Chapter.Ⅵ 残された真実
Chapter.Ⅵ 残された真実
さっきまでリオンだったものは、倒れて動かなくなっていた。俺はその傍に、膝から崩れた。血の匂いがした。
横向きに倒れた胸の中心に、大きな穴が開いていた。そこから、血と機械が見える。アンドロイドの表面は生物に近く、機械とはっきりわかるのは中心。そういう知識はあった。だが、見るのは当然初めてだった。
リオンの顔は、寝顔を髣髴させる無表情だった。これから苦しみも喜びも感じる事は無い。……彼女は死んだのだ。
ふと、涙を流している事に気付いた。一体何の涙なのだろうか。好きだったものを亡くした悲しみのようなものか。アンドロイドというものを初めて見た恐怖のようなものか。その両方、あるいはもっと多くの理由の複合だろう。
膝を着いている俺の横を通り、黒服がリオンに近付いた。俺は何も反応しなかった。黒服は事務的に、リオンの身体を確かめている。……俺と目が合った。黒服は目を逸らし、首を横に振った。
「駄目だな。完全に破壊されている。……人間で言えば、死体だ」黒服は立ち上がった。その手には血が付いていた。そして、銃を持っていた。
「……殺すのか?」俺は膝をついたまま、黒服を見上げた。何もかもがどうでもよくなっていた。
「言っただろ。無駄に人間を殺したり、アンドロイドを壊したりはしたくない」アビムの方に首を向ける。「……もうお前たちに用は無い」アビムは過剰に反応していた。
黒服はそう言った後、自分の銃も拾い、部屋を出て行こうとした。
「待てよ」俺は声をかけた。黒服は振り返る。アンドロイドらしい無表情だった。
「また、リオンを造るのか?……同じやつを」俺の言葉を聞き、黒服は大きく息を吐いた。
「……リオンはもう、造れない。もう二度とな」
「何だって?」俺の心は波打った。
「リオンはバグによって生まれたんだ。製作途中に、何らかの故障があったらしい。何が理由なのかは知らないが、とにかく極めて人間に近い精神を持ったアンドロイドが、偶然に出来た。それを、若旦那が高値で買い取ったんだ。……変わった人だからな」
「じゃあ、リオンは……」
「もちろん同じ型の物を造る事はできる。だが、それに心は無い。普通のアンドロイドのように、比較的単純な思考しか出来ない。絶対服従は出来るがな」そう言っている間、黒服はずっと無表情だった。
「……リオンは、その事を知っていたのか?」
「いや、知らなかった。自分が簡単に量産できると思っていたはずだ」
「何だと?」
「その方が扱いやすいからだろう。自分は所詮、ただの玩具だと思っていた方がな……」
俺は、黒服を睨んだ。しかし、この男が悪いわけではない。では誰に怒りを向ければいい? その若旦那という奴か? それともアンドロイドを造った科学者か?
「メモリーチップさえ無事なら、新しく身体を造ればリオンは生まれ変われる。……だが、それは完全に破壊されていた。アンドロイドの核は、全て胸に集まっている。胸をここまで壊せば、再生はもう不可能だ」そう言って、リオンを少し見た。
「そうなのか……」
黒服は項垂れる俺を見て、深い溜息をついた。顔を上げると、多少の怒りが入った眼で、俺を睨んだ。
「もう、関わるなよ……二度とな」そう言うと、黒服は部屋を出て行った。出て行く時、アビムを見もしなかった。
……少し、静寂に包まれた……
「パシェック……」苦しそうに、アビムが言った。血だらけの足を引きずって、俺に近付いてくる。
「……悪いな。とんでもない事に巻き込んで……怪我までさせちまってよ」俺がアビムに言う、数少ない本音だった。
「気にすんなよ……とは言えねえな」アビムは無理に笑った。
俺はリオンを仰向けにした。胸の穴からは、地面が見えた。内部は、血にまみれた機械が見えた。
「本当に、直せねえのか?」アビムがリオンを覗き込む。
「さあな。そうじゃないのか? どっちにせよ、俺には無理だ」
「アンドロイドの急所が胸に集まっているってのは本当だ。聞いた事がある。胸さえ壊せば、もう直す事は出来ないってな」アビムは説明しながら、リオンの身体を見ていく。すぐに、諦めの溜息を吐いた。「……これじゃ、無理だな」
俺はまだ少し放心していた。全てに対する喪失感。こんな思いは、これから先味わう事は無いだろう。
いろいろな事が頭に浮かんでくる。リオンと初めて会った時。こんな事になるなんて、少しも思っていなかった。俺が関わらなければ、リオンは一体どうなっていただろう? 今よりいい方向に行っていただろうか?……考えるだけ、無駄か。リオンがアンドロイドだと知った時。俺は戸惑い、自己嫌悪に陥った。自分をまだ、善人だと思っていたのだろうか。最初からリオンをアンドロイドだと知っていたら、俺はこの道を選んだのだろうか。それとも……考えても、わかる事は無い。そして、リオンは自殺した。そう言っていいだろう。自分の意思で、活動を止めたのだから。……それは、最善の道だったのだろうか。俺のした事は無駄じゃなかったと、言った。「ありがとう」と、言った。それは、本音だったのだろうか。自分でもわからないうちに、追い込まれていたのではないのだろうか。リオンに何を聞いても、もう答えてはくれない。それから……
「あの黒服の男、本当にアンドロイドだったのかな」アビムが、俺の考えている事と同じ事を口にした。
確かにあいつはそう言ったが、証拠は無い。案外、隙を狙う為の嘘だったのかもしれない。……しかし、その真偽を知ったところで、何も変わらない。何かが戻る事も、気が晴れる事も無いだろう。
「……わからない。でも、もうどうだっていいさ」俺は適当に言いながら、リオンの体を起こした。ずっしりと重い感覚。だが、アンドロイドに死後硬直は無いらしい。上半身を起こした後、そのまま抱き上げた。だらりと手が垂れる。ついさっき、まだ動いているリオンを、同じように抱いていた事を思い出した。
「……どうするんだ?」アビムは無理に、という感じで立っていた。右足の太腿から下が紅く染まっている。
「何処かに、埋めてやるさ。土には帰らないかもしれないけど」俺は歩き出した。「歩けるか?」思い出し、アビムに聞いた。
「……何とか。たぶん、神経とかは無事だと思う」足を引きずりながら、アビムは俺についてくる。俺は歩く速度を調整した。
廃墟を出ると、予想通り薄暗くなり始めていた。夕暮れを少し過ぎたあたりか。
「まず、パンク修理だな」アビムはそう呟いて、運転席に乗り込む。荷台に載っている工具は、俺が運び出した。こういうのは苦手なので、俺は何も手伝わないつもりだった。アビムもその事はわかっているはずだ。だから、黙って一人で作業を始める。
リオンは、今トラックの荷台に寝せている。その姿をもう一度見る為、俺は荷台に乗った。
きれいな死体は今までに見た事はあった。死んでから間もないもの。身体の破損が少ないもの。目の前に横たわっているそれは、そういう人間の死体とほとんど変わりは無いように見えた……しばらく、じっとそのままでいた。
「……降りろよ。修理の邪魔だ」後ろからアビムの声がする。俺はそれに従い、荷台から飛び降りた。
その後も俺は、少しぼんやりとしていた。気の抜けた炭酸水の気分が、理解できたような気がした。アビムはそんな俺にかまわず、黙々と作業を進めていた。
「……なぁ、アビム」俺はアビムに話しかけた。
「何だ?」タイヤに顔を向けたまま、奴は答えた。
「これで、よかったのかな」
「……そんな事はわからねえよ」アビムは、俺を見ずに言った。
「やっぱり、何か別に方法があったのかな。もう少し、焦らずにやればよかったのかな……」次々と沸いてくる後悔や疑問。気付けば、それを全て口にしていた。
アビムは、作業の手を止めた。しかし、俺の方を見ようとはしなかった。
「……どんな結果になっても、絶対に後悔はすると思ってた。どんな事をしても、リオンを完全に救えるとは思ってなかった。でもさ……やっぱり、何かもやっとしてるよ」あったのかもしれない分岐点。あり得たかもしれない物語。それがぐるぐると頭の中を回る。しかし、そこに現実感は無い。それは、リオンがアンドロイドだったからだろうか。やはり心の何処かで、俺はその事を引っ掛けていたのだろうか。彼女が人間じゃない事を。
「あの黒服の奴さ……」アビムが口を開いた。
「何だ?」急な事だったので、俺は思わず聞き返した。
「あの黒服の奴、彼女はバグで生まれたって言ってたよな?」アビムは作業を再開していた。疎い俺には何なのかわからない部品を手に持ちながら、喋っていた。
「……言ってたな。でも、そんな事あり得んのか?」
「ほとんどあり得ない。バグによって無感情の精神回路が造られるんなら、十分あり得る。一箇所でもミスがあれば、簡単に壊れるからな。でも、偶然のバグが原因で、生身の人間に限りなく近い精神ができるなんて、ほとんどあり得ない」
「……何が言いたいんだ? あの黒服が嘘を吐いていたって事か? 本当はリオンを造ろうと思えば幾らでも造れるって?」
「それも違う」アビムはタイヤのホイールについているネジみたいなものを外した。「あれほど完璧な精神のアンドロイドを造るのは、まだ不可能だ。人間の精神のメカニズムなんて、そんな単純なものじゃない。そして、何より需要が無い。何でも言う事を聞き、絶対服従するアンドロイドで十分なんだ。複雑な精神なんて、かえって邪魔だ」
「……だから、何が言いたいんだ?」アビムは薀蓄を語るタイプじゃない。知識と情報には幅広く通じているが、求められたりしない限り、それを語る事は無い。だから、少し違和感を覚えていた。
「……俺、アンドロイドを製作していた事があるんだ。バグロに来る前に」アビムは作業を続けたまま呟くように言った。
「何だって?」俺はアビムを見た。奴は、まだ俺に視線を向けない。
「何年前になるかな……とある会社の開発プロジェクトに参加していた。その時、もうアンドロイドは一般化していた。今ほど精巧なものじゃなかったけどな。そして俺達は、より精巧な精神を持つアンドロイドを造る計画を立てていた……要するに、アンドロイドはバグによって無感情になってしまう事がある。そのバグを減らし、購入者からの苦情を減らす。そういう面倒な仕事だった」
俺は、ただ無言で聞いていた。バグロでは、住む人間の過去を穿鑿しないという暗黙のマナーがある。俺とアビムは知り合って長いが、お互いの過去はまだ謎に包まれていた。今、その片方が勝手に開かれようとしていた。
「ある日、突然、偶然に、複雑な精神を持つアンドロイドが完成したんだ。精神回路を床に落としたとか、一回ショートさせてしまったとか、いろいろ推測はされた。でも、原因はわからなかった。……その直後に、俺達のプロジェクトは解散された。詳しい説明はされなかったよ」アビムはそこまで言って、タイヤを外した。空気が無くなっているのが、俺でもわかった。
「……そんな特異な事故は、あれ以外起こっていないはずだ。つまり」俺は、アビムに近付き、その襟を掴んだ。そして、引っ張り上げる。足が痛いのか、息が苦しいのか、辛そうな顔をした。しかし、止める事はできなかった。
「最初から気付いていたのか?」俺はもう理解していた。アビムが、リオンを造ったという事を。
「……お前から、リオンがアンドロイドだと聞いた時、もうわかっていた。あんな事が二度と起こるはずが無い……それから、その原因の解明もされていないはずだ。上から、倫理上のストップがかかっていたらしいからな。だから、複製する事もできない」
俺は殴った。ほとんど無意識に。アビムは無抵抗だった。さっき外したタイヤの横に転がった。
「だから、俺に協力したのか?」俺が睨むと、アビムは頷いた。
「……そうだよ。あのアンドロイド……俺達はイブって呼んでた。つまりリオンが、どうなってるのかずっと知らなかったし、知りたかった。何処かのでかい研究所で、ショーケースに入ってるんじゃないかとか、秘密裏に解剖されて、生まれた原因を探られているんじゃないかとか、いつも考えていた。お前の話を聞いて、まさかとは思った。でも、他に可能性なんか無い。イブ……リオンがそういう扱いを受けていると思うと、何故か怒りを感じたんだ。そういうアンドロイドを造る仕事をしていたって言うのにな」アビムは自嘲的に笑った。
怒り、では無い。この感情は何だ? 悲しみ、でも無い。そして、この感情を何処に向ければいいんだろう? ついさっきも自分に問い掛けた。誰を恨めばいいんだ? リオンを造ったアビム達か? 彼らは偶然造ってしまっただけだ。リオンを何らかのルートから購入した若旦那か? それとも売った誰かか?
「……何で言ってくれなかったんだ?……何で今になって言ったんだ?」俺は何かが体の中を回って蠢いているのを感じながら、呟いた。
「……あの時にすぐ言っちまったらさ、きっと今みたいなムードになると思った。二人とも、リオンに会う理由があったから、あの時は言わない方がいいと思って……だから、全て終わったら話そうと思ってた。今みたいにな」
俺は奥歯を強く噛んだ。少しだけ、血の味がする。不快だった。
「リオンには、話したのか?」
「……いや、言えなかった」アビムはそう答えながら、立ち上がった。「二人になったとき、言おうかとも考えた。でも、言わない方がいいと思ったんだ。理由は、同じだよ」
リオンは、死んだ。もう、彼女は真実を知る事は出来ない。しかし、それを知ったところで、何かいい方向に変わっただろうか?……余計に混乱するだけだったかもしれない。もちろん、自分に自信が持てたかもしれない。でもあの状況で、更なるパニックを起こすのは危険だった。だから、アビムの選択は正しかったのかもしれない。……「かもしれない」だ。ただの予想だ。結果論の後悔だ。無意味だ。
「……悪い。殴ったりして」少しの沈黙の後、俺は小さく頭を下げた。アビムは少し驚いたような顔をした。
「……でも、やっぱり腹立つだろ? 俺は……やっぱりリオンを、アンドロイドとしてしか、機械としてしか見ていなかった。最初からな。自分たちの造ったものが酷い扱いを受けている。それは何だか無性に嫌だ。そういう意識しかなかったんだと思う……」
「それは、俺も同じかもしれないぜ?」今の言い方だと、俺はそうじゃないんだと言いたげだ。それは違うのかもしれない。
「……どういう意味だ?」
「俺も、結局はリオンを、アンドロイドとして見ていたと思うよ。その中で、確かに恋愛に近いものを感じていた。でも、それは人間に対してのものと少し違ったのかもしれない。同情とか、哀れみとか、ひょっとしたら自己陶酔とか、そういう勝手なものが芯にはあったと思う。だから上手く逃げ出しても、だんだん気持ちが冷めていったかもしれないさ」
結局、リオンが言っていた通り、リオンはアンドロイドであって人間ではないのだ。それを認めないのはきれいごとで、何よりも残酷なものだ。明らかに自分とは違うものを持つ者に対して、それに気付かないフリをしてごまかしていく。俺も結局そうだったのだろうか。「お前は人間だ」とリオンに二度目に語った時、俺は何を感じていたのだろう? 恐らくはそういう勝手なものが、少しは含まれていた。
「考え出したら、キリが無い……どうとでも解釈できる」俺はそう言って、アビムの傍にあるタイヤに近付いた。
「これ、どうすればいい?」
「……ああ、荷台に乗っけといてくれ」アビムは少しだけ俺を見て、すぐに作業に戻った。
荷台に、タイヤを乗せる。そこに横たわるリオンが見える。また、取り留めの無い思いがちらつく。俺は意識的に目を逸らし、道路のわきへと行った。座る。
どのくらい座っていたのかはわからない。気付くと、アビムが目の前に立っていた。
「……終わったぞ。バグロに戻ろうぜ」そう言うと、返事を待たずに車の方へと向かう。もちろん、まだ右足には血が付いている。いつの間にか、何かの布で縛るという簡易的な止血がされていた。
俺は後について歩き、助手席に乗り込んだ。五秒遅れで、アビムが運転席に座る。
「とりあえず、病院だな」俺はアビムの右足を見て言った。
「当たり前だ」少しだけ、笑う。いつものようだ、と思った。
「運転できるのか?」
「多分、な」
アビムがアクセルを踏み、エンジンが動く。バグロの方へと、トラックは走り始めた。
窓の外を流れる景色は、もう大分黒くなっていた。夕方を少し過ぎ、まだ夜ではない。バグロに行けば、もっと暗くなっているような気がした。
改めてリオンの事が頭をよぎる。何処かに埋めてやるとアビムに言ったが、何処に? 必然的にバグロの近くになるだろう……待てよ。
「止まってくれ」俺は運転席に首を回した。アビムは驚いたようだったが、すぐに従った。
「……何だ?」
「……リオンを、この辺りに埋めたい」
「何だって?」
「バグロに、埋めたくないんだ。いつ掘り起こされるかわからない。……この辺りなら、まだ……」ここら辺だって、危険度は大して変わらないかもしれない。しかし、バグロとの間には、確かな境界線があるような気がし始めていた。「頼む」
「別にいいけどよ……スコップ、あったっけな……」
俺とアビムはトラックから降りた。荷台に上り、まずリオンを下ろす。次いで、スコップを探した。アビムは下で待機している。どうやらもう血は止まっているようだが……無理はさせない方がいいだろう。
スコップを片手にトラックから降り、アビムに手渡した。俺はリオンを抱えて、舗装された道から少し歩いた。割と大きい木がある。あそこの下までだ。
木の下で、リオンを下ろす。ついてきたアビムからスコップを受け取り、穴を掘り始めた。結構小さいスコップだ。……時間がかかるかもしれない。
「結構、時間かかるかもな……足、大丈夫か?」俺は汗を拭い、アビムを見た。
「……大丈夫だよ、多分。第一、この時間に営業してる医者なんていないだろうし……」そう言って、笑った、はずだ。暗いので細かい表情はもう見えない。
そうやって、十分ほど掘り続けた頃だった。まだ穴は浅く、今の倍くらい掘った方がいいかなと考えていた。
「パシェック……」アビムが声を出した。見ると、どうやらリオンを見ているようだった。
「何だ?」俺はスコップを両手で持ち、手を休めた。
「いや、続けながら聞いてくれ。独り言みたいなもんだから」そう言われたので、俺は再開した。
「リオンはさ、どうして生まれたんだと思う?」
「……何か、原因不明のバグでできたんだろ?」俺は掘り続けながら答えた。ざぐっと言う音が定期的に鳴る。
「……確かにそうだ。でも、どうしてそのバグが起きたんだろう?」アビムはまさしく独り言のように言った。俺の回答を期待しているわけではないようだ。だからという訳では無いが、俺は口をつぐんだ。
「俺、今になってこう思うんだ。……イブは……リオンは、生命が造られたのと同じように生まれたんじゃないかって」
「……どういう意味だ?」結局、俺は穴を掘る手を止めていた。
「つまり、生命が誕生したメカニズムは未だによくわかっていない。原因となった現象はあれこれ推理されているけど、どうしてその現象が生命を生み出した原因となったのかは、わからない場合が多い。それと同じような事……あえて言うなら『神の悪戯』というやつが起こって……リオンという人格は生まれたんだと思うんだ」アビムは淡々と語った。
「……もう、どうでもいいけどさ」そう言って、アビムはようやく俺に視線を向けた。
「……」俺はスコップを手に、少し考えた。
確かにそう言える。現象の説明を科学的にする事はできる。しかし、そのキッカケは何なのか。それを説明する事はできない。キッカケと言える現象があっても、それがなぜ起きたのか、答えは出ないだろう。生命の誕生という場合、それは神の悪戯と言うより、生きようとする意志だったのかもしれない。それが、機械であるアンドロイドに起こったとしても不思議では無い……のか?
「わからないな……」俺はほとんど影となったアビムを見て言った。
「そうだからどうしたと言われたらそれまでの話だし……まさしく考えたらキリが無い事だけどよ」
「……そうだな」
それから、沈黙が訪れた。
大きな穴ができた。そこに、リオンを入れる。暗くてよく見えないが、だからこそより人間のように見える。俺は土を被せていった。少しずつ、リオンの体が隠れていく。やはり、何だか妙な気分だった。人間の死体を埋めている事と変わりないのに、何かが違う。心にモヤがある。しこりがある。
俺は、リオンを埋め終えた。埋めている間、俺は無言だった。アビムもそうだった。
アビムはトラックをバグロに向けて走らせていた。俺はその助手席に乗っている。何となく、すっかり暗くなった流れる景色を見ていた。昨日今日で起こった出来事が、浮かんでは消えてを繰り返した。それは小説を読み終えた時の感覚に似ていた。
眼を閉じた。息を吐く。明日からまた、一週間前と変わらない日常が始まる。ゆっくりと死んでいくような時間だ。
「……大丈夫か?」アビムが聞いてくる。俺は眼を開けた。奴がこっちに首を向けていた。
「大丈夫だ。お前こそ、本当に足、大丈夫か?」
「俺のはただの怪我だからな……」アビムは首を正面に戻した。
「どういう意味だよ」
「もう、生きるのが嫌になっちまった、とか考えてねえかなって……」アビムはこっちを見ずに言った。
「そんなわけねえだろ……こんなんで自殺してたら、俺はもう何回も死んでるよ」俺はそう言って苦笑した。
それを受けて、アビムも少し笑った。
その後、特に会話を交わす事はなかった。アビムは無言でトラックを運転し、俺は無言で窓の外を見ていた。
バグロに着き、俺はバイクをトラックから降ろした。それに跨りながら、運転席の窓の下まで行く。アビムは窓を開けた。
「いろいろ……悪かったな。迷惑かけた。……足の治療費は、何かで埋め合わせするからよ」
「そうして貰えると嬉しいな。今度お前の奢りで飲みに行こう」そう言って、笑う。
「ああ、それぐらいはしてやるよ」俺は仕方無く了解する事にした。そして、笑ってやった。
「それじゃあな……」
「……ああ、またな」
トラックは進みだした。俺はそれを見送った。バグロの暗闇の中に、トラックはすぐに飲み込まれていった。それを眺めていると、もうこれが今生の別れであるような気分だった。
長間隔に設置されてある街灯を頼りに、俺は自分のアパートまで辿り着いた。当然のごとく、襲撃の後があった。マシンガンみたいな銃で撃ったのだろうか、アパート全体に弾痕が残されていた。しかし、血痕は無い。どうやら思ったとおり、死傷者は出なかったようだ。少しだけ、安心した。
一日とちょっと振りに、部屋のドアを開ける。慣れ親しんだ軋みの音。そしてドアを閉じた後は、無音。何も変わっていなかった。電気を付け、ベッドに横たわる。昨日と今日で、一ヶ月は生きた気分だった。一日とちょっと前、ここにはリオンがいた。初めは、退屈な日常のちょっとした変化だった。俺には何の影響ももたらさずに、いなくなるものだと考えていた。だが、それは少し違った。
……やっぱり好きだったんだな……
汚い天井を見ながら、他人事のようにそう考えていた。鼓動が高まり、胸が締め付けられる。瞼を閉じれば、一人の女が浮かぶ。恋愛状態だ。でも、その対象はもういない。
ロマンチックとは程遠いバグロという街。その片隅で、俺は泣き始めた。……明日になればもう忘れていると、自分に言い聞かせながら。