88.二通の手紙 ★
白く明るい朝日に照らされて、デジレは瞼を震わせる。ゆっくり目を開いてぼうっと自室の天井を見つめ、のろのろと目線を下げて時計にたどり着く。瞬間、急いで上半身を起こした。
「しまった、遅刻……!」
慌てて掛け布団を捲ってベッドから降りようとして、デジレは動きを止める。昨日の出来事が瞬時に頭をよぎった。
「謹慎……」
デジレはがっくりと項垂れる。力が全く湧いてこなかった。
昨日オーギュストの命により城外に連れていかれたデジレは、茫然自失としていた。彼を連行した顔見知りの二人は、そんなデジレを見て心配そうに顔を合わせ、なんだかんだといってオーギュストはデジレに甘いから、落ち着くまで今しばらくは大人しく待機していた方が良いと親身になって助言した。
帰りの手配をしようかという彼らの善意を断って、デジレはとぼとぼと歩いて邸まで帰った。誰かに話しかけられた気もしたが、対応する元気はひとつもなかった。
「お目覚めですか」
顔を上げれば、ベルナールがいつの間にやら部屋にいた。気付かぬ間に無意識に入室を許可していたらしい。
生気がない様子で彼はベルナールを見ると、途端思いついたように身を乗り出した。
「ベル、何か私が手伝えることは!」
「昨日もお伝えしましたが、ありません」
あっさりと言われて、デジレは唇を噛んだ。
謹慎を言い渡され、邸に戻ったデジレはやることがなかった。あくせく働くのが当然だった彼には目的がないのは落ち着かず、ただ何もしないでいると、ここ数日の出来事で心の中がごちゃごちゃになって堪らない。
ベルナールに何かないかと聞いても、先程のようにないと言われた。それならばと父のリシャールと母のアデライードの元へ手伝えることはないかと駆け込んでみれば、理由を聞かれた後に断られた。二人とも、謹慎にしたオーギュストの考えに意味があるだろうから、言われた通りにしなさいと諭してきた。
「頭を冷やせって……」
「それがよろしいのではないでしょうか」
オーギュストに言われたことを思い出すと、頭が痛くなって手で抑える。
素直に、なぜ彼が怒ったのか考えてみた。すると答えは、すぐに出た。
オーギュストはマリーローズが好きで、デジレはそれを伝えられて応援していた。その協力者であるデジレが、彼の気持ちを無視してマリーローズ以外を勧めた。オーギュストは、それは失望したことだろう。
思い付けばとても単純なことなのに、発言してしまった時は全く考えが及ばなかった。マリーの好きな相手がオーギュストならば良かったという発言は、自分のことしか考えていなかった。側近であるはずなのに、あるまじき態度だったと今ならよくわかる。
でも、とデジレは思う。
マリーの好きな相手がオーギュストならばというのは、たしかに本気で考えた。そうであれば、デジレは納得して諦められるかもしれないと感じた。
実際は、たとえそうであっても、デジレは一切納得できる気がしなかった。オーギュストとマリーローズのように、応援はきっとできない。今、マリーの好きな相手が誰かわからなくとも、ろくな態度を取れていないのだから。
そして、マリーにキスしたことを思い出して、彼女の傷付いた顔が脳裏に浮かび、気が沈む。マリーは泣かせるわ、オーギュストは怒らせるわ、デジレは心がざわめいてうずくまって叫んだ。
「ああああ! なんて俺は駄目な男なんだ!」
「女性関係も仕事関係もうまくいかないとなると、そう思うかもしれませんね。今回はこのベルナールも対応が難しいので、自力でなんとかしていただくしかありません」
取り乱す主人に対して、ベルナールは冷静にはっきりというと、どこからか手紙を二通取り出した。渡された手紙を反射的に受け取ったデジレは、送り主を確認して驚いた。
「姉上と、マリー……」
両手で、マリー・スリーズと書かれている封筒を持ち、食い入るように名前を見つめる。
デジレは今まで、マリーから手紙をもらったことはなかった。手紙でやり取りするまでもなく、すぐに直接顔をあわせていたのだから当然だ。
ベルナールからペーパーナイフをもらうと、デジレは震える手で開封して、便箋を開く。
息を止めて文字を目でたどる彼は、読み終わると深く息を吸って、はき出した。
「なんと?」
「……体調が思わしくないから、次回の夜会は欠席する、と」
デジレは高いところから心が落とされて、潰れたような感覚がした。当然だ、という思いと何故だ、という思いが錯綜する。
キスを、しかも二回も無理矢理してきたような男と一緒にいたいなど思うはずがない。まして、好きな相手がいるのだ。十中八九体調不良は欠席の言い訳だとデジレでもわかった。
「仕方ない……私も謹慎中だから、次の夜会はキャンセルする」
仕方ないと言い聞かせても、どこかで納得しない自分に怒りが湧く。マリーにさらに嫌われたいのかと思えば、ようやくその気持ちは少し収まった。
そのまま姉のカロリナからも届いた手紙を開封する。広げた便箋には、大きく「来なさい」と一言荒々しく書いてあった。
これは激怒している、とデジレは悟ったが、理由が思いつかない。首を捻っていると、何がと気にし出したベルナールに手紙を見せる。優秀な侍従は同じことに気付いたらしく、デジレの表情を苦い顔で窺ってきた。
「ベル。これはすぐに行かなければまずいことになりそうだ」
「同感です。王太子殿下により謹慎中ではありますが、身内に会うのはまだ許されるかと」
デジレは頷いて、多少気が紛れれば良いと、外出の準備をした。




