83.嫌いにならないで
外に出たかと思えば彼は早足で、なんとかついていけば馬車に乗せられる。あまりにも早すぎたせいで、ベルナールが驚いて何かを言いたげだったが、デジレは有無を言わせずすぐに出発させた。
今回、デジレはマリーの正面に座った。あっと思ったものの、彼は目を閉じて腕を組んで、まるでマリーを拒絶するようだった。
何度も口を開くが、何をいえば良いかわからない。おそらく、今の彼には何を言っても簡単な反応しか返ってこない。マリーは落ち込みながら、馬車の振動で揺れるデジレの白く淡い金髪を眺めた。
それでも、デジレといるのだと思うと心がくすぐられる。そんな恋愛小説のヒロインのような自分が、マリーは嫌いではなかった。
重い空気でも、屋敷に着くのはやはり早かった。どんな態度でも、一度も欠かさず乗り降りに手を貸してくれるデジレに、マリーはいつでもどきどきとしてしまう。
屋敷の前までくれば手を離されて、もう今日は終わりかと名残惜しい。空気の冷たさに、突如身体が震えた。
「次は会えるといいな。それじゃあ」
デジレが、簡単に言った。感情が抑え込まれた、無感動の声だった。そのまま、マリーを見ずに身を翻そうとする。
駄目だ、とその瞬間にマリーは感じた。このまま帰せば、次もきっと同じように義務的に対応される。同盟が、終わるまで。
足が動いた。素早く彼との距離を詰めて、腕を回してぎゅっと握る。腕からは、包んだ彼の身体が強張るのを感じ取れた。
マリーは目を瞑って、あらん限りの力でデジレの身体に抱きついた。とんでもなく恥ずかしいことをしている自覚はある。頰に熱が集まって、心臓が耳元にあるようにうるさい。それでも、デジレを留めておかなければと、必死だった。
デジレから、力が抜ける。彼の腕の動きを感じて今度はマリーが身体を固くすれば、肩を優しくとんとんと叩かれた。
「離れて」
嫌だと示すように、マリーはさらに腕に力を込めて、顔を彼の胸に埋める。
「こんな風にするべきなのは、彼だろう」
肩を掴まれて、身体を剥がされる。それでもマリーは彼の背中に回した腕は離さず、近距離でデジレを見上げた。
彼は笑みを浮かべようとして失敗したように、唇の端を歪ませていた。瞳が、地に落ちるように暗く下を向いている。
「どうして……そんな顔を、するんですか」
マリーの唇が戦慄く。
以前も今回も、デジレの様子は暗くおかしい。その時はいつも、マリーの前だった。
「わ、わたしが、そんな顔をさせているんですか?」
声が震えた。
「わたしが、好きな人がデジレ様じゃないって首を振ったから……!」
そうだ。あれのせいで、彼は、マリーがデジレを嫌いだと思ったのかもしれない。
そう思うと気がはやって、そうではないと否定しなければとより彼に縋り付いた。
「そうじゃない」
固い声が返る。それを聞いても、マリーは納得できなかった。
「だって、また、あの後からおかしくなって」
「マリーは、目的通りにちゃんとしていただけだ。しっかり相手を見つけて。私がおかしいんだ。私の問題で」
酷く苦しそうな顔をするデジレに、マリーも心が締め付けられる。
「どうやったら、その問題を解決できますか? あの、わたしが手伝うので」
デジレとは目が合わない。それでもマリーは視線を彼から外さない。
「デジレ様のそんな顔、見たくないです。辛いです。前もそんな顔、わたし、嫌われてるみたいで」
「嫌いなんかじゃ……」
そう言う彼が何かに耐えるよう苦しげで、マリーはもう堪らなかった。
「わたし、デジレ様が嫌いじゃないんです! 嫌いじゃ、ないんです!」
嫌いだなんて、思わないでほしい。
ずっと、嫌われたくないと思ってきた。そう思われるほど、悲しいことはないから。
目元に涙が集まって、じんわり熱い。
「マリー……」
ようやく、デジレがマリーを見た。揺らぐエメラルドはやはり綺麗で、胸が詰まる。
「手を、離さないで。わたしを、嫌わないで……」
どうか、わたしを好きになって。
唇から、そう零そうとした言葉は、その瞬間に途切れさせられた。




