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くちびる同盟  作者: 風見 十理
三章  瞳を閉じて
38/139

38.見つからない ★

 



「あ、今日は夜会に行く日か」


 出来た仕事を全てオーギュストに渡したデジレは、言われた言葉に軽く目を見開く。


「その通りですが、殿下は私の夜会予定を全て把握しているのですか?」


「そんなわけがない。だいたいお前たちは三日に一日ほどは夜会に行っているのだから、覚える必要もないだろう」


 オーギュストは、デジレから渡された書類の束を手の甲で叩く。顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。


「夜会に行く日は、いつもお前は仕事が早い」


「ああ。自覚がありませんでした」


 デジレが光が差し込む窓から外を見れば、まだ昼の明るさが残っていた。確かに夜会の予定がない日は、仕事が夕方までかかることが多い。


「なにせ、夜は殿下に(はべ)られませんからね。早めに多く仕事をこなしておかないと、殿下の負担が増えます」


「まあ、そうだが」


 当然という顔で言うデジレに、オーギュストは苦笑する。彼は手を組んで、目の前の側近を見ながら軽くため息をつく。


「夜会はつまらないか?」


「いえ、楽しいですよ。どうして今まで行かなかったのかと思う程です」


「へえ?」


 即答にオーギュストがにやりとするが、デジレは何か考えているようで気付かない。


「ただ。これだけ行っているのに何故か相手が見つからないのです。マリー嬢も探しているのに」


「ん? マリーローズ?」


「違います、マリー・スリーズ嬢です」


 さっと訂正して、デジレは先日の夜会を思い出す。

 唇の話を互いにしていたので、デジレはなんとなくマリーが好きそうな唇がわかっていた。それでも、その唇を持つ独身で相応の男性となると、なかなか見つからない。

 もちろん、好みの唇だけで相手を選ぶのは難しいということはわかっている。そのため、一番はキスしたくなる唇を持つ相手とはしているものの、唇要素を除外して探してもいた。それでも、デジレの見る限りマリーはどうもぴんときていないようだった。


 デジレは先日彼女の唇に触れた手を、目の前で見つめる。

 マリーの唇は、上唇下唇ともに同じような厚さだ。厚くも薄くもないが、微笑んで口角が上がると、優しい弧を描く。ほんのり上気した色も含め、全体的にとても優しく柔らかい印象だ。

 実際、彼女の唇は見た目以上に柔らかかった。例えようもないほどで、心地よく指を離しがたいほどだった。

 唇の要素なら、他の女性の追随(ついずい)を許さないとデジレは思う。


「なにか、やり方が間違っているのか……」


 ぼそりと呟くと、オーギュストがなんとも言えない顔をした。


「デジレ、夜会に行く目的の確認をするが。噂がひとまず落ち着いた今、デジレとくちびるの君、お互いにキスしたくなるような相手を探しているんだったな」


「はい」


「それで、見つけるためにまず自分の唇を良くして語り合う、と」


「最近はいつもそうですね」


「私からすれば、お前たちはなにをやっているんだ、と思うんだが」


 呆れた顔のオーギュストに、デジレは不思議そうに首を傾げる。


「なにをおかしく感じますか? 自らのくちびるを高めるのは、他人のくちびるを判断するための基準を知るためであり、くちびるを選定するならば、己が選定できる立場にならないといけないと考えているからです」


「いや、それは前にも聞いたし、言いたいことはわかる。意見するには意見できる相応の立場になるべきという考えは一理あると同意するが、なんと言えばいいのか……」


 オーギュストはしばし(うな)った。彼がちらりと目を向けたデジレは、至極真面目顔だ。


「案外相手は、身近にいるのかもしれないぞ」


「殿下には心当たりが?」


「まあ、可能性として」


「なるほど。心に留めておきます」


 素直に頷くデジレに、オーギュストはなにか言おうと口を開いたが、諦めてまた息をはいた。彼が話は終わったと手でデジレに示せば、彼は素直に自らの持ち場に戻る。


「ああ、夜会といえば、来週に公爵家のものがあるだろう。それに参加する」


「え、急な話ですね。でしたら、その会はマリー嬢に断ってお供いたします」


「いや、お前の供は不要だ。どうせちらりと顔を出せば良いのだから、既に違う護衛に頼んである。デジレはくちびるの君をエスコートしていれば良い」


 デジレは申し訳なさそうな顔を見せる。オーギュストは気にするなと笑った。


「それと、挨拶も不要だ。お前のくちびるの君を私に会わせたくないんだろう?」


「それは、そうですが……」


「私もお前たちを見つけても、見ていないふりをするからな。まあ、さっさと夜会から帰りたいんだが」


 軽口をたたくオーギュストは、気を遣ってくれているとすぐにデジレはわかった。

 忙しい身であるにも関わらず、当初からデジレが夜会に行くのに理解を示して、遠慮なく行かせてくれているのもわかっている。それを無下にするほど、デジレは彼の気持ちがわからないわけではなかった。

 謝罪ではなく感謝の意を伝えれば、オーギュストは満足そうに笑った。



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