8.キスの感想
「待っていたわよ、マリー!」
友人のルージュの邸につくなり、待ち構えていたと言わんばかりに、マリーは部屋へと押し込まれた。彼女の顔は、興味深げに目が爛々と輝いている。
一方、マリーはむすっとして拗ねていた。
デジレの訪問以降、マリーは家族を見る度に軽い怒りを覚え、無視し続けた。兄のジョゼフがいつもよりさらにうるさかったが、聞こえていない振りを徹底した。彼の悲痛な声が聞こえた気がしたが、知らない。
八つ当たりだというのはわかってはいるが、あの夜会で起こったことと、デジレが来ると知らせてくれていれば、マリーとしても対応を考えられたのだ。彼に関わらず、家に篭ることだってできた。それなのに不意打ちのように会わせられ、さらにはよくわからない同盟まで結ばされて、家族はデジレ側の味方ではないのかといらついてしまった。
家族に会うたびにもやっとした怒りを抱くマリーは、今朝はすぐにルージュの邸に向かった。
目の前の友人は、いつもの冷静さを捨てて、話したそうにうずうずしている。
「で、あの夜会のキスはなんだったの?」
「キスだった」
「そんなの、見ていたからわかるわ。どうしてデジレ様がマリーにキスしたの?」
「よくわからないの」
デジレが先日の夜会の問い合わせがたくさんきていると言っていたが、あの面会後、マリーの元にもルージュより何が起こったのかと尋ねる手紙が届いていた。
あの会場にいた彼女によれば、マリー達が退場した後は場が騒然としていたらしい。考えるだけでもマリーは頭が痛くなる。
「翌日にデジレ様が来たんでしょ? 何か言ってなかった?」
「キスの責任取るから結婚してくれって言われたけど、断ったわ。あと、なんだかよくわからない提案されたかな」
「デジレ様に求婚された! しかも断ったって何?」
驚愕に目を見開くルージュに、マリーは頬を膨らます。
「だって、身分が違うし。人前でキスするし。いくら格好良くったって、いきなりキスする人なんて変態だもの!」
結局デジレからは急にキスした理由も聞いていない。謝罪も受けていない。マリーの中での彼の評価は、輝く容姿を考慮しても遥かにマイナスだった。
しかし、それよりも頭にくるのは。
「それに、初めてのキスだったのに!」
マリーは唇を戦慄かせる。
ルージュはそんな彼女を不思議そうな顔をして見た。
「相手はあの麗しのデジレ様よ。まず私たちが普通に生きていて、キスされることなんてないわよ。よかったじゃない、記念のファーストキスの相手がデジレ様で」
「よくないよくない! わたし、恋愛小説みたいにファーストキスは好きな人とがよかったのに!」
「とにかく適当な相手と早く結婚しなきゃと言ってたマリーの台詞とは思えないわ」
「いいじゃない、夢見たって! 奪われるんじゃなくて、同意の上でしたかったのに!」
必死に言いながら、涙を浮かべ始めたマリーを横目に、ルージュは傍にあった恋愛小説を手に取る。
何度も読み込み、マリーも貸してもらった本は、既に見直さなくても内容が彼女たちの頭の中に入っている。
「まあ、ほら物語でもまあまあヒロインって唇奪われているじゃない」
「でも、話したこともない相手じゃないでしょ!」
「……それはそうね」
パラパラとめくっていた本を閉じて、ルージュは密談するようにマリーに近付いた。
「……それで? キスって本当に甘かったの?」
「全然味なんてしなかった」
「柔らかかった?」
「思ってたほどじゃなかったかな」
「よく書かれてる、永遠のような一瞬のような感覚、した?」
「キスされてる時は早く終わってって思ったけど、思い返したら一瞬だった気がする」
「なるほど。そういう意味だったのね」
ふむふむとルージュが頷く。
マリーは、言いながら落ち込んだ。シチュエーションもさることながら、恋愛小説から学んだキスとは全然違って、あの夜会で夢を壊された気分だった。
果たしてその原因がいきなり奪われたせいなのか、デジレが下手だったのかと考えても、マリーにはわからない。ただキスされた事実だけが残っている。
「それにしても、デジレ様がマリーにねえ。まさかあの天上人様が関わって来るなんて」
「天上人って、なにそれ?」
首を傾げるマリーに、ルージュが胸を張る。
「今の社交界で、極めて優れた容姿で身分が高い人物が三人いるんだけど、彼らが三人の天上人って呼ばれているの。王太子殿下と、彼の側近のデジレ・シトロニエ伯爵令息様と、マリーもよく知ってるマリーローズ・プリムヴェール公爵令嬢様の三人」
「マリーローズ様は知ってるだけで、会ったことないよ」
「普通そうなのよ。雲の上の皆様は、私たちみたいな下級貴族になんて目をかけてくれることないもの。で、このお三方、幼馴染な上に、なぜか全員結婚してなければ、婚約者もいないのよ」
すごいでしょう、とルージュがはしばみ色の瞳を輝かせた。