80.悩み惑う ★
「ああ、面倒臭い」
オーギュストが、独り言には大きすぎる声でどことも向けず言った。
「何がでしょうか」
とにかく相槌を打ったと言わんばかりに感情がこもっていない反応をしたデジレは、ものすごい勢いで書類を片付けている。
「お前が。仕事が早いのは助かるが、そうぴりぴりしていたら、同じ空間にいる私の気が滅入る」
「そうですか。気を付けます」
淡々と言うと、デジレは黙々と手を動かす。オーギュスは呆れて、そして笑いを零した。
「聞く気ないだろう、全く。お前、落ち込むことは多くても怒ることは滅多にないのにな。それで、マリーローズでない方となにがあったって?」
「だから! マリーはマリーローズでないと……え」
「だから、お前の方のマリーだろう? 何があった?」
にやりと笑うオーギュストに、デジレは気が抜けたように書類から手を外した。そして、机に置いた手に力を込める。
「マリーが、しっかりと相手を見つけました。好意も抱いています」
「へえ? それで相手は誰かわかったのか?」
「いえ、わかりません」
デジレは歯を食いしばる。
一体誰がマリーの気を引いたのかと気になって気になって、もしや自分かもしれないとまで思った。もう黙って見ていられずに、つい彼女に聞いてしまった。
デジレではなかった。好きな人は自分かと聞いて違うと言われるほど恥ずかしいことはないはずなのに、それよりも激しく落ち込んだ。その後すぐに誰なのかという疑問で頭がいっぱいになった。
わからない、それがなぜかデジレを苛々させる。
「夜会に頻繁に出ていて、私も見ているはずなのに……! 誰なんだ!」
デジレは唸るような声で叫ぶ。その顔は怒りとも苦しさともいえる表情が浮かんでいた。
オーギュストはそんな彼に対して視線を巡らせ、息をはいてデジレに目を向けた。
「以前も聞いたな。彼女が夜会に行くたびに会い、好きになった相手か」
「はい」
「……なあ、それ。デジレじゃないのか?」
冗談もない、真剣味を帯びた声で、オーギュストは言った。しかしデジレは、ちらりと彼を見ると弱々しく笑った。
「違います」
「え?」
「そう思って聞きましたが、否定されました」
「聞いたのか!?」
驚愕するオーギュストは、開いたままの口を閉じずに呆然とデジレを見る。しばしして、頭を押さえてああ、と息を零す。
デジレはそんな彼に気付かず、俯いて自嘲した。
「私だったら、良かったのですが。こんなに悩まなくて済んだのに」
思い出したくはないはずなのに、マリーが首を横に振った、あの夜の場面が何度も頭に浮かぶ。デジレは自身の白金の金髪を荒く握った。
あの時のデジレは、マリーに頷いてほしかった。そうだと、言ってほしかった。可能性の高さに関係なく、ただマリーの好きな人が自分であればと期待していた。そうであったら良いと。
だが、違った。
「悩まなくて済んだ? じゃあ、本当は好きな相手がデジレだったら」
「もう終わった話です。もしも、は考えるだけ無駄です」
きっぱりと、振り切るようにデジレが言う。
結局マリーはデジレではない誰かが好きであるという、何も以前と変わらない状態である。デジレのするべきことは、マリーと相手が上手くいくよう協力することだ。
それなのに、マリーの笑顔を思い出すたび、以前感じたものよりひどく胸が締め付けられる。
「恋する女性はきらきらして、本当に綺麗ですね」
ぽつりとデジレが呟く。
「それを見て、男たちが魅力を感じて近付いても、彼女の瞳は好きな相手だけに向けられている。他の男なんて、光にたかる虫と同じです」
どうして同盟を守ることをためらうのか。どうしてマリーのことばかり考えるのか。どうして身が千切れそうなほど心が痛むのか。デジレにはわからない。
「自分に向けられているはずがないと、頭ではそう理解していたはずなのに、その姿に目を惹かれる自分が憎い。そして、見てはいけないものを見たと、罪をひとつひとつ重ねているようで……!」
デジレが耐えきれず、喉までせり上がっているものを息に乗せて、深くはいた。
「なんて、残酷だ」
弱々しく、今にも泣き出しそうな声だった。
オーギュストはそんなデジレを黙って、苦しげに眺めていた。
「……最近は、どうもおかしいのです。感情が上手く制御ができない。ずっともやもやして、落ち込んだと思えば苛々する。申し訳ありません」
「いや、謝ることでは」
「私はずっと、紳士であれと教えられてきました」
デジレは己の心臓の上に手を当てる。激しくは鳴っていないそこは、それなのにずっと何かが刺さっているような痛みが走る。デジレは顔を苦しげに歪めた。
「でも、こんなにも辛いものとは、知らなかった」




