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くちびる同盟  作者: 風見 十理
五章 離れるくちびる
87/139

87.不興 ★

 


 マリーの好きな相手がオーギュストならば。デジレは(うつむ)いて考える。


 オーギュストは付き合いが長く、デジレは彼の人柄を把握している。慎重で考えすぎるきらいはあるものの、優秀で優しい性格をしている彼は、デジレと違ってどんな女性にも対応できる。身分といえば、王太子で文句はない。デジレが知る限り、これ以上ない優良物件だ。

 もしも、マリーの相手がオーギュストならば。デジレは納得できて、彼女を諦められる、はずだ。

 そう思いながら、無意識に奥歯に力を入れて噛み締め、手を白くなるほど握る。


「本気で言っているのか」


 静かな声に、デジレはびくりと顔を上げる。

 オーギュストは、見下すように冷徹な目で、デジレを見ていた。デジレはひしひしと感じる怒気にぞっとする。

 普段笑って流すオーギュストが怒ることは稀だ。今までこれほどまでの怒りを向けられたことがなかった。なにかがオーギュストの気にさわったのだと思って謝ろうとしても、彼から発せられる威圧感にデジレは口を開けなかった。


「本気で言っているのかと聞いている。答えろ」


 デジレは首を差し出す罪人のような心地だった。すさまじい緊張に汗を流しながら、オーギュストから目を逸らさない。


「答えろ、デジレ!」


 怒声に、デジレは身体の硬直を解いて、必死に唇を動かした。


「……っ、本気で言いました!」


 オーギュストのアメジストの瞳を見つめて、デジレは強く言い切る。

 マリーの相手がオーギュストならばと思ったのは事実で、デジレはそうであれば良いと感じた。そこに嘘はない。嫌な思いが胸をよぎっても、考えて口に出したことは事実だった。

 ふっとオーギュストの目が暗くなる。そこに失望の色がありありと浮かんでいるのに気付き、デジレは息を呑んだ。


「デジレ・シトロニエ」


 また、静かな声が、緊迫した部屋に響く。

 デジレは返事が出来ず、代わりに彼から目を離さなかった。


「謹慎を言い渡す。私の前に現れるな」


 有無を言わさぬ強い言い方だった。

 いきなりのことに理解が追いつかず、デジレはただただ呆然とする。


「ジョルジュ、ラウル。入れ」


 デジレが言われたことをはっきり理解する前に、オーギュストが部屋の外で待機していた近衛を呼びつけた。主人の命に従い入室した屈強な二人の男性は、さらなる指示を待っている。

 オーギュストは上から、淡々とデジレを指差した。


「これが私の不興を買った。城から摘み出せ」


 え、と声を出すまでもなく、デジレは命を受けた近衛二人に羽交い締めにされる。


「殿下……!」


 慌てて抵抗するも、さすがに男二人に抑えられてはデジレもどうしようもない。ずるずると力に負けて引きずられていくなかで、デジレは必死にオーギュストに声を掛ける。

 しかしオーギュストは興味を失ったかのようにデジレを見ない。


「お前の顔も見たくない。さっさと私の前から去れ」


「そんな、殿下!」


 怒らせた。突き放される。

 デジレは激しい焦りを覚えた。


「殿下!」


 呼んでも、オーギュストは反応を見せなくなった。

 部屋から連れ出そうとする力に抵抗を続けるデジレは、なんとか彼に届くよう、大声で叫んだ。


「……オーギュスト!」


 ふいにオーギュストが、デジレに顔を向けた。


「デジレ」


 その声は怒りもなく、責めるわけでもなく、諭すように穏やかだった。その顔は、近頃めっきり見かけなくなった、立場をしっかり弁える前の、デジレとよく遊んでいた幼馴染のオーギュストの顔だった。


「僕は、今の君が大嫌いだ」


 柔らかい表情でそれだけ言うと、次の瞬間にはオーギュストはすっかり凛々しい王太子の顔だった。


「命令だ。しばらく頭を冷やしてこい。それまで、登城は私が許さない」


 デジレは、身体の力を抜いた。抵抗がなくなった彼を、近衛たちが引いていく。

 部屋の外まで連れて行かれると、オーギュストの姿は閉じられた扉に遮られた。






 オーギュストは閉まった扉をしばし見つめて、疲れたように椅子に身体を預けた。


「カストル、いるな」


 声をどこともなく掛ければ、ひとりの黒髪の青年が部屋に入ってくる。彼はやけに廊下を気にしつつ、オーギュストの前まで歩く。


「はい、殿下。いきなりデジレが連行されていきましたけど、あいつなにやらかしたんですかね?」


「いろいろと」


 はあと深いため息をついたオーギュストは、便箋を一枚取り出してペンを走らせていく。


「全く、どうして僕がここまで世話をみなきゃいけないんだ」


「殿下、俺の前なら別にいいですけど、ご自分の呼び方変わってますよ」


「うるさいな、いいんだよこれが素だから。怒っているのにいちいち顔を繕っていられない、疲れる」


 そう言いながら苦笑するオーギュストは、手紙を書き終わったらしく、手際よく折りたたみ封筒に入れる。蝋を垂らし、印璽(いんじ)を押し付けた。


「本当に、あの馬鹿。処刑台に送らない寛容な僕に感謝して欲しいくらいだ」


 もう一度長く息をはく。彼は封蝋が乾いた封書に宛名を書いてカストルに渡した。


「それは、ノワゼット侯爵夫人に」


 オーギュストは引き出しを開けて、既に用意されていた同じ封筒を取り出した。それをしばらく見つめ、ふっと笑った彼は、日付を書いて同じくカストルに渡す。


「それとこれは、スリーズ子爵家マリー・スリーズ令嬢に。どちらも早馬で届けてくれ」


 目を見開いて、まじまじと手紙とオーギュストを交互に見るカストルは、にやりと笑った。


「承知いたしました。すぐにお届けします」


 カストルはそう言うと、素早く退室した。

 ひとり執務室に残されると、オーギュストは肩の力を抜いて頬杖をつく。


「やはり、面倒臭かったか」


 どこかにぽつりと零した彼の呟きを聞くものはいなかった。



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