55.準備の裏話
外はいつもの夜会と違い、明るく日差しが差し込んでいる。
澄んだ空色が広がり、緑がふわふわと風にそよいで視界を彩る中、マリーの目は馬車に留まる。夜目でも立派に見えたそれは、色合いがはっきり見える今、とても品が良いものだった。
自然と馬車の前に視線が動くも、誰もいない。そうかと気付いたマリーが振り返ると、デジレが軽く首を傾げた。明るい光の下で見る彼は、美貌がはっきりと見える。睫毛の一本一本までわかって、マリーはすぐに顔を背けた。
馬車を見れば、御者の席にベルナールが座っている。気付いたマリーは、騒めく心を誤魔化すように彼の元に走った。
「ベルナールさん!」
「はい。こんにちは、マリー様」
ベルナールはいつもと同じ落ち着いた穏やかな笑みを浮かべる。はっきり見える昼では、マリーにはより柔らかい笑顔に思えた。
「あ、こんにちは。あのっ、なんですか今日のデジレ様! 本気っていうか、見た目の気合いすごいですよ!」
ああ、とベルナールはマリーの後ろ、おそらくデジレを見遣って、笑う。
優しい印象のベルナールを見ていると、マリーは迎えが彼でよかったのにと思えてきた。今日のようにいきなりデジレを見たのでは、心臓に悪い。ベルナールで一旦慣らして、デジレに会う方が心の準備ができる。
「二、三日前になにか、我が主人に伝えませんでしたか?」
「なにかって……」
そういえば、冴えない人と外を歩けないと言った。ただそれはマリーなりに気を遣った言い方で、デジレもマリーの本意をわかっていたような反応だった。
「あれは、デジレ様がすごく疲れていたから、休むようにって意味で言ったんです」
「確かに、ここしばらくは根を詰めていましたね」
やはりそうか。マリーはデジレの疲れ切った顔を思い出す。
ベルナールがそんな彼女を見ながら、顎に手を当てる。
「デジレ様は、身だしなみはしっかりきちんとされています。それだけで、見た目としては十分でした。ですが、異性に良い印象を持ってもらうよう容姿を整えることは、したことがありませんでした」
「え?」
ベルナールは、にっこりと笑う。
「この二日間、我が主人はそれはもう頑張って、本日の身だしなみを考えていました。女性に、マリー様に好かれる格好はと、誰彼構わず聞き回っていましたね。私など、何度意見を求められたかしれません」
「ええ!」
マリーの頰がぽっと熱くなる。ますます落ち着かない気持ちになって、そわそわする。
恥も外聞も気にしない彼のことだ、直球に聞いて回ったに違いない。そう思うと、マリーが恥ずかしがる要素はないはずなのに、頰がますます熱を持つ。
「いやあの、わたしは休んで欲しかったのに、そんなことでさらに忙しくしてもらったら本末転倒です」
「いえ、休んでいましたよ。特に昨日は早々に帰ってきまして、明日は休みでマリー様と出掛けるのだと、早めにベッドに入ってぐっすり寝ておりました」
確かに、隈はなくなっていた。それどころかすっかり元気な様子で、内側から光り輝いていたかもしれない。後ろを振り向いてデジレを見ればすぐにわかることだが、マリーは振り返ろうとしてすぐにやめた。
「そ、それならいいんですけど……。どうして今日はデジレ様がお迎えに来てくれたんですか?」
「本日は夜会でないから自分が迎えに行くと張り切っていましたので、お譲りしました。私の方が良かったでしょうか?」
はは、と声を上げて笑うベルナールは、答えに窮するマリーの気を軽くする。彼はまた、マリーの後ろに視線を向けて、薄めの唇の口角を上げた。
「そろそろ、主人の元にお戻りください。先日の私との言い合いがあったので我慢しているようですが、さすがに不機嫌さが滲み出ています」
そう言われてマリーは振り返る。
気を遣ったのか、彼女とベルナールの会話が聞こえないだろう距離を置いて、デジレが立っていた。目線を斜め下に落として、顔はよく見るとむっとしている。
あっと気付いたマリーは、今度は彼に駆け寄った。
「すみません、デジレ様! もう行きましょう」
「……やっぱり、迎えはベルがよかった?」
デジレがマリーと目をあわさないまま、言う。
悔しさと失望が混じった呟きに近い言葉と、悲しそうな彼の顔に、マリーは目を瞬かせた。
「ちょっと、じゃなくてかなり驚いたので、そういう点ではベルナールさんでよかったなあってちょっと思いましたけど」
「そう」
「え、でもデジレ様が迎えてくれて、嬉しかったですよ。それに、この二日間頑張ってくれたみたいですし」
デジレが驚いて一瞬マリーを見たが、すぐにベルナールの方を睨む。しかし、その顔は照れていて、少しも怖くない。
「ベルが、余計なことを」
「わたしは、それも嬉しかったですよ」
「努力していると知られるなんて、恥ずかしい……」
女性も羨むようなしみひとつない頬を紅に染めて、顔をマリーから背け続けるデジレはとんでもなく格好良いはずなのに、マリーには可愛らしくみえた。この姿を見られる方がよほど恥ずかしいのではないだろうかと思いながらも、マリーはそんな彼から目を離せない。
「もう、よろしいでしょうか?」
ベルナールの声に、ようやく二人は我に返った。




