44.昼の公爵家にて
何度見ても宮殿にしか見えないプリムヴェール公爵邸に、迎えの馬車が止まる。未だ慣れない公爵家の使用人に促されて、マリーは馬車から降りた。
ようやくたたらを踏むことがなくなった足を進めて、整えられている広い庭を通って玄関に向かう。入口が見えたところで、その扉が開いた。
邸から、白く煌めく金髪の青年が出てくる。背の高い、遠目で見ても容姿端麗とわかる彼は、邸の中の誰かと話しているようでマリーには気付いていない。デジレだと気付いたマリーが足を止めると、見送る為かマリーローズの姿も見えた。笑顔の彼女は、デジレと話をしている。
「……じゃあ、マリー……。これで」
「ええ、また」
美青年と美女が話している。その光景をぼうっと見ていたマリーは、マリーローズと目が合った。彼女は少し目を見開き、楽しそうにマリーに微笑む。
「あら、マリー。来たのね」
「え、マリー?」
振り返ったデジレが、マリーに気付いて驚いた顔をする。なんとなくマリーは悪いことをしたような気分になり、目を逸らして軽く会釈した。
デジレはそんな彼女に気付かないのか、距離を縮める。
「こんにちは、マリー嬢。まさかこんなところで会うとは」
「こんにちは。あの、お邪魔してすみません」
「いや、もう帰るところだから邪魔じゃない」
昼間に外で見る彼は、やはり美しい。背にしている公爵邸にふさわしい気品が漂う。それらから住む世界が違うと感じるのに、マリーには自分と話すデジレが心なしか嬉しそうに見えた。
「そうだ。ジョゼフ殿、大丈夫だった?」
「ああ、聞きましたよ。兄と手合わせしたみたいですね。ちゃんと生きてますよ」
「そうか。急所は外したからおそらく大丈夫かと思っていたけれど、良かった。彼の形相から、手を抜いてはいけないと思って、本気でお相手したんだ」
デジレは目を閉じて感心するように、何度か頷く。
「ジョゼフ殿は、とても芯が強い方だな。感服したよ。何度倒しても諦めずに連戦を挑んできたのは、彼くらいだった」
「え、一回たたかっただけじゃないんですか?」
「そう、五回かな。さすがに五回戦後は動かなくなって」
兄はなにをしているのだろうと、マリーは呆れた。
一回で実力差はきっとわかるだろうに、それもわからずデジレに挑み続けたとしたら、馬鹿だ。五回も完膚無きまでに打ちのめされたのなら、ジョゼフが身体を動かせなくなるのも納得がいく。
マリーはため息をついた。
「なんで兄はデジレ様に喧嘩売ったんでしょうね……」
「ジョゼフ殿に、自分に勝てないなら貴女に会うなと言われたんだ。既に夜会の約束をしているから、そういうわけにはいかなくて」
「そんな兄の言葉、真に受けなくていいんですよ」
「そうはいってもマリー嬢のあに……あ、いや、身内の方だから、無視するわけにもいかない」
よりによって相手が真面目なデジレだから、ジョゼフはあのような様になったのかもしれない。なんとも言えない気持ちになって、マリーは口を閉じた。
「あら、デジレ。時間がないのではなかったの?」
邸から澄んだマリーローズの声がする。はっとしてマリーが顔を向ければ、彼女は苦笑いしている。
マリーローズの声にマリーと同じくはっとしたデジレは、慌ててマリーローズに軽く礼を言ってマリーに向き直る。
「あ、そろそろ行かなければ。さすがにこれだけ離れると、殿下にどんな嫌味を言われるか」
「引き止めてすみません」
「いや、私が話したかっただけだから、気にしないで」
ふわりとデジレが微笑む。
「また今夜」
その一言だけ最後にマリーの耳に残すと、デジレはマリーの横を駆け抜けた。マリーはその後ろ姿が見えなくなるまでじっと見送った。
「まったく。忙しない男ね」
いつのまにかマリーの傍までやってきたマリーローズが、肩を竦める。夕陽の色味が目を惹く金髪が、陽に照らされて輝く。近くで見れば見るほど絹のように滑らかとわかる白い肌に、マリーはちょっとだけ嫉妬しそうだった。
「ローズ様。デジレ様と何を話されていたんですか?」
「うふふ、内緒」
彼女は小振りで咲いたばかりの花びらのような唇に、指を当てた。可愛らしい、とマリーは思う。
「でも、ひとつ教えてあげるわ。先日のわたくしが代理をした夜会があったでしょう。あの見返りとしてケーキを買ってもらったのよ」
「ケーキ?」
「そうよ、有名店の限定もの。あまりの人気で、開店後すぐに売り切れてしまうから、開店前から二、三時間は待たないと買えない幻のケーキ」
「……え、まさかデジレ様に待たせて買わせたんですか?」
「当然でしょう?」
さらりと何事もないかのように言うマリーローズは、口元にいたずらっ子の笑みを浮かべる。
「デジレは責任感が強すぎるから、さっさとこちらから適当な要求をしてあげるのがいいのよ」
楽しそうな笑い声を漏らすと、マリーローズは邸の中に向かって歩き出す。
「さあ、マリー。今日は食事のマナーのレッスンよ。お腹は空かせてきたでしょうね、ビシバシいくわよ。ご褒美にマリーの分のケーキもあるから、頑張りなさい」
飴と鞭だ。そう思いながら、マリーは慌ててマリーローズに続いて公爵邸に入った。




