72.子供と大人
会場にぽつんとひとりでいることもできず、マリーは外へ出て、静かな場所にあったベンチに腰を下ろした。
寒さに身が震えるのに、目元には暖かい涙が込み上がってくる。手を握った膝に目を落とせば、青いドレスに涙が落ちて染みた。
これほど辛いのなら、隠さずに好きだと伝えてしまえばよかったとマリーは思う。しかし、その後のことを考えると、踏み切れない。告げてしまえばそれならと、デジレは先ほど見せたような困った顔をして粛々と受け入れるのかもしれない。もしかしたら、そういうのは困ると呆れられるかもしれない。どう考えてもマリーが求める好きを返してくれる理想とは違って、デジレにそんな顔をしてほしくなくて、傷付きたくないと思う彼女は言えなかった。
ならば、気になった相手はろくでもない相手だったということにしようか、とマリーは考える。
そうすれば、マリーの気になる相手はいなくなったことになり、前のようにまた相手探しに戻れる。デジレと、まだ一緒にいられる。しかし、言ってもいないのにデジレに気持ちを悟られてしまったことを考えれば、自分のあふれる気持ちを隠しきれる自信はなかった。きっと繰り返しになって、いずれ怪しまれる。
マリーは頭がぐちゃぐちゃで、全て放り投げたい気分だった。一生懸命考えても、良い方法が思い浮かばない。恋愛初心者で経験がないマリーには、難しすぎる心だ。
「やあ」
突然声が掛けられて、マリーは驚いて顔を上げた。しかし誰も見当たらない。
きょろきょろして幻聴かと思っていれば、後ろ、と声がして、ようやくマリーの背後にある垣根の向こうから声を掛けられているのに気付いた。
マリーが座れば全身を隠すほどの高さの垣根を振り返れば、その高さを超えて、漆黒の髪の後ろ頭が見えた。反対側にも、掛ける場所があるのかもしれない。
寒い風になびく闇のような黒髪に、マリーははっと思い出す。
「もしかして……ルイ、様ですか?」
彼はわずかに身じろぎしたが、振り返らない。
「まあ、そうだね」
「あ、お久しぶりですね」
「僕としては、もう会うつもりはなかったんだけど……泣いている令嬢を、ひとり放っておくことはできない。女性の泣き顔は見たくないから、こちらを向かず、座って」
若めの声だが、落ち着きがある。
以前会いたかったと言い、マリーの手の甲を掬って唇を寄せてきた彼はたしかにこんな声だったなと思い出しながら、マリーは言われた通り彼に背を向けて座り直した。
「それで、スリーズ嬢。どうして令嬢がひとり、こんな人気のない場所で、涙を流しているんだ。つれは?」
ルイの声は、抑えてはいるものの怒気を孕んでいた。おそらく、誰かに泣かせられたと思っているのだろう。いい人だな、とマリーはぼんやり思う。
「いえ、泣かされたとかじゃないんです。こうなったのはわたしの自業自得というか、とにかくわたしのせいですから」
「だからといって、放っておいていいわけじゃないよ。何があった? 全く関係のない者が相手なら、話せないかな」
やっぱり優しい。マリーは涙を拭った。
「じゃあ、聞き流してもらっていいんですけど」
澄んだ空を見上げれば、銀色の月が静かに浮かんでいた。
「はじめてのくせに、手の届かない人を好きになったんです」
ルイは、静かに聞いている。周りに響くのは、草木が風に揺れる音だけだった。
「子供が、大人や年上の人に構ってもらえているだけなのに、勘違いして好きになるような感じです。子供が好きだといっても、大人は困るだけですよね。好きだよって返してくれても、それは子供に付き合ってあげてるだけで、本心じゃない」
マリーはふうと息をはいた。
「子供と、構ってくれる大人は、全然立場が違うんですよ。子供は子供の世界があって、大人だって同じです。お互いその世界であるべきで、交わるべきじゃないんです」
事情を知らない相手でも、デジレの名前は出せない。名前を出さなくても言葉にすると、切ない。
「好きだとは、告げたの?」
ルイの質問に、見えないとはわかってもマリーは首を横に振る。
「いえ、例えは子供ですけど、わたしは子供じゃないので。言ったら相手が困ることくらい、わかっているんです。だから、告げません。傷付きたくないからかもしれないですけど」
マリーの口から自嘲が漏れた。結局、なにからなにまで自分のわがままだった。
「なるほど。でもそれは、勘違いしているかもしれないね」
「勘違いですか?」
「君が思っているほど、男は大人じゃない。精一杯取り繕って、胸を張って見せているだけ。良く見えるように、必死なんだ。相手も、子供だよ」
マリーは目を瞬いて、首を傾げた。
「なんだか、良く知っているような言い方ですね」
「僕がそうだからね」
ルイが笑った。立ち上がる気配がする。振り返れば、ルイが立っていた。しかし、マリーの方は向かない。
「僕は、スリーズ嬢にも幸せになってもらいたい」
以前言われた会いたかった、という言葉と同じような言い方だ。本音だ。誰かは全くわからなくとも、マリーはほんのりと心が温かくなる。
去る気配がして、マリーはまた引き止めた。
「あの、ありがとうございます! また、会えますか」
「どうかな。もう会わない方が一番良いよ」
美しい横顔が、月明かりで白く照らされる。口元にうっすらと笑みが浮かんでいた。
「じゃあね。彼によろしく」
そう言い残したルイは、暗がりに向かいあっさりと姿を溶かした。相変わらず夢の中のような人だと思ったマリーは、少し軽くなった心で、邸の中に戻った。




