54.綺麗と可愛い
出掛ける当日。
昼だからと軽く結って下ろした髪を遊ばせ、可愛らしい印象を受ける薄桃のドレスを着たマリーは、落ち着かなくて何度も廊下と部屋を行ったり来たりしていた。
「マリーさま、もう少しですから落ち着きましょうよ。デジレさま、ちゃんと来ますって」
「な、なんだか昼だから落ち着かなくて」
「あんまり動いていると、綺麗にした化粧とかドレスとかだめになりますよー」
マリーはきゅっと唇を引き締めて、足を止めた。唇に塗っているのはもちろん、今日行く店でデジレが買ったらしい、さくらんぼ色の口紅だ。
マリーはゆっくりと鏡台の前まで歩く。髪や化粧の崩れがないか簡単に確認すると、台の上にある小さな缶を手に取った。開けてみると、真ん中から綺麗に底が見えて、縁にあと少しだけ柔らかい黄色のクリームが残っている。
もう少しで使い切る。マリーはクリーム缶を見ながら、笑みを浮かべた。
その後すぐに聞き慣れたチャイムが鳴って、マリーはびくりと肩を上下させた。
「ほら、来ました」
「あ、わたしが行くから。行ってきます!」
「行ってらっしゃーい」
リディを押し退けて、はやる心のままにマリーは足を急がせた。
ベルナールが迎えの挨拶をしてくれて、デジレに会って、お店に行くのだ。わくわくしていた彼女は、玄関を見て固まった。
「マリー、こんにちは」
きらきらと、光の加減で白金のように煌めく金髪が目に飛び込む。しかしその髪はいつもとは違い、簡単に、しかし綺麗に整えてあった。
身に纏う服は、一目で良い生地とわかる、白地のもの。それなのに、彼の体躯をしっかり締まってみせて、この服しかないと思うほどとても似合う。精緻な飾り刺繍に、ワンポイントとして彼のエメラルドの瞳を思わせる小物が目を引く。
当然、誰もが振り向くであろう完璧な配置のその顔には、思わず触りたくなるような張りのある均整のとれた唇がある。それが描く柔らかい線は、彼の穏やかな性格を表しているようだ。
全てが、彼の魅力を際立たせる。
マリーは気圧されて、数歩後ろに下がった。
デジレなのは、すぐにわかった。だが、今日の彼は、もともとの美しさを超えて輝いている。まるで美の人智超えに挑戦しているのかと思う程である。
いや、もう、彼は人なのだろうか。月の化身かもしれない。マリーは、惚れ惚れするのを通り越し、無表情でデジレを見つめた。
「マリー?」
デジレが一歩マリーの方へ進む。動いたことに過度に反応したマリーは、さらに一歩下がった。
「……この格好は、駄目だったか」
ものすごく美しい青年が、しょんぼりと俯く。それを見て、ようやくマリーは我を取り戻した。
「ちっ、違います! あんまりにも綺麗で、ここまで綺麗な男性見たことなかったから、驚きに驚いただけです!」
「え、綺麗?」
デジレはきょとんとして反芻した。
その反応に、まさか自分で気付いてないのかとマリーは声を上げたくなった。
「え、綺麗ですよ! 今日はいつも以上に! みんなそう言います。今のデジレ様を綺麗で格好いいと思わない人、いたら話を聞いてみたいです」
「いや、マリーに容姿を褒めてもらったのははじめてだったから、驚いて」
「え? 何言って」
思い返せば、散々心の中で綺麗だとは思っていたものの、口には全く出していなかった。呟いたことはあったかもしれないが、聞こえてなかったのだろう。
口元に手を当てて徐々にはにかむ彼は、信じられないほど光り輝いているのに、どこか可愛らしい。
「綺麗や格好良いと、マリーに気に入ってもらえるなら、この容姿で良かった」
心がぎゅっと鷲掴みにされたような感覚を、マリーは味わった。
どきどきが止まらない。いつも以上、と嬉しそうに呟くデジレに気付けば、より心臓が加速して、血を頰に送りつける。
「いやあの、あまり、というか全く、言葉に出してなかっただけで……最初からそう思ってました。すみません」
「ああ、そうか。私だって、そうだった」
もじもじとするマリーが、ちらりと彼を見ると、澄んだ彼のエメラルドに自分が映っているのが見えた。
「今日は、ひときわ可愛い。私も、今のマリーを綺麗で可愛いと思わない人がいたら、魅力を語ろうかな。最初から、ずっとそう思っていたから」
なんて殺し文句!
マリーは恥ずかし過ぎて口をぱくぱくと動かす。言葉が出ず、悲鳴が上げられなかった。
言われた言葉を理解してしまう自分が憎らしい。最初からっていつからだろうと、今はどうでも良さそうなことまで頭をぐるぐると駆け巡る。
そもそもデジレはマリーの言った言葉を同じように返しただけで、何を余計なことを言ってしまったのだろうと、混乱する頭を抱えたくなった。
しかし、仕方ない。目の前のデジレは直視できないほど綺麗で格好良い。
「も、もう行きましょう!」
「そうしようか」
マリーはそう言って、早足でデジレより先に邸を出た。




