87.不興 ★
マリーの好きな相手がオーギュストならば。デジレは俯いて考える。
オーギュストは付き合いが長く、デジレは彼の人柄を把握している。慎重で考えすぎるきらいはあるものの、優秀で優しい性格をしている彼は、デジレと違ってどんな女性にも対応できる。身分といえば、王太子で文句はない。デジレが知る限り、これ以上ない優良物件だ。
もしも、マリーの相手がオーギュストならば。デジレは納得できて、彼女を諦められる、はずだ。
そう思いながら、無意識に奥歯に力を入れて噛み締め、手を白くなるほど握る。
「本気で言っているのか」
静かな声に、デジレはびくりと顔を上げる。
オーギュストは、見下すように冷徹な目で、デジレを見ていた。デジレはひしひしと感じる怒気にぞっとする。
普段笑って流すオーギュストが怒ることは稀だ。今までこれほどまでの怒りを向けられたことがなかった。なにかがオーギュストの気にさわったのだと思って謝ろうとしても、彼から発せられる威圧感にデジレは口を開けなかった。
「本気で言っているのかと聞いている。答えろ」
デジレは首を差し出す罪人のような心地だった。すさまじい緊張に汗を流しながら、オーギュストから目を逸らさない。
「答えろ、デジレ!」
怒声に、デジレは身体の硬直を解いて、必死に唇を動かした。
「……っ、本気で言いました!」
オーギュストのアメジストの瞳を見つめて、デジレは強く言い切る。
マリーの相手がオーギュストならばと思ったのは事実で、デジレはそうであれば良いと感じた。そこに嘘はない。嫌な思いが胸をよぎっても、考えて口に出したことは事実だった。
ふっとオーギュストの目が暗くなる。そこに失望の色がありありと浮かんでいるのに気付き、デジレは息を呑んだ。
「デジレ・シトロニエ」
また、静かな声が、緊迫した部屋に響く。
デジレは返事が出来ず、代わりに彼から目を離さなかった。
「謹慎を言い渡す。私の前に現れるな」
有無を言わさぬ強い言い方だった。
いきなりのことに理解が追いつかず、デジレはただただ呆然とする。
「ジョルジュ、ラウル。入れ」
デジレが言われたことをはっきり理解する前に、オーギュストが部屋の外で待機していた近衛を呼びつけた。主人の命に従い入室した屈強な二人の男性は、さらなる指示を待っている。
オーギュストは上から、淡々とデジレを指差した。
「これが私の不興を買った。城から摘み出せ」
え、と声を出すまでもなく、デジレは命を受けた近衛二人に羽交い締めにされる。
「殿下……!」
慌てて抵抗するも、さすがに男二人に抑えられてはデジレもどうしようもない。ずるずると力に負けて引きずられていくなかで、デジレは必死にオーギュストに声を掛ける。
しかしオーギュストは興味を失ったかのようにデジレを見ない。
「お前の顔も見たくない。さっさと私の前から去れ」
「そんな、殿下!」
怒らせた。突き放される。
デジレは激しい焦りを覚えた。
「殿下!」
呼んでも、オーギュストは反応を見せなくなった。
部屋から連れ出そうとする力に抵抗を続けるデジレは、なんとか彼に届くよう、大声で叫んだ。
「……オーギュスト!」
ふいにオーギュストが、デジレに顔を向けた。
「デジレ」
その声は怒りもなく、責めるわけでもなく、諭すように穏やかだった。その顔は、近頃めっきり見かけなくなった、立場をしっかり弁える前の、デジレとよく遊んでいた幼馴染のオーギュストの顔だった。
「僕は、今の君が大嫌いだ」
柔らかい表情でそれだけ言うと、次の瞬間にはオーギュストはすっかり凛々しい王太子の顔だった。
「命令だ。しばらく頭を冷やしてこい。それまで、登城は私が許さない」
デジレは、身体の力を抜いた。抵抗がなくなった彼を、近衛たちが引いていく。
部屋の外まで連れて行かれると、オーギュストの姿は閉じられた扉に遮られた。
オーギュストは閉まった扉をしばし見つめて、疲れたように椅子に身体を預けた。
「カストル、いるな」
声をどこともなく掛ければ、ひとりの黒髪の青年が部屋に入ってくる。彼はやけに廊下を気にしつつ、オーギュストの前まで歩く。
「はい、殿下。いきなりデジレが連行されていきましたけど、あいつなにやらかしたんですかね?」
「いろいろと」
はあと深いため息をついたオーギュストは、便箋を一枚取り出してペンを走らせていく。
「全く、どうして僕がここまで世話をみなきゃいけないんだ」
「殿下、俺の前なら別にいいですけど、ご自分の呼び方変わってますよ」
「うるさいな、いいんだよこれが素だから。怒っているのにいちいち顔を繕っていられない、疲れる」
そう言いながら苦笑するオーギュストは、手紙を書き終わったらしく、手際よく折りたたみ封筒に入れる。蝋を垂らし、印璽を押し付けた。
「本当に、あの馬鹿。処刑台に送らない寛容な僕に感謝して欲しいくらいだ」
もう一度長く息をはく。彼は封蝋が乾いた封書に宛名を書いてカストルに渡した。
「それは、ノワゼット侯爵夫人に」
オーギュストは引き出しを開けて、既に用意されていた同じ封筒を取り出した。それをしばらく見つめ、ふっと笑った彼は、日付を書いて同じくカストルに渡す。
「それとこれは、スリーズ子爵家マリー・スリーズ令嬢に。どちらも早馬で届けてくれ」
目を見開いて、まじまじと手紙とオーギュストを交互に見るカストルは、にやりと笑った。
「承知いたしました。すぐにお届けします」
カストルはそう言うと、素早く退室した。
ひとり執務室に残されると、オーギュストは肩の力を抜いて頬杖をつく。
「やはり、面倒臭かったか」
どこかにぽつりと零した彼の呟きを聞くものはいなかった。




