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加藤良介 エッセイ集

加藤良介的、なろうの小説論

作者: 加藤 良介

 あくまでも個人的見解としてお読みください。

 今回は小説家(私)と言うものが、どのような思考回路で小説を書いているかを公表していきたいと思います。

 金も稼いでいない素人小説家の私が、偉そうにくっちゃべる事ではないのかもしれませんが、自分も小説書いてみようかなとか考えている奇特な人や、なぜ、下手くそな小説なんぞ書きたがるのかと疑問をお持ちの方の参考になればいいと思います。

 前置きはここまで、では、なぜに小説なんぞ書いているのかをお伝えいたしましょう。




 ・小説が好きだから。


 当たり前すぎて答えになっていませんが、小説を書いている人は間違いなく小説を読むのが好きな人です。

 小説を読んで興奮したり感動したりしたので、自分もやってみたいという素朴な感情から小説を書き始めます。

 そして、そんな人が書く小説は、その人の好きなジャンルの小説になります。

 歴史小説を読んでいた人が、いきなり推理小説を書こうとはなかなか思わないはずです。

 自分の慣れ親しんだフィールドでの作品を書くことになるでしょう。

 私もそうです。

 さて、書きたくなる理由をもう少し掘ってみましょう。




 ・好きな作品と同じような作品を書きたい。


 先にもお話いたしましたが、SFが好きな人はSF作品を書きたくなりますし、学園ラブコメが好きな人はそれを書くでしょう。

 意外に思われるかもしれませんが、これだけでは小説を書くモチベーションとしては不足です。

 個人差はあるでしょうが、書き始めても一万文字程度で挫折するかと思われます。

 なぜか?

 余程の才能の持ち主でない限り、自分の好きな作品と同レベルの作品は書けないからです。

 そりゃそうだわな。( ̄д ̄)//


 アガサ・クリスティーと同レベルの推理小説を書けたら誰も苦労は致しません。

 どうしても、好きな作品の劣化コピーのような作品になってしまいます。

 キャラもストーリーも世界観も似たり寄ったりです。

 それも劣化した。

 書いている最中にそれに気づき、先の展開も思いつかなくなって筆を折るという結果となります。この段階で、頑張って独自性を出そうとすると、さらに迷走して何がしたいのかを見失う訳です。

 最初の読者である自分の目に耐えられないんですね。


 その、カテゴリーが好きなだけではモチベーションは保てません。

 さて、では何が足りないのでしょうか。

 因みに、お話やらを考える才能の有る無しとか、言語能力の高い低いは関係ありません。

 では、答えです。




 ・足りないのは不満。


 ずばり、これです。不満です。

 鬼滅の刃に満足している人は、鬼滅の刃のような作品は書けないという事です。


 「鬼滅、面白いんだけどなぁ。でも、ここが物足りねぇんだよなぁ。こうしたらもっと面白くなるのに」


 はい。

 お分かりいただけましたでしょうか。( ̄▽ ̄)//

 これが、小説を書き続ける最大の原動力でしょう。(例えが漫画ですが、本質的には同じものです)

 逆に言うと、好きな作品に一切文句のない人は小説を書くのは困難と思われます。

 既に、完全無欠の正解がそこにある訳ですから、一々自分が書く必要が無いからです。

 何かしらの不満点がある人が小説を書きやすいと思います。

 好きな作品の不満点を、自分なりに補った作品を書けばいいわけだからです。

 これが、一番簡単に小説を書く方法であり、書き続ける方法です。

 キャラも、設定も、世界観も〇パクリで気に入らない箇所を修正するだけで、違う作品に変化いたします。独自性も勝手に添付されます。精々、固有名詞を変更するだけでOKです。

 簡単でしょ。(;・∀・)//


 一つ例を挙げましょう。

 大人気漫画「進撃の巨人」の〇パクリSF小説「86-エイティーシックス」です。

 これは、素人の作品ではなく、れっきとした商業作品です。

 どれぐらい〇パクリかと言いますと、人類に襲い掛かって来る巨人を、無人兵器に変更しただけの作品です。主人公たちは壁に覆われた都市を守っていますし、海が見たいとか言い出します。

 どこまでパクるんだ。(;一_一)//

 いっそ清々しいと言えるでしょう。

 しかし、断言いたします。

 全くの別作品です。

 「進撃の巨人」が忘れ去られたら気にならないかもしれません。

 きっと作者の方は襲い掛かって来るのが、荒唐無稽な巨人であるのが気に入らなかったのでしょう。

 因みに私この作品の大ファンでございまして、当然全巻所持しております。

 襲い掛かって来るのは巨人ではなく意志を持った無人兵器の方がカッコいい。

 (≧▽≦)それだけ。それだけでいいんです。

 激しく同意いたします。(-ω-)/ガンダム脳患者

 と、いう訳で、大好きな作品の気に入らない点を補った作品を執筆すれば、モチベーションは低下しにくいでしょう。


 ここから導き出せる一つの答えは、素直で人の言う事を信じやすい方は小説家に向いていないという事です。逆に重箱の隅をつつきたがる、偏執的な人間が小説を書くのに向いています。

 嫌な人間は小説を書くことに向いています。

 ほら、ここにいい例が・・・(´゜д゜`)//




 ・好きな作品に好きなトッピングをするから面白い。


 はい。ここで、重大発表。

 実は私、自分で書いた小説が面白いかどうか悩んだことはありません。受けるか受けないかは悩みますけどね。

 面白いに決まってんじゃん。\(^◇^)/


 だって、自分が好きなジャンルの作品で「足りないなぁ」と思っている要素を補完しているわけですから、当然面白くなります。

 これで面白いと思えなかったら、それは、好きじゃないんですよ。その要素が。

 どれぐらい、私が自分の作品を面白いと思っているかというと、私は自分の作品を読んで笑います。

 「ハハッ。オモシロ」とか「んな訳ねぇ」とか思って読んでいます。

 こんな風に考えているので、書き続けられます。

 なんで世間様はこの面白さが理解できないのかなぁ。(。´・ω・)?。謎です。


 私の作品の第一読者は私ですからね。自分が面白いと思えない小説は書き続けられるはずもありません。

 小説家が筆を折る最大の理由は書いている本人が、面白いと思えなくなったからです。(。-`ω-)//(断言)

 仮に書くのを止めた人が「能力がない」とかいいだしたら、それは完全に言い訳です。信じてはいけません。

 んなこと思ってる人は、そもそも小説なんて書こうと思いませんから。

 私は、思ってますよ。能力があるって。ただ、受けないだけ。


 (;゜Д゜)<受け入れない世間が悪いんだー。理解できない社会が悪いんだー。僕は悪くないんだー。

 ぜぇはぁー。ぜぇはぁー

 失礼いたしました。最近、情緒不安定でして。




 ・最初は短編から


 いきなり、長編大作を書こうとしても絶対に挫折します。

 絶対にです。(=゜ω゜)ノ


 何でもいいので、三千文字から一万文字程度の短編を書きましょう。

 そこで、自分が書けるペースや文字数の適正値を探りましょう。

 連載は無理して書こうとすると、失敗します。

 毎日更新なんて、やれるときにだけやればいいのです、それに縛られては駄目です。

 私の感覚だと、二週間ぐらいは読者さんは、待ってくれるような気がします。

 富樫先生と三浦先生なら何年でも待てる。(`・ω・´)//キラッ。




 ・長編の場合はプロットを作りましょう。


 プロットとはその小説の設計図です。

 粗筋に似ていますが、それよりもっと素っ気ないものです。

 小説の時系列順に、因果関係を表していきます。


 桃太郎で言うと、「川から桃が流れてくる」「お婆さんが桃を拾う」「桃を切ると中から子供が出てくる」

 これが、プロットです。


 実際にはここまで細かく構築する必要はありませんが、「何々をしたから、何々という結果が発生する」という流れを、最後まで作りましょう。

 ここで一番大事なのが、「最後まで書く」と、言う事です。

 いや、途中は飛ばしてもいいので、最後だけでも絶対に書く。

 これが大事です。( ̄▽ ̄)//


 桃太郎で言うと、「桃太郎が鬼を退治する」が、これに当たります。

 犬や猿や雉はリストラしても、そこは譲ってはいけないのです。


 途中の寄り道は、足したり削ったりできるので、何とでもなりますが、終わりを設定していないと、ゴールが何処か分からないので、作品が彷徨います。

 プロットの出だしは誰でも書けるので、問題ありませんが、最後はおざなりになりがちです。

 最後のイメージがあやふやだと、どうしても、途中までのお話の展開で、落ちを考えようとしがちです。


 経験から断言しますが、プロット無しでなんとなく書いている途中に、終わりが見えることはありません。

 そんな状態で書き続けても、作品の全体像が支離滅裂になるだけです。

 逆に最後だけしっかりと書いておけば、途中の展開は割とどうとでもなります。

 長編作品を書きたいのであれば、最後のプロットをしっかり作ってから書きだしましょう。


 なれたら、要らなくなる人もいますけどね。( ̄▽ ̄)//オイ

 



 ・読んでもらえないのは、出だしが悪いから。


 どんなにアイデアを温めて、綿密に考えて作品を書いても、大抵は読んでもらえません。

 理由はとっても簡単です。

 読みにくいからですよ。(/・ω・)/断言。


 作者の頭の中には、キャラクター設定なり世界観なりがインプットされていますが、読者にはそれがありません。訳わからんのは当然です。

 だからと言って冒頭でのキャラや世界観のねっとり説明は、止めた方がいいでしょう。

 その辺りはサラッと流して、会話文中心に、短いセンテンスの文章で構築し、視覚的にも読みやすくする工夫が必要と思われます。

 だらだらとした説明文で作品を開始するのは、二十年以上前のスタイルです。

 現在のスタイルではないでしょう。

 もっと、キャッチーに刺激的に始めるべきです。


 たたし、作者の人がそれが書きやすいと言うのであれば話は別です。

 小説を書くにあたって、最初の難関が、初めの一文です。

 これが意外と難しい。

 私の場合はここさえ乗り切ると、後はスラスラと文章が出てきますね。

 でも、最初の一文でつまずくと、かなり辛い。何回も書き直して呻きます。

 ( ̄д ̄)//ヌオオオ。

 ここを乗り切るために、説明が必要であるのであれば、仕方ありません。最初の一歩を踏み出さない事には話になりません。

 書きやすい始め方で乗り切りましょう。




 ・途中で脱落するのは、思っていたのと違ったから。


 連載の話ですが、連載が進むにつれて読者数は下がります。

 一話が一番多くて、後は右肩下がりが普通です。

 これ、書いている方は結構へこみますが、仕方ないと割り切りましょう。

 あなたの作品に、読者の方が合わなかっただけです。


 文章が悪いのか、ストーリーが悪いのか、世界観が違ったのか、キャラに魅力がないのか。理由は様々ですが、こればっかりは推察の域を出ないので、不味いと思った部分の修正のみに留め、先のお話を書きましょう。

 大丈夫。誰かが付いてきてくれています。( ̄▽ ̄)//

 誰も付いてきてくれない場合は、どこかに致命的欠陥があるはずです。それを手当てしましょう。




 ・持論を展開してこその小説


 小難しい話を一つ。

 これが正しい、とか、こっちの方が面白い、といった自己主張の発露が持論です。

 自己主張ゼロの作品なぞ、存在いたしません。

 作品が短絡的であろうと、〇パクリであろうと、それが、作者の主張であり持論です。

 持論と言うものは本来であれば、心の宝石箱にそっと仕舞っておくのが、日本人的美徳ではあるのですが、小説ではそれを存分に、誰にはばかることなく投入できるのです。

 あからさまにするか、分かりにくく入れるかは人それぞれですけど。

 私はあからさま派の人間です。( ̄▽ ̄)//

 嫌味と皮肉を練り練る練るね。

 うざいですねー。


 読んで字のごとく。小さな説を唱えるのが小説家です。

 個人的な小さな持論(説)を唱えていきましょう。

 これは、紀元前の昔からある由緒正しい職業です。まあ、形態は変わっていますけど。

 世間様に何か伝えたいことがある人は小説家になれるという訳ですね。




 ・読んでもらえるから書く。


 私は一つ嘘をつきました。ごめんなさい。m(_ _)m

 小説家が小説を書く最大の理由はこれです。


 正確に言いますと、小説家が小説を書きだす理由は自分の為、書き続けられるのは読者の人がいるからです。

 私も読んでくれる人がいなければ、わざわざ文字に起こそうとは思いません。

 頭の中で勝手に妄想しているだけで十分。

 何時間もかけてキーボードをたたく必要も無いのです。

 参考までに言いますと、三千文字程度のエッセイにかかる時間は三時間から四時間程度、小説は早くて三時間、長いと六時間ほどかかります。これに修正時間を加えると、もっと、もぅーと長くなります。自己満足の為だけにするには長すぎる時間です。

 (/・ω・)/


 読んでくれる人がいるから続けられる。これはプロ・アマ問わない絶対の真理と言えるでしょう。

 だから、部数が、売り上げが、評価が、PVが、感想がなどという話が盛り上がるのです。

 読む人あっての小説という訳です。(/・ω・)/

 だから、読んでください。お願いします。


 


 ・プロとアマの違い


 はい、ここで、今まで書いたことをひっくり返しましょう。

 特にプロになりたいのであれば。

 デビューしてお金貰ったらプロと言えるのですが、言いたいところはそこではありません。

 仮に、何かの間違いで私の作品が商業化されたとして、私はプロかと言われれば、違います。

 作品の質はこの場合、問題ではありません。

 質の高い低いは、相対的な問題であって本質ではありません。

 では、プロとアマの違いは、何なのでしょう。

 ズバリ、読者のために書くのがプロで、自分のために書くのがアマです。


 なろうでは割と頻繁に「ざぁまぁが流行るとランキングがざぁまぁ一色になって不快だ」という意見が見受けられますが、ここで、臆面もなくざぁまぁの作品が書ける人がプロ気質の人です。\(^ o ^)/


 こう書くと、大衆に迎合して自己の無い存在と思われるかもしれませんが、本来自己が希薄な人間に小説なんてものは書けません。

 持論の編でも書きましたが、自己が有り余っている人間が、小説を書くのです。

 自己が存在しないなどという事はありません。

 ただ、その発露の方向が違うだけです。

 接待小説を書ける人は、自分はともかく読んでいる人が楽しんでもらえるように構成しているのです。

 これが出来る人がプロと言えるでしょう。


 もちろん自己をさらけ出して、読む人に一切の迎合しない人もいますが、それは、純文学の世界です。

 純文学の作家先生はプロなのかと言われれば、その人生を見ている限り首を傾げたくなる人も見受けられます。

 私は純文学の売れっ子作家なんて、村上春樹ぐらいしか聞いたことありません。

 基本は読者を喜ばせることを第一に考えているのがプロです。

 自分のために書いてる奴はアマちゃんです。

 グサ。Σ(゜Д゜)ウギャ。




 ・後追い上等


 流行りに追従するのは悪い事ではありません。

 どんどん乗りましょう。

 大丈夫。乗りたくても自我が邪魔して、そうそう乗れるものではありません。

 どうしても、どこかで自我があふれ出ます。

 それが、貴方のオリジナリティーと考えましょう。


 読んでもらえない小説は、( ゜Д゜)<ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああの連打と同じです。

 折角苦労して書いたのに、こんなのと一緒じゃ悲しすぎます。

 流行っているジャンルがあれば、どんどん乗っていきましょう。


 流行を知ったうえで、乗るか乗らないかはその人のチョイスです。

 ダメなのは、今の流行、潮流を知らない事です。

 自分を貫き通して成功する人は超人です。凡人の我々はその道に足を踏み入れてはいけません。「私は超人だ」と思える人のみが進む道なのです。

 超人なら実際に進めますしね。


 どうしても、その流行が気に入らないのであれば、最後の最後で全てを引っ繰り返してやればいいんですよ。

 全読者( ゜д゜)ポカーンみたいなラスト。最高じゃないですか。

 私が読者だったら暴れますね。\(。-`ω-)/ムキー。

 これがほんとのざぁまぁ。




 ・完結させなきゃどんな名作も作品ではない。

 

 どんなに、グダグダになっても終わりまで書きましょう。

 途中でやめるのはそこまで読んでくださった読者に失礼です。

 書いていて思いますけど、一番難しいのは面白いストーリーではありません。

 終わらせ方です。(=゜ω゜)ノ

 

 これが本当に至難の業です。

 どうしても、盛り上がる感動的なエンディングを書きたいじゃないですか。

 読み終わった読者さんが「あー面白かった」って言ってほしいじゃないですか。

 その心が大敵です。小説が終わらない最大の理由となります。

 これに比べたら、面白いストーリーなんて簡単簡単。


 感動的なエンディングを目指して向けて突き進むと、お話が膨らんで全く終わりが見えなくなります。

 死ぬまで書き続けるか、途中で筆を折るかの二択になります。

 ここは言い方は悪いですが、適当に見切りをつけるべきです。

 尻切れトンボになっても完成させましょう。

 一番最悪の終わらせ方は主人公を殺して終わりですが、これでも終わらないよりは百倍マシだと思います。


 完結させない作品は、半分だけ色を塗った絵と同じです。

 読者の人がそれで満足するのは構いませんが、作者は満足してはいけません。

 自身の汚点と考えるべきです。




 ・小説家になろうという画期的なフィールド


 これまで、散々「小説家になろう」での批判エッセイを上げてきた私ですが、このフォーマットは画期的なものだと思います。

 恐らく日本独特のフォーマットではないでしょうか。

 多くの外国では活字の小説を読むのは一部のインテリ層だけです。

 それが、我が国では大人から子供まで。高学歴から低学歴まで皆が活字の小説を楽しむ文化が根付いていています。

 これは、大変すばらしい事だと思います。

 そして、ド素人の私のような存在の者ですら、多くの方々に自作の小説を読んでもらえる巨大サイト「小説家になろう」日本の文化史の一時期を飾る存在でしょう。

 この後にさらに画期的なシステムが構築されたとしても、先鞭をつけたのは紛れもなく「小説家になろう」です。


 多くの小説家を輩出した(プロ、アマ問わず)このサイトの意義は、想像以上に大きなものです。

 この場を借りて御礼申し上げます。m(_ _)m



                終わり

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。


2021/5/6 三浦健太郎先生がお亡くなりになられたそうです。

 このエッセイを投稿した一週間後でした。

 我々はもう、待つことすらできないのですね。

 ベルセルクが未完で終わってしまいました。さぞ、ご無念だったろうなと思います。

 私の中で、最高のファンタジー漫画でした。ありがとうございます。

 ご冥福をお祈りいたします。


 ご意見、ご感想などございましたらお気軽に。基本的に返信いたしております。

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[一言] > 何かしらの不満点がある人が小説を書きやすい > 自分の作品を面白いと思っている > 最初は短編から > 長編の場合はプロットを作りましょう > 持論を展開してこその小説 ああ、なるほど…
[良い点] お話とても共感できます… できるのですが、書籍化したなろうの作品の中には 「連載のための連載」になって、いつまでたっても 話が前に進まないというか、ジャンル「恋愛」のはず なのに、世界中…
[良い点] さすがです。『加藤論』素晴らしい。 いまさらながら、私がなぜ小説を書き始めたのかが、腑に落ちました。 私には、不満があったのでした。なら、自分で書いてみようと思ったのでした。(発起したの…
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