75.心の中で ★
「今日のデジレは、暗い上に急に反応したかと思えばうんともすんとも言わない。つまらないな」
「そのおかしな反応が、おもしろいのに」
「とはいっても、ここ最近ずっとこんな調子だと飽きてくる。違う話をしよう」
「あら、殿下はどんな面白い話があるの?」
「……ここしばらく忙しかったから、執務の話しか」
「聞く前に断言するわ。つまらない」
二人の声をどこか遠くで聞きながら、デジレはぐるぐると頭の中を回す。
羨ましいマリーの好きな相手を、本当にデジレは気付かなかったのだろうか。ずっと夜会に一緒に参加して、その夜会にいるらしい相手を、デジレは知らないだろうか。
マリーの花が咲くような、幸せと呼べる笑顔を思い出すとどこかが痛む。そして、一瞬ふと思考が止まった。
デジレがマリーの幸せな笑顔を見たのは、昼に化粧品を買った後の久しぶりの夜会だ。あまりにも綺麗で可愛くて、思わず目を逸らしてしまったのは、マリーにもしや気になる人がいるのではと思った、夜会の出発前だ。
つい先日の夜会でも、マリーのその笑顔は何度も見た。すると、マリーは久しぶりの夜会時にはすでに、好きな人がいたことになる。
「う……つまらないなら、マリーが何か話題を出してくれないか」
「先ほどからわたくしが話していたのに?」
デジレは考える。
マリーは夜会前から嬉しそうで、先日では相手と会った後喜んでデジレのもとに戻ってきて、次が楽しみと笑顔で言っていた。それらから、デジレはマリーの好きな相手が夜会にいた事は、確信していた。
マリーが怪我後の夜会ですでに相手を好きになっていたのならば、その前の夜会で会っていたことになるだろう。
その前回はいつか。マリーが足を怪我をした時だ。その後、デジレが夜会の予定をキャンセルしたのだから、しばらくマリーは夜会に行っていないどころか、行けなかった。しかし、その負傷した夜会で、マリーは怪我をした以外に特段おかしな様子はなかったようにデジレは感じていた。
「そもそも、殿下はその口調をなんとかしてくださらないの? いつもの雰囲気と違って、話しづらいったら」
「それは、デジレがいるからどうしても……」
「そんな、デジレの方が年上だからって見栄を張らなくてよろしいのに。それにほら、デジレは上の空で全く話を聞いていないのよ?」
すると、マリーは好きな相手とどこで出会ったのか。外で夜会に参加する男性と偶然、と思っても、マリーは怪我で外出できなかった。
いや、とデジレは気付く。怪我が治ってすぐに、マリーは男性と外出している。それどころか、怪我を治している時にさえ、何度も見舞いとして会っている。
デジレの心臓がどくんと鳴った。その男は、彼がよく知っていた。
デジレ自身だ。
「デジレ」
オーギュストの声に、デジレははっと顔を上げる。
じわりとこめかみに汗が滲んでいて、周りの空気にすっと冷える。しかし身体と頭は熱かった。
もしも、マリーの好きな相手がデジレならば。そう考えれば、多少の疑問はあれど、様々なマリーの様子に説明がついてしまう。
「な、なんでしょうか?」
高鳴る胸に戸惑いながら、デジレはなんとか口を開いた。
むすっとした顔をするオーギュストは、ため息をついて言う。
「マリーが、お前が上の空だと言っている」
「あ、ああ……、ごめん……」
美しい顔を不思議そうにして、それでも笑顔を浮かべるマリーローズを見て、デジレは彼女の名前をいつも通り呼ぼうとした。
そこで、口が止まった。
マリーが二人はおかしい。だからといって、付き合いの長い幼馴染をマリーローズと呼ぶのは他人行儀だ。
ふとマリーが夜会で楽しそうにマリーローズの話をしていたの思い出した。
そうだ、と再び口を動かす。
「ローズ」
途端、陶器がぶつかる高い音が響いた。
マリーローズの手から落ちてソーサーにぶつかったカップから、紅茶が飛び出て、彼女のドレスに掛かる。
あっと思ったデジレがマリーローズを窺えば、彼女は茫然としてあふれたカップを眺めていた。
しかしすぐに席を立ち上がると、細かく震える手で口元を隠す。
「あ……わたくし、なんて粗相を。ごめんなさい」
いつもの気品はなく、動揺した不安定な声でつぶやいた彼女は、すぐに身を返して走り去った。
いつもらしくないマリーローズに何がと思ってデジレが立ち上がる前に、オーギュストがテーブルに手をついて勢いよく立ち上がる。目線はマリーローズの去った方だ。
「デジレ! お前は来るな!」
威圧的なオーギュストの大声に、デジレは動きを止めた。オーギュストは脇目も振らずにマリーローズを追いかけていく。
デジレは二人の消えた方角を見つめて、その場にひとり立ちつくした。




