68.同じ笑み
気になる人がいると、デジレに気付かれてしまった。マリーは顔を手で覆った。
マリーがいるのは、街にあるひっそりとした公園だ。人影はなく、ひとりぽつんと奥の方のベンチに座っていた。
最近、邸にいてもリディがマリーの様子を訝しんでどうしたのかと聞いてくる。昨日の夜会の翌日で、その状態では心が休まらず、まだ昼前だからと一人で街に繰り出した。
公園は静かだが、やはり心は騒がしい。昨夜を思い出すとどうすればよいのだろうと頭を抱えてしまう。
幸いなのか、デジレにはマリーが彼を好きと気付かれてはいない。ただし、彼に存在しないマリーの気になる人を応援すると言われた。マリーがデジレの相手探しをするのも断られた。次回からどう振る舞えばよいのか、マリーは本当にわからなかった。
「お隣に座ってもよろしいですか」
女性の声が聞こえて、マリーは落ち込んだままどうぞと答えた。隣に誰かが座った気配がした。
頭がごちゃごちゃになっていたマリーだったが、急に公園のベンチはがらがらだったはずではと思う。
恐る恐る隣を見れば、背筋をぴんと伸ばした女性が掛けていた。綺麗に手入れがされている、星屑を集めたような灰色の波打つ髪に、年齢不詳に見える落ち着いた横顔には、透き通った菫のような紫の瞳が理性的に輝いている。
綺麗な人だなあと見惚れていると、菫色と目が合った。
「貴女がマリー、ですね」
「え……あ、はい」
冷静で落ち着いた声につい答えてしまう。なぜ名前を知られているのか、また噂だろうかと不思議に思っていれば、女性はゆっくり頭を下げる。
「はじめまして。アデライード・シトロニエと申します」
「あ、どうもはじめまして」
同じく頭を下げたマリーは、すぐにはっとして顔を上げた。
「シトロニエ……ですか?」
シトロニエは忘れるはずがない、デジレの家名だ。頷く代わりに、アデライードがマリーを見つめてくる。
彼女はデジレたちのように特別周囲の目を惹きつけるような美人ではない。だが、その静謐さを覚える瞳はマリーを惹きつけ、温かみを感じさせる。よく見ればデジレとは容姿の色合いは全く異なるものの、目元や上唇の形がそっくりだった。
「もしかして、デジレ様の」
「はい」
「お姉さんですか?」
デジレの姉のカロリナには会ったことがあるが、何も彼は姉は一人だけ、とは言っていなかったはずだ。
しかしそう言った途端、アデライードは目を見開いて、口元に手を当てて笑った。笑うとますますデジレと似ていて、マリーは見入った。
「姉だとしたら、私はたいへんな行き遅れになりますね。シトロニエ姓ですから」
「あっ、違いますよね、すみません……」
「いいえ」
彼女は口から手を離すと、優しげに微笑んだ。
「改めて、こんにちは、マリー。私はアデライード・シトロニエ、デジレの母です」
口を開いたまま、マリーは言葉が出なかった。しばらくしてようやく、口が動く。
「……えっ、デジレ様のお母さん、あ、お母様ですか! ええ、それじゃあ、シトロニエ伯爵夫人ですか? どうしてこんなところにいらっしゃるんですか!」
「はい、そう呼ばれることもあります。偶然マリーを見かけましたので、こちらに来ました」
まさかの人物に、マリーは頭の中が混乱していた。姉のカロリナよりも、大物だ。それに見かけたから来たということは、何か話したいことがあるに違いなかった。それは、ほぼ間違いなく、デジレのことだ。
緊張しながらも、マリーはアデライードの顔から目を逸らさない。
「デジレが、いつもお世話になっています」
「いえいえ、こちらこそ……」
「貴女にはさぞかし、ご苦労をお掛けしていることでしょう」
社交辞令でも、否定の言葉に詰まった。彼女はそんなマリーに、小さく笑う。
「デジレには、私が厳しく躾けてきました。女性には誠実に、優しく、紳士たれ。自分には素直にあれ、物事には真摯にあれ、と。何がおかしかったのか、結果としてご存知の通りです。女性が苦手で、真面目すぎるきらいがあります」
デジレのあの性格は母親の躾からきていたのかと、マリーはとても納得した。
「あのまっすぐなまま、今日まで世を渡ってこられたのは、良い出会いに恵まれたからだと思っています」
目を細めて、アデライードがマリーに微笑む。やはり、その笑顔はデジレを想起させる。
「マリー。シトロニエ家は、貴女を歓迎します。いつでもお越しください」
「あ、ありがとうございます」
どぎまぎしながらも返事をすれば、アデライードは柔らかく温かい目をして、立ち上がった。
「急に失礼いたしました。これだけ、お伝えしたかったのです」
「そうですか。えっと、嬉しいです」
マリーもなんとなく立ち上がって、軽く頭を下げた。ふふ、とまた控えめな笑い声がする。
「それにしても、デジレの姉かと言われた時は、口が上手なお嬢さんかと思いました。少し、無理があります」
確かに見直してみれば、アデライードは立派な貴婦人だった。言われた後に見てみれば、もうデジレの母親にしか見えない。
「ああっすみません。でも、デジレ様によく似ていらっしゃったので、ついそうかな、と」
「まあ、本当ですか。子供たちは容姿があの人にそっくりなものですから、私に似ているとあまり言われないもので、嬉しいです。ありがとうございます」
嬉しそうに目を輝かせる彼女は、何度見てもデジレと同じように見えて、マリーにはとても好ましい。
ただ、昨日の夜会ではデジレは一切嬉しそうに笑っていなかったなと思い出すと、心がぎゅっと締め付けられる気がした。




