Chapter.α アナザー・エンディング
Chapter.α アナザー・エンディング
「知らねえよ」パシェックは強気に言った。
「そうか……じゃあ、自分で探す」そう言って、黒服は引き金に力を入れた。
その瞬間、パシェックが黒服に飛び掛かった。
黒服は、引き金を引いた。
サイレンサーによって消された、僅かな銃声。
パシェックの体が反転する。肩から、血が噴き出していた。
「ぐああっ!」肩を押さえ、悶えるパシェック。
黒服は、パシェックに向けて、再度照準を合わせた。
そしてすぐに、引き金が引かれる。
乾いた音。
弾丸は、正確にパシェックの頭部を撃ち抜いていた。
パシェックの体が、本人の意思とは無関係に痙攣する。
黒服はもう一度、引き金を引いた。
頭部に二発目の弾丸が命中し、パシェックの体は痙攣を止めた。
血の臭いが、その廃墟の一室中に広がっていく。
黒服は、パシェックに近付き、自分の撃った箇所を確認した。
そして、何事も無かったように、奥へと足を進めていった。
こうして、パシェックという男は死んだ。
さっき、パシェックの叫び声と銃声が聞こえた。そして今は、何も聞こえない。一体何があったのだろう。足の震えが、一段と増して来ていた。
俺の隣に居る……アンドロイドのリオンも、俺と同じように震えている。
彼女はかつて、イブという名前が付けられていた……しかし今は、どうでもいい事だ。全てが終わり、この危険から取りあえず回避するまでは、語る必要も無いだろう。
「……なあ」俺はリオンに話しかけた。
「何?」怯えた顔で、俺を見る。
「……外に、逃げるか」ふと、思いついた事だった。
「え?」
「そこの、窓から」俺は指差した。廃墟らしく、ガラスが中途半端に割られている。「……あの黒服の野郎、俺たちがこの廃墟の中に居ると思っているはずだ。だから、そこから逃げて、あいつが俺たちを探している間にパシェックのバイクで……」
「……でも、パシェックはどうするの?」
「う……」そうだ。あいつ一人残していくわけにはいかない。
「……で、でも、取りあえず、外に出ようぜ。黒服も、まずは中から探していくだろうからさ」俺の言葉に、リオンは少し考えてから頷いた。
「よし。じゃ、じゃあ、まずは、あんたから出ろ」窓の近くに行き、割れている窓ガラスを開ける。一階だから、難なく下りられるはずだ。
リオンは窓枠に足をかけ、外の様子を確認してから、飛び出ていった。俺も続いて、窓枠に足をかける。そこからは、一面の荒野が見えた。ところどころに廃墟があり、眼を凝らせば遠くにバグロが見えるけど。……飛び降りる。不必要な体重が、脚に負担をかける。まあ、怪我するほどのものじゃないけれど。
「……どうするの?」リオンが、聞いてくる。……俺にも、明確なプランがあるわけじゃない。
「取りあえず……入り口の方に行こう。バイクも近いし、あいつはそろそろ奥の方を調べ始めているだろうし」
「……パシェック……大丈夫かな」リオンが俯く。
「大丈夫さ。あいつは簡単に死ぬようなタマじゃない」根拠は無いが。
俺たちは、この廃墟の入り口の方に向かって、忍び足で移動し始めた。時々窓から中を覗いたり、後ろを振り返ったり。俺もリオンも、ビクビクしていた。……当然、だ。
入り口まで辿り着いた。まだ、黒服には出くわしていない。……不気味なほど静かだ。黒服は、そしてパシェックは今、どこで何をしているのだろう?
「……ちょ、ちょっと、中を覗いてみる」そう言って、リオンの足を止めた。リオンが頷く。
心臓が高鳴る。手の平が滲む。足が震える。恐る恐る、首を壁にくっつけ、そっと中を覗いた。
誰かが倒れていた。
パシェックだ。
間違い無い。
全く動いていない。
頭が赤黒く見える。
つい、中に入っていった。
血の臭い。
「大丈夫?」
リオンの声は、頭に入っていなかった。
早足で、駆け寄った。
うつ伏せに倒れているパシェック。
死んでいる。
死んでいる。
間違い無く、死んでいる。
血と、脳漿が、
そして頭蓋骨と思われるものが、
たくさん、散らばっていた。
パシェックが、死んでいる。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
ありえない。
奴が死ぬわけ無い。
「……おい」
呼んでみた。
反応は無い。
「……おい、パシェック」
しゃがみこみ、呼んだ。
反応は無い。
「おい!」
叫んだ。
肩を持ち、体を起こした。
血まみれの顔が見えた。
眼は、痛そうな表情のまま閉じられていた。
「おい!」
体を揺すった。
反応は無い。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ!
「おい! パシェック!」
叫んだ。
パシェックは、動かない。
……死んでいる。
今、ようやく理解した。
胃から、何かが込み上げる。
パシェックの体から離れた。
そして、吐いた。涙も、流していた。
死体を見るのは初めてじゃなかった。でも、あんな血まみれの死体は見た事が無い。しかも……パシェック、の。
「うあああああああ!」
叫んだ。
叫んだ。
信じられなかった。
もう一度、パシェックの方を見た。
リオンがしゃがみこんで、パシェックを見ていた。何が起こっているのか、理解できていない表情だった。パシェックの頬に触り、自分の手についた血を眺めている。
「リオン」声。
眼を拭い、声の方向を向いた。黒服が、立っていた。
「これ以上、手間をかけさせるな。……館に帰るぞ」そう言って、リオンに近付く。
「……いや……」首を横に振りながら、リオンは言った。しかし、パシェックの傍からは離れようとしない。
「……これ以上抗うなら、あの男も殺すぞ」黒服は俺に銃口を向けた。引き金には、いつでも撃てるように指がかけられている。俺が変な動きをすれば、奴は躊躇う事無く撃つだろう。
リオンは、その言葉で固まった。俺と黒服を、交互に見ている。
「只の機械のお前が、これ以上我が儘を張り通すな。お前のせいで、これ以上人間が死んでもいいのか?」銃口は、依然として俺に向けられている。だが、恐怖すら、今は麻痺していた。
「……わかった」リオンはそう言って、体の力を抜いた。
それを見て、黒服も安心したように銃を下ろした。まだ、しっかりと握り締めているが。
「……じゃあ」黒服が何か言いかける。
「でも」リオンがそれを止めた。「……でも、あなたを許す事はできない」涙声。眼にも、涙が溜まっていた。
「……確かに、そうだろうがな」冷静な眼で、リオンを見る。
「どうして……どうしてパシェックを……どうしてパシェックを殺したの!?」リオンが、叫んだ。初めて聞いた声だった。
「邪魔だったからだ。抵抗されたからな」淡々と、黒服は答える。
「そんな事で……」そこで、声が詰まった。リオンは泣き出してしまっていた。
「お前が、素直に我々の下に居れば、その男は死なずにすんだんだ。それを忘れるんじゃない」
リオンは、泣き続けていた。もう動かないパシェックに、リオンの涙が次々と落ちていく。
「……さあ、館に帰るぞ」黒服が、リオンに近付いた。
黒服がリオンの肩に手を触れようとした時、リオンはそれを拒んだ。
「……どうした?」黒服は、再度歩み寄ろうとする。
「来ないで……」リオンは、少しだけ黒服から離れた。
「……無駄な抵抗はやめろと言ったはずだぞ」そう言って、また俺に銃口を向ける。
乾いた銃声。
俺は眼の前で風を感じた。
……撃ちやがった。
横の壁を見ると、真新しい銃痕が出来ていた。
「次は当てる」
黒服は、俺に銃を向けた姿勢を保ったまま言った。
少し沈黙があった。リオンも、黒服も、そして俺も全く動かなかった。
「……わかった」リオンが、呟いた。掠れた声だった。
「今度こそ、本当だな?」黒服が確認する。
リオンはただ頷いた。そして、その手を黒服が握る。もう本当に抵抗する気は無いようだった。
「……歩け」命じられるまま、リオンは歩き出した。
廃墟を出ていく時、リオンは振り返り、俺を見た。
そして、何も言わずに頭を下げた。
それが、何となく哀しかった。
……あれから、一年が経った。俺はまだ、この灰色の街で生き続けている。生と死の、中間を徘徊している。つまり、一年前と全く変わらない。
パシェックの死体は、土に埋めた。墓標を作ってやろうかとも考えたが、奴はきっと望まないだろうと思ったので、やめておいた。
この街を歩く人間は、皆止まっている。いつの頃か、ここに堕ちて来た時から、動いていない。それは俺も、そしてパシェックも同じだった。
しかし俺は、僅かに動かしていた。一年前……あの時、再び止まった時計を。
今、リオンはどうしているだろうか? 人形と化し、パシェックや俺の事を忘れているのだろうか。一年前の微かな反抗を、消してしまったのだろうか。……例えそうなっていたとしても、それは自然な事だろう。リオンがこの世界で生きるには、アンドロイドになるしかないのだから。
そして俺は今、何をしようとしているのだろうか。一年前、止まった時計。それを、動かそうと考えている。
死にたいのかもしれない。
リオンの事など、二の次なのかもしれない。
失くした死に場所を、取り戻そうとしているのかもしれない……
それでも構わない。
灰色の街を歩く俺の肩に、雨粒が一つ落ちた。俺は、濁った空を見上げた。……一雨来るな。
或る男の形見である、バイクに跨った。エンジンを掛け、発進する。
俺のエンディングを、迎える為に。
続