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自白

作者: 酒屋さん

彼の人生は充実していた

いや、充実させていたと言い換えるのが適切なのか。


いろんなことを経験し、いろんなことを学んだ。

その中で僕は彼を創り上げた。


僕は彼に何一つ文句を言うことはない

彼が僕に与える試練は困難であったが不可能ではなかった。

だが、日に日に増していく彼の底知れぬ知識欲を僕は抑えることができなかった。


彼は僕に万引きをさせた。



世間一般的に、万引きした内容が10円であっても100万円であっても罪であり、重いも軽いもないらしい。

彼は世間的な風潮を気にするような人物ではないのでまず、軽度の万引きを指示した。


ドラッグストアからパンを盗んでくることだった


僕は疑問に思う。

何故、食べるのには困っていないのにリスクを冒してまでパンを盗ませるのだろう。


これは僕が彼と永らく親しんできた仲だからある程度推測できるのだが、恐らく盗むものに何か拘りがあるわけではないのだろう。


僕に万引きをさせるということ自体に彼は興味を持っているのだ。


僕はドラッグストアに車を停め、トートバックを持って店内に入った。


「いらっしゃいませ」


今から万引きをしようとする彼と僕に向かって店員が告げる

いや、数多の客に対して幾多と繰り返してきた呪文を空に向かって唱えているのだろう。

対象となるのは店内に入る不特定の客。


この人らにとって僕らはなんの変哲も無い不特定多数のうちの1つ。


そう考えると万引きは容易そうに思えた。


『店内を一周してみよう』


彼は告げる


言われるがままに店内を隅々まで探索する

彼の目線は目的の商品ではなく、客に向かっていた。


あぁ、そうか。

今まで犯罪という壁の前で燻っていた彼が今回初めて乗り越えたのだ。

万引きと盗難が彼の中ではイコールで結ばれていた。


しかし、店内には警戒の緩そうな客がおらず、未遂に終わった。


あるアニメを思い出していた

その中で主人公がスリを繰り返し、生計を立てていた。

大体の手口はぶつかったときに財布を盗むというものだったので真似してみようと彼は提案した。

だが、今回の目的は万引きだ。

そんな行動を取っていたら万引きどころではなくなる、滅多にしないが僕は彼の提案には乗らなかった。


彼は渋々承諾した。

普段は高圧的なのだが、突拍子もなく子どものような提案をしてくるので時々可愛らしく思うときもある。



パンが陳列されているコーナーに辿り着いた。

『好きなものを選べよ』


せめてもの情なのか、彼は僕に判断を委ねてきた。

いや、彼と僕の好きなものは同じだから彼自身好きなものを食べたいのだろう。


こんなしようもない思考を巡らせていると付近から人が全くいなくなった。

手足の先がビリリと一気に痺れてきた、僕は今から犯罪を行うのだ。

そう考えるだけで呼吸のリズムが狂う。


こんなときパサパサのパンは食べたくないなって思う。

ホイップがたくさん入った、やってることに似つかわしくない甘ったるそうなパンを手に取った。


けれど、僕はすぐにトートバックに入れるのを躊躇ってしまった。


『人がくる』


当たり前のことなのだけれど、彼と僕は同時に察した。


そのまま商品を手に取り、店内をまた歩き出す。


側から見れば僕はただの客だ。

何も怖がることはない。


店員も客もいない通路で自然な動作でパンをトートバックの中に入れる。


何気ない足取りで店を立ち去る


『終わったな』


あぁ、やってやったよ。

急に肩の荷が降りたせいか、頭がうまく働かない。

この時に彼が告げた終わったという言葉の意味は車に乗ってから知る。


『見ろよ』


白衣の店員、恐らく医薬品担当なのだろう。

そいつが僕の車のナンバーを控えている様子が目に入った。


着いてきていたのは気づいていた

彼が気づくということは僕も気づく。

けれど、万引きの高揚感のせいで僕はうまく対処できなかったのだ。


携帯からは警察からの電話が鳴り止まない。

そのまま東京に逃げた。


一月前に辞めたアルバイト先の友人と遊ぶ約束をしていたのだ。


オフで会うのは初めてだった

その為、彼女から溢れる生命力、強い意志に心が打たれた。


「警察に追われているから匿ってほしい」

「何をしたの?」

「万引き」

「何を?」

「パン」


強い彼女の近くでやり直せば、彼も僕も何かが変わる気がした。

馬鹿げた話だ。


断られるのは承知の上、彼女に僕らの弱い一面を曝け出すことでまた変わる気がした。


「匿うって…結局また帰るんだし、ちゃんと謝ってきなよ」


彼女は僕らにそう告げた。


薄々わかっていた。

彼女がそういう人間だと。

淡い期待を、理想に添い遂げることができなかった僕らは犯罪の地まで戻った。


大人しく捕まるか、このまま逃避行を続けるか。


『どっちが面白いんだろうな』


延々と思考が繰り返される

置いてきた車がある向かいの道までの歩行者信号はいつまで待ってもずっと赤のままだった。


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