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くちびる同盟  作者: 風見 十理
四章 近付くくちびる
63/139

63.いつも通りの恋心




 スリーズ邸の玄関で待ち構えていたマリーは、チャイムが鳴ってベルナールの姿が見えると、声を張り上げた。


「ベルナールさん! こんばんは!」


「こ、こんばんは」


 いきなりのことに目を丸くしているベルナールに構わず、マリーは鮮やかな黄色のドレスの胸元に手を当てる。そして、すっと息を吸った。


「今日のわたし、いつも通りですよね!」


「え、はい。いつも通りお綺麗だと思います」


「ありがとうございます!」


 やけくそに近い状態で礼を言うと、マリーはその勢いのままさっさと大股で邸を出た。 ベルナールがあっけに取られて、数秒遅れてついてくる。


 マリーの心は大変なことになっていた。

 準備中はいつも以上にそわそわして、リディに怪しまれた。リディにばれるようなら危ないと、気を引き締めてみたものの、迎えの時間が近付くと思うと居ても立ってもいられない。最初の頃とは違って、デジレはまだかと時間の経過がとてつもなく遅く感じた。

 そして、いざもうすぐ迎えが来るといった時になると、途端にどんな顔をして会えば良いかわからず、邸から逃げ出したくなった。まだ会ってもいないのにばくばくとうるさい心臓に呆れても、心は収まらない。もうどうしようもなくて、自分を追い詰めるためにも玄関でベルナールが来るまで待つことにした。


 自分は普通、いつもと変わらないとうるさい心の中で唱えながら、暗い外に出れば、光を見つけるように目が自然と彼を捉える。

 暗がりではっきり見えるはずがないのに、エメラルドのように綺麗とわかる瞳が、マリーをはっきりと映した。

 一瞬、マリーの心臓が止まった。


「……こんばんは」


 また鼓動を始めたマリーの中心は、どきどきと止まる前より加速していた。うるさくて、デジレにも聞こえそうだ。

 しかしデジレはそんなマリーの心拍に全く気付かないようで、近付いていつも通り微笑んでくる。


「こんばんは」


 耳に馴染む声の後、じっと見られて、ひときわ心が弾む。またしても逃げ出したい思いに、マリーはぐっと足に力を入れて耐えた。

 いつもの違い探しだ。マリーは何度も何度も自分に言い聞かせる。


 今回は迷いに迷った。

 新しく貰った(とろ)けるような赤い口紅を、付けるか付けまいかまず悩んだ。デジレから贈られたものを早速身に付けるなんて、いかにも彼に好意があるようだ。しかし、デジレが見てみたいといっていたから、付けない方が違和感を覚えられるかもしれない。

 同じくデジレから貰ったハンドクリームを手に塗るか迷った。デジレと同じシトラスの香りを纏うなど、貴方が好きといっているものではないか。しかし口紅と同じく贈られたもので、口紅は塗っているのにハンドクリームを付けていないのは怪しまれる。

 そもそもドレスも贈られたものだ。しかし貰ったものは気に入っているし、これ以外まともなものがない。ずっと着てきたのに、いきなり着なければおかしいと感じるはずだ。

 デジレはきっと鈍いだろうと思っていたくせに、もしかすると外見ではなくて心の違いに気付かれてしまうのではないかと、気が気でなかった。

 見られている今、全く落ち着かない。


「あ、口紅」


 びくりと、大げさなほどマリーは反応した。腕を彼女に伸ばしていたらしいデジレは、軽く謝って手を下げた。


「やっぱり、その色もいいな。よかった」


 とても嬉しそうに笑うものだから、マリーは恥ずかしくなって頰が赤くなるが、同時に喜びも胸に広がる。じんわりと(にじ)むその思いは、嬉しいと無意識に顔にも表れた。デジレが笑顔を収めて、端麗な唇を小さく開けると、ばっとマリーから顔を背けた。

 え、と驚いていれば、デジレがほんのり頰を染めてすぐに向き直ってくれる。


「あ、ごめん。じゃあその、行こうか」


 差し出された手に、マリーは自然と手を出そうとして、固まった。

 結局、ハンドクリームは塗った。塗った手を顔に近付けてシトラスの香りだと喜んでいれば、すぐに羞恥心が襲ってきてうずくまりたくなった。

 一番デジレに触れるのは、今ハンドクリームが塗られている、手だ。

 気付くだろうか、気付くだろうか。少しクリーム特有の滑らかさがあるから気付くかも知れない。


 意を決して、マリーは手を預けた。

 大きな硬めの手の感触がする。なぜか心音が手から感じられて、これではデジレがわかってしまうのではないかと緊張する。

 デジレが唇に柔らかい弧を描いた。

 すっと手を引かれて、馬車に招かれる。ああ気付かなかったのかとマリーが落胆すると、不意にデジレがマリーの手を自分の顔に近付け、目を閉じた。

 驚きと羞恥に、マリーは息が止まる。特に何もせず、顔から手を離したデジレは、目を開けると満足そうににこりとマリーに笑いかけた。

 何か言って! と恥ずかしさから悲鳴にも近い声を上げたくなったマリーだが、馬車に乗せられるその身体が近付いた瞬間、デジレからも同じ香りを感じて、ほっと息をはいた。


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