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くちびる同盟  作者: 風見 十理
五章 離れるくちびる
92/139

92.手の甲にキス

 


 やけに重く感じる扉を開ければ、広い部屋が目の前に広がる。その奥に、マリーに対して背中を向けて青年がひとり立っていた。

 柔らかく軽い癖毛がみえる、蜂蜜のような金髪は、マリーが遠目で見たことがあるものと相違なく、にわかに緊張で身体が固くなる。彼が足を動かして振り返り、美しいアメジストの瞳が見えると、マリーはすぐさま腰を折った。


「ご命令により、参上いたしました。スリーズ子爵家が娘、マリー・スリーズです」


 合っているのかはっきりとわからない口上にどきどきしながら、マリーローズに叩き込まれた最敬礼を保ち顔を伏せる。人の動く気配がしたと思うと、敷かれた絨毯を数歩踏みしめる音が聞こえた。


「おもてを上げて」


 落ち着いているが有無を言わさぬ雰囲気を感じ、マリーは恐る恐る目線を上げた。

 先ほどより近い距離に、王太子たるオーギュストが堂々とした出で立ちでいる。金の睫毛に縁取られたアメジストの瞳はきりりとして光り、整った鼻梁がさらに高貴さを際立たせ、魅力あふれる唇が全てをまとめる。本物の王族を前にして、気圧されたマリーは言葉が出なかった。


「貴女が、マリー・スリーズ?」


 問いかけのような確認のような言葉に、マリーは応えるべきか悩む。オーギュストを見つめながら内心おろおろしていると、彼が距離をさらに詰めた。

 驚きと緊張で固まったマリーまで、自然な動作でオーギュストは近付くと、彼女の手を取る。そして、その甲に唇を寄せた。


「……きゃっ!」


 マリーは手を払って、呆然と自分の手の甲を見る。そしてオーギュストに視線を戻して、今自分のしでかしたことに真っ青になった。

 それでも、マリーには気になったことがあった。手の甲をもう片手で包みながら、息を呑んで、目の前の無言の彼に向かって唇を動かす。


「失礼を承知でうかがいますが」


 マリーは手の甲を握る手に力を込めた。


「……ルイ様、ですか?」


 オーギュストが、目を見開いた。

 魅惑の唇から、ふ、と息が零れる。それは徐々に耐えられなくなったように口から出始め、彼は口元を手で押さえながら肩を震わせた。


「ふふ……あはははははは!」


 突如、オーギュストが声を上げて笑った。

 腹を押さえて身体を曲げて笑う彼にマリーはおおいに戸惑い、どうすればよいかわからず途方に暮れた。


「さすがはくちびる同盟。今のでわかったのか」


 よく見れば、オーギュストの目元には笑い過ぎで涙が浮かんでいた。人前で、しかも王族をここまで笑わせたことがなく、マリーは大混乱した。


「あ、あの殿下」


「ああ、ごめんね。まさかこちらから言う前に気付かれると思わなくて」


 またオーギュストが吹き出す。その様子は最初に見た時と違い、柔らかく自然体で、馴染みやすいようにマリーは感じた。

 しばらくしてようやく笑いを収めた彼は、口角を上げてマリーに微笑む。


「改めて。はじめまして、じゃないね。僕は、オーギュスト・ド・グルナード」


「あ、はじめまして……ではなく、え? わかったってことはルイ様? 殿下がルイ様? え?」


「ルイは僕の偽名。僕の本来の姿は今君の目の前の、王太子のオーギュスト」


 蜂蜜色の髪を揺らして、彼はまたにこりと笑う。

 マリーは必死に混乱中の頭の中を動かす。オーギュストはルイで、彼女が会ったルイはオーギュストだった。話したのも、実は王太子であるオーギュスト。自ら指摘したのに、気が遠くなりそうだった。


「わ、わたし、何も知らずに気軽にお話ししたりして……!」


「それは当然だよ、王太子って隠していたんだから。むしろ僕としては、あんなに見るからに怪しい存在と話す君の方が心配だったけどね」


 王太子とは話すことなどあるはずがないと思っていたのに、気付けば既に話していたなんて。マリーは頭を抱えたくなった。

 そんな彼女を意に介さず、オーギュスはこほんと咳払いする。


「君にはルイという素で対応しているから、この態度で続けて対応させてもらうよ。王太子らしくなくてごめんね」


「え、いえ」


「僕は陛下と違って顔が優しげだから、威厳を出すには口調も大切で。でも最近、デジレにまでやっていると疲れてきてね。君とは付き合いが長くなるだろうし、慣れてもらうと助かる」


 デジレという言葉にマリーは反応する。そうだ、オーギュストはデジレの主人にあたるのだと今更ながら思い出せば、俄然(がぜん)彼に興味が湧いてきた。

 恐る恐る、しかし思い切ってマリーは尋ねた。


「殿下、今日わたしを呼んだのはどのようなご用件ですか?」


「いろいろあるけれど、一番は会いたかったからだよ」


 それははじめて、マリーがルイと名乗るオーギュストに会った時、彼が言った言葉だ。マリーは目を(またた)かせる。


「本当に、会いたかったんだ。ようやく現れた、デジレの相手である君に」


 オーギュストが万感の思いを込めて、言葉を紡ぐ。


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