73.好きになった人
デジレが迎えに行くとは言っていたものの、どこにとは聞いてなかった。それでもマリーは迎えにくる前に、会場に戻って彼を探した。
うろうろと視線を巡らせば、白金に煌めく金髪の彼はすぐに見つかった。スリーズ邸前と違って人が多い中でも、特有の美しい髪はよく映えて目立つ。いつも傍にいたために遠目からデジレを見ることがほとんどなく、新しい発見にマリーは嬉しくなった。
「デジレ様!」
彼に向かって、マリーは笑顔で駆け寄る。声に振り向いたデジレは、軽く驚いた顔をした。
「マリー。もう、よかった?」
「はい、もう大丈夫です。帰りましょう」
嘘をつくような人ではないと知っているが、ちゃんと夜会に残っていてくれたのがさらに嬉しくて、マリーはにこにこと笑う。結局色々考えても、マリーはデジレと一緒にいることが一番楽しかった。
「……そうか、じゃあ送るよ」
「はい」
ちょっとだけ笑ったデジレに、マリーはしっかり頷いた。
帰りの馬車の中も、雰囲気が少しおかしかった。デジレは何か物思いにふけるように外を見続けて、マリーと目が合わない。しばらくはじっと見つめていたマリーだったが、さすがにずっとその調子だとむっとした。
「デジレ様」
「え、ああ、何?」
「同じ馬車に乗ってるのに、無視するなんてひどいです」
「ああ、ごめん。ええと……」
やはりデジレの視線はマリーに向けられず、うろうろとさまよう。怒っていたのに、次は落胆がマリーの心を覆った。
「わたしといるの、面倒になりました?」
「違う、そんなこと思ったことない! ただ」
デジレが膝上の拳に力を入れた。
「ただ……どうすれば、マリーの役に立つかと考えていたんだ。なかなか、思い付かなくて」
「え? 役立つ?」
確認すればデジレが頷くが、彼は歪んでいる唇で自嘲する。
「そう。自ら役に立つと売り込んだくせに、私は全くマリーの役に立っていない。気になる相手だって、私が紹介したわけではなく、マリーが自分で見つけている。役立たずだ」
自分で言って落ち込みはじめた彼に、マリーは首を傾げた。
「デジレ様に役に立ってもらおうとは、あまり思っていなかったですよ。最初から。今も思っていませんし」
「えっ、役に立ってもらおうと思っていなかった……?」
「はい。あ、デジレ様が役に立たないとかじゃなくて、そんな気がなかったんです。ほら、役に立つかってその人そのものじゃなくて能力だけを見てるみたいですし、上から目線でなんだか嫌ですよね。だから役に立ってもらおうなんて全然思っていなくて、協力してくれたらなあとは思っていました。同盟って、協力する約束ですもんね」
マリーが望むのは、役に立つかどうか判断するような上と下との関係でなく、一緒に並び立つ横の関係だった。
つい長く語ってしまって、マリーは恥ずかしく身を縮こませる。
「だったら、少しは協力できたかな」
ぽつりとデジレが呟いた。声が小さくても、ふたりきりの場にいるマリーには、しっかりと聞こえた。
「行きでも言いましたけど、デジレ様のお陰です」
気落ちしているデジレに元気になって貰いたくて、マリーは力強く言った。
彼がマリーのために頑張ってくれたのはよくわかっていたし、その姿やマリーへの対応から好きだという気持ちが生まれた。苦しい時もあるが、ただ会えて話せるだけでも幸せだと感じる気持ちは、デジレのお陰で間違いなかった。
「それならよかった」
デジレがようやくマリーと目を合わせ、薄く笑った。その顔は、今日一日通してどこか寂しげで、ともすると悲しげで、マリーに対して彼はあまり楽しくないのかと思うと、マリーは残念だった。
そうこうしているうちにマリーとってはあっという間に、スリーズ邸に着いた。青いドレスを揺らしてデジレの手を借りて降り立ったマリーは、すぐに彼に顔を向ける。
「デジレ様、ありがとうございました。次も楽しみにしていますね」
ごめんなさいよりは、ありがとうの方が嬉しい。今日は笑顔でいるのだと決めたことを思い出して、マリーは自然と笑顔になった。
デジレの瞳は、しっかりとマリーを捉える。その眼差しはいつも以上に真剣だ。
しばらく無言の時間が流れ、マリーが小首を傾げれば、ようやくデジレはふっと息をはいて、今日はじめて優しそうに微笑んだ。
「……気になる相手じゃないな」
「はい?」
「その様子、好きな人か」
マリーは目を見開いた。
「マリー。好きな人が、できたんだな」
澄んだエメラルドの瞳を見つめながら、マリーは息の仕方も、声の出し方も忘れた。
好きな人は、たしかにいる。しかし今デジレが言うマリーの好きな人は、彼以外だ。そんな人は、いない。
マリーは震えている自分の唇を、なんとか動かした。
「……ち、がいます。違うんです!」
縋るように必死に目を彼に向ける。
デジレは眉尻を下げて、形の良い唇で弧を描く。
「ああ、じゃあ、気付いていないだけだ。傍で見ていれば、よくわかる」
彼は緩やかに目を閉じた。
「知っている、見たことがある。心から楽しそうで、嬉しそうで、とても幸せそうに輝く姿。相手を想う、その姿。ひときわ綺麗なんだ」
しんとした夜に、デジレの柔らかな声だけが響く。
マリーは口を開いても何も言えず、早くなる鼓動に手を当てた。
デジレが目を開ける。そして、笑う。
「相手が見つかって、良かった」
胸に鋭い痛みが走った。マリーは胸を抑える手に力を込める。
もう、デジレの顔を見られない。デジレに顔を見られたくない。そう思って顔を伏せた。
それからは、どう反応したかマリーは記憶がなかった。気付けばデジレはいなくなっていて、マリーだけがひとり残されている。
寒さが身に染みる。孤独さも身に染みる。
自分勝手に隠しておきながら、気付かれそうになって傷付くなど、なんとみじめで滑稽なことだろうか。もはや涙さえ、情けなさを超えて出てこなかった。
ふらり、とおぼつかない足取りで邸に戻る。
頭の中を何度も反復される、良かったというデジレの言葉に心が鉛のように重くなる。その彼の声に、一抹の悲しみを感じ取ったのは、マリーのなけなしの願望かもしれなかった。




