どうして。な、何をして欲しいの?」
アンリはニヤリと笑った。
「新品の制服を買って、かあさん。」
母親は何度もうなずいた。
半透明の少年はアンリに囁いた。
やり過ぎだよ、と。
けれどアンリは、この調子で進撃するぞ、と言った。
「ざまあ、してみたいだろ?」