37.フィンガーキス
「はい?」
「前から柔らかそうだとは思っていたけれど、実際どれほどそうなのかはやはり見るだけではわからない。だから、触ってみたいんだ」
デジレの瞳は純真で、下心もなにも見当たらない。マリーは少し彼の目から目線を逸らした。
デジレはどこか距離感がおかしいとは、マリーは感じていた。女性に慣れていないせいか、女性の扱いがなにか違う。マリーも経験がないのではっきりとはわからないが、おそらくそれは間違いないと思う。
褒め言葉にしても、今のような言葉にしても、とにかく彼のまっすぐな気性の為か、思ったことをそのまま言動にしているようだ。さすがに急な行動は弱るので、一言聞いてほしいと頼んだが、それでも内容はこれである。
断ると、とても落ち込むのは幾度か見てきた。
「はあ……。ええと、いいですけど」
ためらいがちにマリーが許可すれば、デジレはぱっと目を輝かせて嬉しそうな顔をする。
「ありがとう。じゃあ、早速」
身体の向きを変えてマリーと向き合ったデジレは、そっと右手を挙げる。マリーの首元の高さまで来たその手は、人差し指だけが立つ。
ゆっくりと近付くその長い指を見て、ふとその奥の彼の表情を見れば、真顔だ。いよいよとなると、マリーは目を強く瞑った。
目を閉じても、頭の中に自分の唇に近付く指のイメージが浮かぶ。ふるふると唇が揺れて、息を止めた時、マリーの唇に指の腹が触れた。
優しく触れた指先を、唇が柔らかく受け止める。指に軽く押されて、柔らかくゆっくり沈み込む。人の指はここまで熱いものだったかと思うほど、指から熱がじわじわと伝わり、頰が淡く染まる。心臓がどくどくとうるさい。
彼の手から力が抜けると、それをゆっくりと唇が弾力で跳ね返す。熱源が離れて、ほうと唇から息を零して目を開けた先には、まだ離れたばかりのデジレの大きな手があった。
彼の表情は、唇に触れる前と変わらない。彼は手をゆっくりマリーから離すと、目を閉じる。そのままマリーの唇に触れた人差し指を、デジレは自分の唇に押し当てた。
マリーは目の前の光景に、ぽかんとした。
そしてすぐに、身体を羞恥が襲う。頰にまた、熱が集まる。
「やはり女性の方が柔らかいのか。体質の違い? 脂肪か、水分量か。厚さも違う」
目を閉じながら吟味するデジレは、人差し指で自らの唇に触れながら言う。
恥ずかしくて恥ずかしくて、マリーは黙って見ていられなかった。
「あっ、あのー、デジレ様」
「うん、想像以上に柔らかかった。ありがとう、マリー嬢」
もう一度目が合ったデジレは、とても満足気にマリーに微笑んだ。
「どう、いたしまして……」
なんだか良い事をした気がする。聞かなくてもすぐにわかる嬉しそうな彼の様子に、マリーは絆されそうだった。
彼女はまだ熱が残る顔をぶんぶんと横に振った。そんなはずはない。どうして自分だけこんなに恥ずかしい目に遭わなければいけないのか。
マリーは頬を膨らませて言った。
「デジレ様だけずるいので……わたしもデジレ様のくちびる、触っていいですか?」
「ああ、そうだな。もちろん、どうぞ」
さらりと許可される。
呆気にとられていれば、デジレは屈んで、マリーと視線を合わせた。
目の前に、端正な顔がある。目は、じっとマリーを見つめている。マリーも見返す。
様々な唇を見つめて気付いたが、例え唇だけが良くとも顔に合っていなければ、違和感がある。しかし、目の前のデジレは唇も含めて完璧だ。
マリーも実をいうと、デジレの唇に興味があった。流れるような綺麗な唇は、やはり抜群の均整がとれている。柔らかさよりも締まりが見えて、固いのか弾力があるのかと気になる。
手を、ゆっくりと彼の顔に近付ける。デジレの目がマリーの手に向けられて、彼女は思わず手を引いた。そしてまた恐る恐る指を近付けるも、美しい顔に気後れして手が引ける。
何度も手を出したり引いたりしていると、デジレがゆっくり目を閉じた。気を遣ったのだと気付いて、マリーは息を呑んで思い切って手を伸ばす。
少ししっとりした感触がする。ぎゅっと押すと、柔らかいのに芯があるような弾力がマリーの指を押し返す。
その不思議で気持ちがいい感触に、マリーはもう一度押してみた。指から伝わる温かさも興味深い。
マリーは夢中になって、何度もデジレの唇を指で押した。デジレが少し頰をひくつかせたが、気付かない。
「……ちょっ」
デジレが小さく唇を動かす。
押していたマリーの指が、彼の唇に軽く食まれる。
「ひょわあ!?」
驚いてマリーが指を離す。食まれた指を守るように手で覆う。混乱した目で、デジレを見る。
「あ、ごめん、いきなり。でもさすがに、そこまで何度も触られると」
デジレは白皙の頰をほのかに染めて、口元を隠すように手を当てていた。
その様子を見るだけで、マリーも伝染して頰がまた熱くなる。彼の唇に挟まれた、人差し指も負けじと熱を持つ。恥ずかしい事をしてしまった、と心がばくばくと音を鳴らす。
お互い視線はあわさずに、のぼった熱を冷ますように黙り込んだ。
ようやくデジレがマリーに視線を戻す。それに気付いた彼女は、あっと思い口を開いた。
「あの! くちびる、いい感じでした!」
「本当に? 良かった」
今日一番の笑みを浮かべるデジレは、まだ頰の赤みが消えておらず、マリーには照れて喜んでいるように見えた。




