Chapter.Ⅱ スターナという街
Chapter.Ⅱ スターナという街
私は、来た道を戻っていた。もう助けを求める事に意味は無い。町並みがガラリと変わり、私は戻って来た事を実感させられた。結局、私には何もできなかった。それだけではない。少なくとも一人が、私のせいで帰らぬ人となった。彼の家も、私のせいで破壊された。
私は今、何らかの車に乗っている。窓から見える景色から、それなりのスピードを出している事がわかる。左隣には、黒い服を着た男。私を捕獲し、パシェックを殺した男が座っていた。今も、無表情で私を監視している。
……随分短い逃走劇だった。パシェックは私を家出少女と見ていたようだけど、案外その程度だったのかもしれない。自分ではかなり遠くまで逃げたつもりだったが、実際は管理者の手の届くところまでしか歩いていなかった。
不意に、涙が出そうになる。……誰かの優しさに触れたのは、ひょっとしてこれが最初で最後かもしれない……指で、眼を擦った。
「……私が憎いか……」無表情のまま、黒服が聞いてくる。
「別に……」私は眼を逸らした。
「そうか……もう、こんな手間をかけさせるなよ。時間と金の無駄だ」無表情のまま。
「……どうして、彼を殺したの?」男を見ずに聞いた。
「時間短縮の為だ。ややこしくなりそうだったからな」
「……それだけ!?」少し、口調が荒くなる。
「そうだ」
私は黙り込んだ。そして、やはり彼の事を考えた。私に出会ったりしなければ、彼は今も生きているはずだった。間接的に、私が彼を殺した事になる。私がこんな事をしなければ、彼はこれからもそれなりの幸せを得られただろう。
また、涙が出てくる。自分の不幸に耐える自信はついてきたというのに、他人の不幸でこんなに悲しくなるなんて……そもそも、私は他人の不幸なんて見てきた事が無かった。そのせいだけだろうか……
車が、止まる。「館」に着いたようだ。閉じていた眼を、開けた。見覚えのある風景だった。降りるように言われ、それに従う。「館」に入るよう言われ、それに従う。真っ直ぐ歩くように言われ、それに従った。……もう、私はいつものように人形と化していた。逃げられないのなら、その中で一番楽な方法を選ぶしかない。
ゴシュジンサマの部屋の前に来た。隣には、あの黒服。黒服はドアを開け、私に入るように促した。私は従った。
ゴシュジンサマは、不機嫌そうな顔をしている。私の姿を見ると、大股で近付いてきた。
頬を叩かれた。かなり強く。私は倒れた。誰も何も言わない。
「……勝手な事しやがって」ゴシュジンサマはまだ怒っているようだった。私の髪を掴み、無理やり立たせる。痛みを強く感じた。
「こんなワガママな奴には、お仕置きが必要だな……」私はその言葉を、当然のように受け入れた。こうなる事は、わかっていた。
何も変わらない。
私は帰ってきた。
この、場所に。
これからも、ずっと居続ける。
だって、私は……
「……本当に大丈夫なんだろうな」アビムという、少々肥満気味の男は呟いた。これで三回目だった。
「大丈夫だ。お前に迷惑はかからない」アビムが運転しているトラックの助手席に座っている男がそう返した。
「でもなあ……お前はよく嘘を吐くからなあ……」
「アビム、一生で一回くらいは俺の事を無条件で信じてくれよ」
「……その台詞、もう五回くらい聞いたぜ」
「じゃあ、一生で十回くらいは信じろ」
「……もういい」
アビムはトラックの運転に集中し始めた。しかし、元来臆病なこの男は、また不安に包まれる。
「本当に、大丈夫か?」
「しつこいぞ。第一、危なくなったら逃げればいいだろ」
「気付いた時にはもう遅い事だってある……」
「……大丈夫さ」
「でも、それ、銃だろ?」
「……まあな……」男は、自分の服に開いた穴をいじった。
「……やっぱり、やばいよ。銃はいけねえ。近寄らなくても死んじまうから……」アビムはよくわからない説明をしながら首を横に振り、トラックのスピードを落とした。
「アビム、頼むから少し大胆になってくれ。今頼れるのはお前しかいないんだ」男はアビムを見て、強い口調で言った。
「……わかったよ……でも、運ぶだけだからな」渋々、といった声で答えた。
「わかってる……ありがとな」男はそう言うと、ポケットから何か携帯テレビのようなものを取り出した。
「何だ? それ」当然のように、アビムが聞く。
「発信機のレーダーだ」男は少し笑った。
「発信機? そんなもんどうやって……」
「あの服だよ。お前がどこかで拾ってきたやつ。女物だったから使う機会なんて無いと思ってたけどな……彼女、運がいい事にそれを着てるんだ」
「ああ、あれか……発信機付きの服? 実際、本来は何に使うんだろ……」
「……恐らく、ガラメドで使ってるんだと思う。女たちが逃げた時の為に……裸で逃げるわけにはいかないからな」
「あー、なるほど……そろそろだぜ」アビムの言うとおり、街の景色が変わってきた。
「無理言って、悪かったな。……よし、いいぜ」男がそう言うと、アビムはブレーキを踏んだ。大きなトラックが揺れ、止まる。男はドアを開けて降りた。トラックがターンして、また止まる。男はトラックの荷台から、バイクとトランクを降ろし、バイクにまたがっていた。
「……気を付けろよ。何やろうとしてんだか知らないけどよ」アビムは運転席に乗ったまま窓から男にそう言った。
「ああ……本当に、ありがとな」
「よせよ……」アビムは照れたように笑った。
「……これ、取っとけ。少しは役に立つだろ」そう言って、アビムは窓から男に銃を手渡した。
「悪いな……」
「どうせ、売っても大した金にならねえ。気にすんな」
「ありがとよ……じゃあな。アビム」
「……じゃあな」
トラックとバイクは、別方向に走り出した。
バイクに乗った男は考えた。一体自分は何をしようとしているのだろう。ついさっき会ったばかりの少女の為、何をしようとしているのだろう。彼女を縛り付けている何ものかから解放させる? 自分にその権限があるのか? 自分に何のメリットがある? 死ぬ確率を上げるような事を何故するのだ?……答えは、何となく、そうしたかったからだ。そうとしか言えない。第一、自分はそんなに「正」に執着してはいない。どこかで分岐点を間違い、バグロに堕ちたあの日から。
そして、何よりも、あの少女の事が気にかかっていた。自分は何も知らない。だから、知りたい。彼女が何者なのか。聞いたが、答えが得られないまま彼女はいなくなった。ひょっとして、彼女に恋愛感情を抱いているのかもしれない。さっき……ほんの一時間ほど前に会ったばかりなのに? いや、そんな事は関係無い。人間は一秒で恋に落ちる事ができるのだから。
とにかく、理由を考えている暇は無い。今、自分は何かをやろうとしている。迷わない方が、成功率は上がる。
男は、バイクのスピードを上げた。夕暮れが、その金属部分に反射した。
スターナの中心部に辿り着いた。今俺は、少し紺が混じった黒のスーツを着ている。バイクはまだ人が少ない所で置いてきた。その時、目立たない服装に着替えておいた。バグロだったら、目立って目立ってしょうがないだろうが。
街を行き交う人々は、皆幸せそうだった。それは俺がひねくれているせいもあるだろうけど……
ベンチに座り、できるだけ自然にレーダーを見た。もうかなり近くまで来ている。服に、という意味だが。リオンと服がばらばらになっていたら、このレーダーは何の意味も無い事になる。
もう少し……こっちだな。
心の中で呟き、また歩き始めた。
このあたりは住宅街らしく、豪勢な家が並んでいる。黒服の男が「館に帰る」と言っていた事を、思い出した。確かに、全部「館」だ。○○家ではなく、○○邸と言う方がふさわしい物件ばかりだった。
少し歩いたところでまたレーダーを見た。現在位置を示す赤い点のすぐ右に、服に付いている発信機を示す緑の点がある。そこには、この住宅街でも一際大きい「館」があった。どうやらここで間違い無い。……さて、どうするかな。
少し悩んでいると、館の入り口からメイドが出てきた。玄関先の掃除だろうか、箒を持っている。まだ若い。……使える。
「……すいません」俺はできるだけ普通の人間らしく振舞った。
「はい、何か?」突然の来客に慌てるような素振りは無い。俺はそのまま彼女に近付いた。普通なら、必要無いほどの至近距離に。
「ちょ、ちょっと、何ですか?」メイドは不快そうな声を出した。
「……声を出すな」その脅しと同時に、アビムからもらった銃をメイドに向けた。彼女は「ひっ」と小さい悲鳴を漏らした。
「声を出すな。わかったか?」
メイドは目を大きく開け、こくこくと頷く。箒はとっくに落としていた。
俺は少し周りを見た。幸運な事に、通行人はいない。……今考えると、危なかった。もっと考えて行動しなければ。
「……あの小屋は、何だ?」庭の隅にある小屋……物置と言った方が正しいか。とにかくそれを見ながらメイドに聞いた。
「あ、あれは……よ、用具入れでっ、です」つっかえながらも、きちんと答えた。
「ちょっとついてこい。声を、出すなよ」俺は念を押し、彼女を引っ張った。
物置の中。暗い。豆電球があったので、それを点けた。
メイドはいまだに震えている……当たり前か。男に銃を突きつけられて、狭い密室に押し込まれたのだ。その男と二人きりで。生命及び貞操の危機を感じない方がおかしい。
「……安心しろ。何もする気は無い。ただ、ちょっと聞きたい事がある」
「……何でしょうか……?」まだ、警戒は解けていない。それも、当たり前。男の「何もしないから」ほど、信じてはいけない言葉は無い。
「この家に、リオンという女はいるか?」俺がそう言った途端、メイドの表情が変わった。
「あの……リオン、ですか?」意外そうな表情になって、聞き返してきた。
「そうだ。この家の娘か?」
「いいえ……その……」少し、予想外れだった。何をしたかはわからないが、とにかくいいとこのお嬢様だと思っていたが……
「じゃあ、何なんだ?」
「……その……ご存知では、無いのですか?」メイドは俺を見てくる。
「ああ。何も知らない。名前と姿以外は」
「その……リオンは……その……」なぜか、言い濁る。
「どうした。はっきり言え」
「……リオンは……若旦那様の……その……奴隷です」聞き慣れない言葉の為、少し理解が遅れた。
「奴隷? 何だそりゃ」
「ですから……あの……若旦那様の、その……下の世話を……」メイドは俯き、顔を隠した。それで、やっと理解した。
「……若旦那という奴の、性欲処理をしているって事か?」俺はできるだけやらしくない言葉を選んだ(つもりだった)。
「……はい」メイドは俯いたまま答えた。
少し予想外、大いにショックだった。スターナに帰る事をあんなに嫌がっていた理由が、わかった。
「そうなのか……」俺はうなだれた。
「……あの……もう、宜しいですか?」メイドが聞いてくる。
「いや、ダメだ。悪いが、ずっとここに居てくれ」
「はあ……でも……」彼女は俺の言葉を、少し履き違えているようだった。
俺は物置の中を見回し、ロープを見つけた。それを取り、メイドに近付く。
「な、何を……」再び、メイドの目に恐怖が宿る。
「声は上げるなよ……悪いな」一応謝り、彼女を押し倒した。
「い、いやっ! やめてぇっ!」
「騒ぐな!」銃を、メイドの目の前に持っていく。彼女は次に上げるべき声を飲み込んだ。
「襲う気は無い。少し……いや、ずっとここに居ればいいんだ」そう言いながら、俺はメイドの手を、足を、縛っていった。最後に、棚に置いてあったテープで彼女の口を塞いだ。
「んん……」何か言いたそうに、潤んだ眼で俺を見てくる。中途半端な俺の心は、少し痛んだ。
「帰る時に、開放してやるよ。それまでおとなしく待ってろ」俺はそう言い残し、物置を出た。
相変わらず、誰も居ない。しかし、この館の中まで無人ではないだろう……どうやって侵入すればいいのか……
とりあえず、リオンが居る館はわかった。それからの事はまた考えよう。何かチャンスがあるはずだ。
俺は館から少し離れ、監視した。何か事件でも起きれば、そのどさくさに紛れて何とかできるのだが……そんな都合のいい事は起こらない。
……先程のメイドの話が思い出された。若旦那の奴隷……下の世話……リオンが陵辱されているイメージが次々と浮かんでくる。そして、怒りを覚える。やっぱり、多かれ少なかれ俺は彼女に惚れているらしい。
「畜生……」しかも、だ。リオンの役割はそれだけなのだ。ただ陵辱される為だけにあの館に居る。まさに飼われているという言い方が合う。……そんな事、許されるのか? ここは平和なスターナだぞ? あの無法地帯のバグロとは違うんだぞ?
顔も知らない若旦那に、殺意を覚えた。
……とにかく、今は待つしかない。何かキッカケが訪れるのを。
お仕置きが終わった。結局、いつもと何も変わらなかった。ゴシュジンサマは私を抱いた。何度も、何度も。私に拒否する権利は無い。そして、その意思も無かった。
なのに、涙が出た。心から、悲しくなった。どうしてだろう? とっくに諦めていたというのに。どこかでまだ、期待しているのだろうか。ここから抜け出せる事を。少し前に失敗したばかりだというのに。どこへ逃げても、同じ事だった。私が私である限り、ここに縛り付けられる。それなら、無駄な足掻きはやめた方がいい。でも……
一人の男が瞼の裏に現れた。彼は、私を救えただろうか? 何もかもを話していれば、何かいい考えを導き出せたのだろうか?……今となっては、遅すぎる。彼はもういない。
裸のまま、私は体を起こした。ゴシュジンサマはもう居ない。広すぎる部屋に、私は一人で居た。忘れかけていた孤独を、思い出した。
体を洗い、服を着た。パシェックの部屋にあったもの。また、彼を思い出す。その思考を、払った。
部屋から出ると、黒服の男が立っていた。監視役だろう。パシェックを殺した男とは別の男だった。それより屈強で、何処と無く鈍器を思わせる風体だった。
「外出か?」事務的な口調。
「……」私は無言で頷いた。
私が歩くと、男は並んで歩き始める。もう逃げる意思など消えていたが、どちらにせよこれでは不可能だなと思った。
庭に出てからも、その男はぴったりとくっついていた。気にしないように、花を眺めた。夕暮れの光が、白い花を少しだけオレンジに染めている。私の唯一の楽しみ。儚く生きているものを眺める事。でも、悲しみは拭いきれない。眼の奥が、どんどん熱くなっていく。胸が刺されたような痛みを訴える。
どうして私は存在するのだろう? どうして……? これ以上私として在り続けても、悲しみが増えていくだけだ。ならばいっその事、誰か私を葬り去って欲しい……
私は泣き始めた。少し離れた隣で黒服の男が、冷ややかにそれを見つめているだろう。
「……こんなところで、泣くなよ」
私ははっとして隣を見た。そこに居たのは、黒服ではなく、少し紺の混じった黒のスーツを着た男だった。こちらに向け、微笑している。その足元で、黒服の男が倒れていた。
「……どうして……」うまく言葉が出なかった。
「バグロじゃ、生活必需品だ」彼はシャツのボタンを一つ開け、中を見せた。白っぽい何かを着込んでいる。言いたい事はわかった。防弾チョッキだ。
「あそこで起き上がっていたら、止めを刺されただろうからな。あの時は丸腰だったし……」彼はまだ何か言っている途中だったが、私は構わずに抱きついた。
「おい……」
「本当に、パシェック?」
「……ああ、お前こそ、リオンだよな?」
「……うん」
彼は私を一旦離した。
そして、倒れている黒服の男の背中に、紙切れを置き、その上に石を乗せた。風で飛ばないようにしているらしい。
「それ、何?」
「……ちょっとした伝言だ」そう言って彼は微笑んだ。
その紙を見ると、「用具入れに女が監禁されている」と、書かれていた。
「とにかく、逃げるぞ。こんなところで話している余裕は無い」
私は、頷いた。
「走れるか?」
また、頷いた。
「よし、走るぞ!」彼は私の手を取り、駆け出した。私は必死でついていった。
俺たちはスターナの中を走っていた。たくさんの人間に見られていたが、気にしていなかった。時々後ろを振り返ったが、追いかけてくるものは無かった。
人家が少なくなっていき、バグロが近い事を表している。俺のバイクが置いてある所まで、後少しだ。
「リオン、大丈夫か?」俺は隣を見た。彼女は頷いたが、かなり辛そうに見えた。
「……少し休もう」俺は走るのをやめ、手を離した。
辺りは廃ビルがあったり、枯れた木があったり、何らかの壊れたものがたくさんあったり……廃墟と呼ぶにふさわしい光景だった。もう、スターナではない。どちらかといえばバグロにあたる。そんなところまで俺たちは来ていた。
リオンの呼吸は荒かった。やはり、かなりの無理をしていたようだ。
「大丈夫か?」
「……うん……」
少し、休んだ。
「さっき、あの家の奴から聞き出したんだ。お前が、何なのか……」あえて明言しなかった。
「……」彼女は何も言わなかった。
「そりゃ、逃げたくなるよな。その……そういうのはよくわからないけどさ」
彼女は何も、答えなかった。しかし、何かを考えているのはわかる気がした。
「……ありがとう」不意に、リオンが呟いた。
「え?」
「本当に、ありがとう。……でも、もういいよ。早く逃げて」俺は彼女の言っている事が理解できなかった。
「たぶん、あの人が来る。今度こそ、殺されちゃう……だから、逃げて」
「……お前は?」
「捕まるけど……別にいいの。だから……」
「そんな事、できない」俺は強く言い放った。
「ここまで来て、諦めるのか? 確かに追いかけて来るだろうけど、それなら逃げればいい。バグロより、もっと遠くに」そこまで言って、リオンが泣きそうにしているのに気づいた。
「……でも……無理よ……無理だから……」
「いいか、これはチャンスなんだ。これを逃したら、お前はずっと……奴隷のままだ。それでいいのか? お前は道具じゃない、人間なんだぞ?」俺がそう言うと、リオンは泣き出した。何による涙かはわからない。
「……私は……私、は……」リオンは途切れ途切れに、何かを言いかけた。
その時、足音が聞こえた。まただ。また、あいつだ。
振り返ると、予想通りの人物が立っていた。黒服の無表情。長身細面。
「リオンを放せ」黒服は無感情にそう言った。
「……嫌だ、と言ったら?」
「手荒な真似はしたくない。お互い、何のメリットも無いだろう」
「何だと?」
「今回までは見逃してやる。さっさと失せろ、泥棒」無感情のまま、きつい事を言う。しかし、「泥棒」とは……
「……もう、いいの。私……帰るから。だから……この人は助けてあげて」リオンは立ち上がり、黒服の方へ歩き出した。俺はその手を掴む。
「ダメだ。言っただろ? お前は道具じゃないんだ!」俺がそう言うと、リオンは何故か哀しい眼で俺を見た。
「……道具だ」黒服が呟いた。
「……何だって?」
「リオンは、人間じゃない。アンドロイドだ。だから、道具だ」黒服は流暢にその言葉を吐き出した。
「……な、何だって……」俺は言葉を繰り返した。
「スターナの法では、アンドロイドに人権は無い。購入者に絶対服従をしなければならない。だから大抵そのような性格のアンドロイドを造るんだが、若旦那は少し変わっていてな……より人間に近い、リアルな感情を持った扱いづらいアンドロイドを造らせたんだ。……それが、リオンだ」黒服は明瞭に話し終えた。
「……本当か?」俺はリオンを見た。沈黙が、肯定の代わりだった。
俺は、動けなかった。無意識のうちに、リオンの手を離していた。力無く、だらりと手を垂らしていた。
「ごめんなさい……」リオンはそう言って、俺を見た。まだ、潤んでいるように見えた。
「帰るぞ」黒服はそう言って、リオンの手を掴んだ。彼女は抵抗しない。もしかすると、一回目の逃亡が失敗した時点で、全てを諦めていたのかもしれない。
「……もう二度と、首を突っ込むな」黒服は最後に俺を一瞥すると、そう言い残した。
俺は、地面に座り込んだ。一張羅のスーツだったが、気にしている余裕は無かった。
二人の姿はゆっくりと、小さくなっていく。リオンが途中で、何度も振り返っていた。俺はそれを、ただぼんやりと見ていた。映画でも見るかのように。
二人の姿が見えなくなる頃には、陽が沈みかけていた。




