93.幸せを祈って
自然と閉じられた瞳がゆっくり開き、優しげな光を宿してマリーを映す。
「僕のせいでもあるんだけれど、女性が苦手で逃げ回っていたデジレに、相手が現れないかとずっと待っていた。夢にまで見るほど。君には、名前以外嘘は一言も言っていないよ」
すごい、とマリーは感動した。
デジレはオーギュストに忠誠や信頼を寄せているようだったが、どうやら彼もデジレのことを相当気に掛けているらしい。詳しくは知らずとも、目の前のオーギュストの語り方や表情でよい関係なのはすぐにわかった。
でも、とマリーは言葉に引っかかり、目線を落とす。
「相手って、あの、わたしはそんなのじゃ……」
デジレの相手がマリーだったら、どんなによかったことかと思う。だが実際には、マリーが一方的に彼の気を引こうと頑張っていて、結果としてうまくいっていない。それどころか、振られたようなものだ。
オーギュストが、首を傾げた。
「以前、ルイに話していた手の届かない人。あれは、デジレのことだね?」
はっとして顔を上げれば、オーギュストが微笑んでいる。
ルイにいろいろ話したのは事実で、それは目の前にいるオーギュストだったとわかっているのに、マリーは恥ずかしく頰を染める。そしてゆっくり、わかりやすく、首で肯定した。
するとオーギュストは深く息をはいて、苦笑した。
「だったら、問題ない」
「え?」
「なにせ、君はデジレのくちびるの君だからね。大丈夫」
マリーがますます疑問に思っていると、デジレから話はいろいろ聞いていると彼が言う。いろいろとは、と今までのデジレとの思い出が浮かび、どこまで知っているのかとやはり恥ずかしくなってしまう。
「スリーズ嬢。デジレを好きになってくれて、ありがとう」
優しい声に目を見開けば、オーギュストは嬉しそうに笑っていた。
「ほら、デジレの性格は、あれだろう?」
「まあ、はい。あれですね」
「うん。デジレの性格をあれだけで通じる女性が、彼の相手で嬉しいよ」
また声を上げてオーギュストが笑う。マリーは彼の顔をじっと見つめた。
「あんなのだから、まあ僕も立ち回ってフォローするのは苦労したし、なぜ側近の世話を僕がやらなくてはいけないんだって思ったことは一度や二度ではないけれど」
少し笑いを含ませながら語る彼は、穏やかで遠い目をしていた。
「長く付き合い、純粋に慕ってくれて僕のためになんでもやろうとして。何事もまっすぐで、思ったことを口にし、思い立ったらその通りに行動する。腹黒さのかけらもない、そういうところが羨ましい」
オーギュストが、マリーと目を合わせた。マリーも綺麗なアメジストの瞳を、しっかりと受け止める。
「デジレは、僕の自慢の幼馴染だ。どうか、彼をよろしく頼むよ」
自然と、マリーは涙が込み上がるのに気付いた。何も考えず何度も頷いて、涙を拭い、笑顔を返す。
「……はい。あの、今日はデジレ様は」
しばらく満足そうな顔でマリーを見ていたオーギュストは、ああと視線を移す。マリーがそれに従えば、綺麗に整えられた机があった。
「あそこがデジレの席だけど、今日はいないよ。しばらくいないだろう」
じっと机を見て、デジレの姿を想像していたマリーは、ふとオーギュストの言葉に首を傾げる。
「しばらく、ですか?」
「今は謹慎中。あまりにもひどい有様で、放っておくとそのまま普通に出仕しそうだったから、自宅で待機していろと命じたんだ」
「え……」
なにがあったのだろうと、不安になる。
前のキスの件でなにかあったのだろうか。もしかすると、体調を崩したのかもしれない。考えれば考えるほど心配になる。
デジレは病気になったことがないと言っていた。寒い時期だから身体が不調になりやすいだろうし、もしそうならば経験したことがない辛さを味わっているかもしれない。オーギュストが家で大人しくしているよう言いつけたほどだ。心がうずうずとして落ち着かない。
「心配ならば、シトロニエ家に行けばどう?」
オーギュストの笑顔の提案に、マリーははっとする。しかしすぐに困ったように顔を下げた。
デジレとは、あのキス以降一切会っていない。それどころか、夜会に行かないと伝えている。さすがに気まずくて、彼に訪問の伺いを立てづらかった。
それでも、気になることは気になる。心配で、せめて顔だけ見ることができたらと思う。
――いつでもお越しください。
そうだ、とマリーは思い出す。社交辞令だとは思うが、あの人の言葉に甘えれば、シトロニエ邸に行けるかもしれない。
そうと思い立てば、心がはやった。マリーはオーギュストに顔を向ける。
「ではそうします! あの、他にご用件は」
「いや、もう全部終わったから帰っていいよ。外でカストルが待っているだろう」
「あ、ありがとうございました!」
丁寧に、頭を下げて心の中で数秒数えると、マリーはすぐに身を翻す。
扉に手を当てて、ふと思い出したように振り返った。オーギュストが、変わらず見送っている。
「王太子殿下」
良い言葉が見つからない。失礼かもしれないが、マリーもお返しに伝えたかった。
「ローズ様のこと、頑張ってくださいね」
オーギュストはぽかんとすると、朗らかに笑った。
「ああ、そういえば知っていたんだった。もちろん、任せて」
大切な人が幸せになってほしいと思うのは、誰もが思うこと。
以前マリー自身が言ったことを思い出して、マリーも笑顔になり、その場から退室した。




