69.誰が気になるか ★
「殿下、頼まれたものです」
デジレがオーギュストの前にどっさりと物を置く。それは花や茶葉など、種類がばらばらでまとまっていないものだった。
オーギュストは時計を見て、ため息をついた。
「早すぎる。最短で買い出ししてこいと言ったつもりはないんだがな。その陰気臭い顔をなんとかしろと外に出したのに」
「そうですか。ご期待に添えず申し訳ありません」
デジレは元気のない語調で謝ると、さっさと自分の席に戻る。大量の仕事が残っている机の前に行くと、ため息をついて眉間のしわを深くした。
「ああもう、暗いな。気が滅入る。何があったんだ」
持っていた紙束を机に放り投げて、オーギュストはデジレを睨んだ。デジレはその目線をちらりと確認して、手元の書類をじっと見つめたまま言った。
「……マリーに、気になる人ができたようです」
「そのマリーはマリーローズ?」
「私の方の、マリーです」
つい手に力を入れてしまい、紙がぐしゃりと形を変える。デジレは慌てて紙のしわを伸ばした。
「なんだ、良いことじゃないか。くちびる同盟の盟友が、相手を見つけたんだろう。お互いの相手を見つけることが目的だったろうに。それが達成されて、何を悩む必要がある?」
「そうですね。良いこと、です」
デジレがはそう呟きながら、手元のぐしゃぐしゃになった紙を見つめた。
夜会に行くのを再開した途端、マリーの様子が変わった。落ち着かない様子でそわそわして、デジレの話を心ここに在らずといった様子でまともに聞いていない。じっと会場を目を皿にして見つめていた。
癖で良い人がいたか聞けば、過剰な反応を示した。いつもは、全くいないと笑っていた。それをどこかで期待していたのか、彼女の急な反応にデジレは衝撃を受けた。良い人がいたのか、と確認が喉につっかえて出てこず、久し振りだから疲れたのだろうと決めつけて、その時は早々に帰った。
「……良いことで、間違いありません」
デジレは自分に言い聞かせるよう、繰り返す。
次の夜会まで期間を空けたせいで、その日までずっと悶々とした。気に入った人ができたとしたら、いったい誰がマリーの気を引いたのかずっと考えていれば、彼女がデジレにいい人はいないかと聞いてきた。
またしてもデジレは、胸を衝かれた。全く聞いてこなかったのに、尋ねてくるその青い瞳には、デジレにも気になる人ができて欲しいと祈りがあった。真面目なマリーのことだから、同盟のことも考えて、自分が相手を見つけたからデジレにも見つけなければと思ったのだろう。そう思うと、マリーに気になる人ができたのは間違いなくて、そんなことはないと心のどこかで思っていたのか、ひどく落胆した。
「でも、いったい誰がマリーの気を引いたんだ」
誰か、知りたかった。いくらデジレが貴族男性に詳しかろうと、聞かなければ誰かわからない。だがマリーは言いたくない様子で、とっさに彼は聞かないと宣言した。
「どうして、聞かないなんて言ってしまったんだ……」
理由はなんとなく気付いていた。誰かと聞いた時、更に深く聞けば、マリーにいやがられて嫌われてしまうかと思ったからだ。
それでも、気になって仕方がない。
「なんだ、くちびるの君の相手が気になるって?」
「はい。同じ場所にいて、同じ風景を見ていたのに、何故私は気付かなかったのだろうと」
「ん? なにも夜会で相手を見つけたわけではないかもしれないだろう。デジレが知らないところでかもしれない」
「いいえ。ここのところ彼女は夜会に行くたびに落ち着かず、会場に着けば真剣に見渡していました。ここ数回の夜会に参加している男性の可能性が極めて高いです」
伊達に何度も一緒に夜会に行っていない。夜会で出会っただろうことは、デジレの中で確信があった。
「それなら、その夜会の出席者を照らし合わせて調べれば良い」
「あ……」
「なんだ、気になるくせに調べていないのか? ルイの時はあれほど真剣に調べていたくせに」
その通りだった。調べれば良いのだ。しかし、ならばすぐに調べようとならず、全く手が動かなかった。
ルイの時とは違う。気になるはずなのに、どこかはっきりと知りたくないと思う。
矛盾した思いに黙り込んだデジレに、オーギュストが苦笑する。
「デジレ。お前、なにをするために夜会に行っていたんだ」
「なにをするためって……」
そんなものは当然、同盟まで締結した、マリーの相手を探すこと。キスの責任を取ること。彼女にとって余計な噂を払拭すること。
しかし、今。一番の目的であるマリーの相手探しに、なぜか渋っている自分がいる。
今までどうだったのか振り返れば、お互い見つからないと言いながら、目的なんてそっちのけでただ楽しく過ごしていた気がした。
「マリーに会って、夜会に行くことが目的になっていたかもしれません」
「そうか、まあそれも」
「間違っていますね。本来の目的に、正さないと。私が言い出したことです」
同盟を提案したのはデジレだ。その本人が、まともに守らなくては意味がなかった。
「しまった、そっちにいくか……」
オーギュストが小声で唸る。
デジレは心の迷いを振り払うように、書類に手を付けた。
しっかりとくちびる同盟の約束を果たすなら、今からすべきことはたくさんある。マリーの気になる人を聞かないと言ったからにはもうデジレからは聞けないが、それでもなんとか引き合わせなければいけない。
マリーが気になったであろう人の候補は、いた。
一人は、ルイ。デジレは知らないが、マリーが会って嬉しそうだった人物だ。彼について詳しく知りたくないと彼女は言ってはいたが、夜会で見かけたなら最初から好感を持っていたことだ、興味が惹かれるに違いない。
そしてもう一人、マリーの参加する夜会に必ず出席していた男がいる。ただし、その男は、会った時からマリーに嫌われていた。そもそも、彼女からすれば相手としては対象外だ。なぜなら、盟友なのだから。
極めて低い可能性であるのに候補に挙げるなんてと、デジレは自分が滑稽で力なく笑った。




