あそび
「また昔のようにたくさん遊びたいものだわ」
川と緑と人間二人しかいない静かな場所であるから、女一人の些細な呟きでもよく響いた。
「君、こんなときによく言うね」
「あたしなんだか懐かしくなってしまって……。ほら、慶次さんがあたしに初めて水切りを教えてくれたのもこの川だったでしょう」
自分の心境とは裏腹に、この日は皮肉にも非の打ち所がない程の晴天であった。背中に打ちつけてくる熱射と共にこれも燃えてしまえばいいのにと、慶次は紙を握っていた拳を一層きつくした。
「ああ。随分昔のことだね」
慶次は想い出にふけろうとしたが、隣のお満が唐突に石を選び始めたので、慶次はひと咳置いてから牽制した。
「まあ、今思えば女が石なんて投げるもんじゃないよな」
「どうして?」
お満がしゃがんだまま見上げる。
「どうしてって、野蛮じゃないか」
「昔は缶蹴りとか木登りとか、楽しく色々やっていたのに」
お満が立ち上がって背中を向ける。一度いじけると、いつも決まって言葉通りにそっぽを向いてしまう彼女の悪い癖だ。
「そりゃあ10年前の話だろう? 今の君はもっと女らしく振る舞うべきだよ」
「貴方こそよく言うわ。今の状況で」
慶次が何も言えなくなったとき、お満は顔を見せないまま「石じゃなくて、貴方のそれを川に投げてしまいたい」と、手だけを彼の方へ向けるのだった。
差し出されたお満の細く白い手首を見て、
ーーいっそ、破り捨ててしまおうか。
などよからぬ考えが慶次の頭をよぎったが、家族を思えばそこまでする度量もない。
「それは無理だ」
慶次は針穴に糸を通すような滑らかさでお満の手を引き、身体を自身の内側にすべりこませ、そのまま何もしないでいた。今まで通り、お満は一切抵抗しなかった。
「俺には、これくらいのことしかできないんだよ」
二人密着して、お満はまんざらでもない笑みを浮かべながら、
「その紙が赤いの、血の象徴かしら?」と何とも不謹慎なことを言う。
「馬鹿言うんじゃないよ……。君の旦那だって先日、」
「あの人はもう帰ってこない。あたし、そう思うことにした。だってあたしにとってそれが一番なんだから」
慶次の胸の中で強くまくしたてると、お満は潤んだ目を彼に向ける。
「慶次さん。ねえ慶次さん。あたし、また昔のように貴方とたくさん遊びたいの。だから行かないで。お願いよ……」
「お満」
一旦正面から向き直り、互いが同時に惹かれながら深く口づけた。湿った息を漏らし合ったその雰囲気のまま、二人は更に人目のつかない木陰へと寄っていった。
翌日、町民らによるけたたましい歓声の中で、軍服に身を包んだ慶次をお満は見送った。慶次がお満の頭に手を乗せて可愛がろうが、彼女が彼の袖をあざとく引っ張ろうが、彼の妻はにこにこしているばかりで何も言ってこなかった。妹のような存在の幼なじみだと微笑ましく思っているのだろうか。そのときの二人は堂々としていた。
別れの終盤でお満は泣きだしそうになったが、万歳万歳の雰囲気でとてもそうはいかなかった。一方で慶次は軍隊にまぎれる直前、堪えて震えるお満に向かって「いいか、泣くんじゃないぞ。泣いたら捕まるからな」と耳打ちしてから距離を戻し、
「俺がこの足で帰って来た日には、また一緒に遊ぼうぜ」と言って目の前から去っていった。
許されないことを言っているくせに、ひどくさっぱりした笑顔が、お満にはとても印象的なのだった。