Chapter.Ⅲ クライマックス・イブ
Chapter.Ⅲ クライマックス・イブ
夜になっても、俺はそこに座っていた。何をしたらいいのかわからなかったし、何もする気になれなかった。
リオンの事を考えていた。彼女はアンドロイドだった。話は聞いた事がある。どこかでアンドロイドの研究、製作が成功し、金さえ出せばどんなタイプのものでも造れるようになった事。そのアンドロイドは極めて高性能で、ほとんど人間と変わらない。体温があり、血を流し、涙も流す。食事をし、排便もする。性行為もできる。それなりに複雑な感情を持ち、喜怒哀楽も表せる。とは言え、黒服の言ったとおり、扱いやすい性格のものの方が多く造られているという事。
しかし、それは人間ではない。腕をナイフで切り落とせば、中から金属が見える。もちろん、そう簡単に切り落とせるほど軟らかくは無いが。そして、子供を作る事はできない。噂によると、妊娠・出産に必要な器官を装着させる事は不可能ではないが、倫理上の問題でストップがかかっているらしい。
そして、アンドロイドに人権は無い。黒服の言ったとおりだ。スターナに限らず、アンドロイドに人権を認めたという地域は無い。要するに、アンドロイドはまさしく道具なのだ。当然になるのかもしれないが、アンドロイドの生産数は、女性型の方が圧倒的に多い。目的は……性奴隷だ。
そういう状況である以上、リオンは合法的に監禁され、陵辱され続ける。彼女がアンドロイドである限り。それを連れ出すのは、確かに泥棒だ。裁判をしても俺が勝つ事はありえない。
そういう状況に腹が立つのと同時に、自分自身に強い怒りを感じていた。
俺は、彼女に何を言った?……「オマエハドウグジャナイ、ニンゲンナンダゾ」……俺にそう言われた時、彼女はどんな心境だったのだろうか。想像もできない。人間じゃないというのは、どういう気分なんだろう。人間と同じ姿をしていながら、機械であるという事。誰からも、守られていない。愛されていない。その状況で、存在し続ける事。それは、どういう気分なのだろうか。恐らくその悲しみに近い感情の傷を広げるような行為を、俺はしたのだろう。もし自分が人間だったなら、リオンはあの時も逃げようと思ったのかもしれない。しかし、彼女は人間より道具の方が近い存在なのだ。そんな彼女に俺は……彼女が諦めるキッカケとなったのは、もしかして、無知な俺の言葉だったのかもしれない。
いつまでも、座っていた。もう陽は完全に沈み、真っ暗になっていた。時々、目の前の道に車が通る。そのライトがうざったかった。バグロとスターナを行き来する人間はそんなにいない。商用で行き来する人間が少しいるだけだ。それも夜になってからは、さらに少なくなる。
俺は、眼を閉じた。眠たいわけじゃないが、動く気になれない。無力感が、全身を支配していた。そのまま、少し時が流れた。
「……パシェックか?」上方から、声がした。眼を開けると、トラックが止まっていた。
「……アビム?」俺は立ち上がり、運転者を見た。よく知っている太り気味の顔があった。
「こんな所で、何してんだ? 風邪ひくぞ」
「……そうだな」
「……ま、乗れよ。バグロまで連れてってやる」
「悪い」俺は服に付いた土を払い、助手席に乗り込んだ。
「あの後、何があったんだ?」アビムはまずそれを聞いてきた。
「……アビム」
「何だ?」
「今晩、暇か?」
バグロのバー。客のほとんどは一人者。当然静かだ。その中で、俺とアビムは酒を飲んでいた。
「……アンドロイドか……俺たちには無関係な事だって思ってたけどな」アビムはグラスを傾けた。
俺はアビムに全てを話していた。気をまぎらす為、というのが一番の理由だった。
「それで、どうするんだ? これから」
「……別に……もう、どうする事もできねえよ」俺はグラスを一気に空けた。少しきついカクテルだったが、今の俺には丁度よかった。「……同じのを」バーテンダーに、グラスを渡した。
「じゃあ、諦めんのか?」
「……そうだな。ちょっと、でかすぎる問題だ。俺一人じゃどうにもならねえよ。……最初はさ、小さいイザコザだと思ってた。退屈な女の子が、幸せすぎる家から抜け出したくなった……みたいな。だけど、そんなんじゃなかった。あいつは……どうしようもない状況で、ずっと苦しんでいたんだ。……アンドロイドだから、何も抵抗できない。そんな中での精一杯の抵抗は……無駄に終わった。だから……あいつは……もう、諦めちまったんだと、思う。法律で、でかい力で縛られてる上に、本人が諦めてんなら……もう、何もできねえよ」俺は、バーテンダーが差し出したグラスを、一気に空けた。「もっと強いやつくれ」バーテンダーに、グラスを渡した。
俺が喋っている間、アビムはただ聞いていた。酒を飲むペースが速くなっていた。……俺もだが。
「じゃあ、お前はどうしたいんだ?」アビムが聞いてきた。
「どうしたいって……だから、諦めるしかねえよ。リオンが、自分から行っちまったんだから」
「そのアンドロイドの彼女の事はどうでもいい。お前自身はどうしたいんだと聞いている」アビムの目つきが変わっていた。一定量を超えた眼をしていた。
「お前、飲みす「うるさい、答えろ」声も、低くドスが利いたものになっている。いつもの臆病な肥満体ではない。
「いいか。そのリオンってアンドロイドはもう諦めてるだろうさ。でも、そんな事は関係ないだろ。それで彼女が何らかの幸せを得られるんならいい。でも、そうじゃないんだろ? でもどうしようもないから諦めてる。だから、お前も諦めんのか?……それ、何か変だろ」確かに、一理ある事だ。しかし……
「……言うのは簡単だ。でも「簡単か困難かの問題じゃねえ。助けたいのかそうじゃないのかだ。このままほっといて、お前は二、三日したらけろっと忘れられらるんのか? そうじゃ、ねえだろ」アビムは酔うと人格が変わる好例だ。その強気な発言には、いつも何らかの自信があった。しかし、根拠は薄い。
「……できる事なら、救いてえさ。でもよ……」
「惚れてんだろ? その彼女に」唐突に。
「……あるいは、そうかもしれない。よく、わからない」
「惚れてんだよ。そうじゃなきゃ、どうしてスターナまで行った? 冗談じゃなく、死ぬかも知れねえのによ。人間が論理に合わない事をすだしたら、大抵恋愛が絡んでるぜ」
「……そうだな。お前の言うとおりだよ……でも、だ。そうは言っても、簡単な事じゃない。それに上手く連れ出せたとしても、その後はどうする?……まさに地平の彼方まで、逃げねえといけない。……俺の一存で、そんな事していいのかな……」
アビムはそれを聞くと、一度間を置いた。要するに、グラスをあおった。半分くらい残っていたものが、一気に空になった。
「そこに比べたら、ろんな所でも天国って場所がありゅはずらぜ」アビムはそう言って、微笑した。呂律が回っていないので、決まらない。
「……そんなものかな」俺は、グラスを空けた。決意は、固まっていた。
「……アビム」
「何だ?」
「協力してくれるか?」
「……もちろんだ。何でもやってやるよ」
「……ありがと、な」俺は手を差し出した。アビムはすぐに握った。
やってやる。何を、どこまでできるかわからないが、やってやる。アンドロイドだろうが関係ない。法律で決まっていようが関係ない。俺はリオンをあの館から出してやる。もう、彼女の為じゃない。俺の為だ。俺自身がそうしたいから、それを実行する。失敗し、敗北感を、無力感を感じるかもしれない。そんなものを感じる事も無く、死ぬかもしれない。それでも、やってやる。扉を開けないと、その先はわからない。だから、やってやる。
その後その店を出て、アビムの部屋に向かった。彼の酔いは当分醒めなさそうだった。そっちの方が、都合よい。
あれから、二日が過ぎた。彼は、もう戻ってこないだろう。黒服の男が言ったとおりに、もう二度と首を突っ込まないだろう。今頃、自分の行動を自嘲しているかもしれない。機械相手に何をやっていたんだ、と。あるいは私に対して怒りを感じているかもしれない。機械仕掛けの人形のくせに、私は何を期待していたのだろう? 彼が私をここから解放してくれたとしても、私の正体を明かさねばならない時が来ていた。その時、彼はどう応えただろう? 今までずっと、人間だと信じていた者が、只の機械だった。それは一体どんなショックだろう?
ベッドの上で寝転びながらぼんやりとしていた。また、涙が出た。私はどうしてこんなに精巧に造られているのだろう。どれほど涙を流しても、私が人間になれるわけじゃない。笑顔を作り続けても、体の構成物質が変わる事はない。いつまでも、私はアンドロイドのままだ。タンパク質の塊にはなれない。
……どうして私は悩むのだろう。一般的なアンドロイドは、悩まない。悩む事無く、疑いを抱く事無く、主人に絶対服従する。その方が、どんなに幸せな事か。自分の存在意義を一点に絞り、与えられた義務を遂行していく。悩みも、悲しみも無い。……そんな風に造られたかった。
涙は止まらない。彼の事が頭にちらついた。離れない。苦しい。私が去っていく時の、彼の顔。信じられない、という顔だった。彼のその時の思考を推察する。嫌だった。でも、頭から離れない。涙が止まらない。
部屋のドアが開いた。私ははっとしてその方向に目をやった。ゴシュジンサマが立っていた。
「また泣いていたのか」少し、嘲りが混ざった声で言った。
「……」私は涙をシーツで拭き、窓の方を向いた。今夜は、晴れていた。
「……フッ」今度ははっきりと、嘲笑した。
「……」
「バカな男の事でも考えていたのか?」そう言ってから、ゴシュジンサマは短く笑った。
「……」
「しかし、本当にバカな奴だよな。たかがアンドロイドの為に必死になって……しかもその事、知らなかったんだって?……クックック……あははははははははは!」心から可笑しいらしく、腹を抱えて笑っていた。
「……」私は、ゴシュジンサマを睨んだ。恐らく殺意に似た感情で。
「ククク……」笑いを浮かべたまま、私に近付いてくる。
「……来ないで」私はベッドの上を後ろに下がった。すぐに、壁に当たる。
「そう。そうやって、抵抗しろよ。そうしないと、燃えないだろ?」また、笑った。
「嫌っ!」私は、枕を投げつけた。ゴシュジンサマは、軽くかわす。まだ、笑っていた。
どうしてこんなに嫌がるんだろう。諦めてしまえば、楽になるのに。抵抗しなければ、楽になるのに。頭ではそう考えていても、ゴシュジンサマがとても汚らわしいものに見える。こんな人間に抱かれるのは、我慢できない。いや、違う。私は数え切れないほど我慢してきた。それなら、後何回抱かれようと同じだろう。……でも、抵抗する。
ほとんど無駄な抵抗をしているうちに、私とゴシュジンサマの距離は詰まっていく。もう、互いに手が届く。ゴシュジンサマは、私を押し倒した。それをキッカケに、私は諦めていった。そう、そうすれば、きっと少し楽になれる……
自分が泣いているのがわかった。先程のものとは、きっと別のものだろう。……本当にそうなのだろうか。さっきは、どうして泣いていたのだろう。彼にもう会えないから? 今は? これから陵辱されるから? もう何度も、されてきたというのに?
そう、いつもと変わらない夜だった。私が逃亡を試み、失敗する前と何も変わらない。きっと、これからも変わらない。わかっていたはずだった。
私は犯されながら、泣いていた。きっとそれを見て、ゴシュジンサマは満足しているだろう。
「……ククッ……クハハハハハハ!」脱力した私を犯しながら、ゴシュジンサマは笑った。
……どうして私は造られたの?
どうして私は生まれたの?
どうして私は愛されないの?
愛が無いから愛されない?
愛されないから愛が無い?
一体私はどっちなの?
私はどうして存在し続けるの?
「私」は何処にいるの?
……誰か、私を楽にして……
お願い。
アビムと共に決意を固めてから、二日過ぎた。情報と、道具を収集していた。酔いが醒めたアビムはいつも通り臆病になっていたが、協力を拒む事はしなかった。
「……じゃ、行くか」準備が全て終了したところで、俺はアビムに確認した。
「ああ……」少し、怯えている様でもある。しかし、ただの引っ込み思案ではなくなっていた。
「じゃ、俺は行くぜ。上手くやれよ」アビムはそう言って立ち上がり、部屋を出て行った。少しして、トラックのエンジン音が聞こえてきた。俺は時計を見た。午後五時三十三分。
十分後、俺はバイクに跨り、スターナへ走らせていた。
……上手くいくだろうか? 上手くやれるだろうか? アビムは上手くやってくれるだろうか?……今、考えても意味が無い。
失敗のビジョンは幾つも浮かぶ。同程度の確率のはずなのに、成功のビジョンはあまり浮かばない。どちらにせよバグロには、もう二度と、戻れない。……今になって、結構悪い街ではなかったと思えてきた。……いや、自分の手から離れていくものは、何でも美しく見える。それだけだ。
俺は正しいのか? 俺は正しい事をしようとしているのか?……カビが生え、さらにそれが腐ったような古いフレーズが浮かんだ。あるいは厚さ一センチほど、手垢がびっしりとこびり付いた言葉。正しい事なんて、この世にあるものか。大昔、何処かで誰かが勝手に決めたものだ。恐らくは、その時一番強かった者。
正しいか、正しくないかはやってみればわかる。成功したら正。失敗したら不正。そんなもんだろう。……絶対に正しくしてやる。三度目の正直って奴だ。
スターナが、近付いてきた。薄暗く、もうすぐ夜がやってくる。
……リオン、待ってろよ。