32.婚約者がいない理由
マリーもぱちぱちと目を瞬いた。
「婚約者って、ローズ様はいらっしゃいませんよね?」
「そうよ。殿下もデジレもいないの。だから、もしわたくしがどちらかを好きならば、彼らの婚約者になっているのではないかなって。どちらが婚約者でもあり得るもの」
マリーローズはすっかり話に夢中で手がつけられていないクッキーに手を伸ばす。クッキーには緑色の砂糖でできた飾りが付いていた。
「デジレは伯爵家だけど、古くから続く名門で代々陛下や王太子殿下に仕える国屈指の格式高い家だから、わたくしが嫁いでも全くおかしくないのよ」
彼女はクッキーを頬張る。
上品に食べるマリーローズを見ながら、マリーは硬直した。あやふやにデジレは身分が高いと思っていたが、今の彼女の話からすると想像以上、いやマリーには想像できない程度に高いように聞こえた。
今までの彼への失礼とも言える自らの態度を思い出し、目が泳ぐ。同時に勢いだろう求婚を断ってよかったと心から安堵の息をはき、やはり絶対彼は相手としてはありえないと思い直した。
「わたくしはそもそも殿下の婚約者候補だからね。婚約者候補は何名かいるけれど、わたくしが一番身分が高くて最有力なの」
「だったら、もうローズ様で決まりなんじゃないですか?」
「いいえ、決めるのはわたくしではないからわからないわ。それに最有力なのも成り行きよ。もともとわたくしと、デジレのお姉様のカロリナ様のどちらかだろうと言われていたのだけど、カロリナ様が辞退されたのよ。彼女はもう結婚されているから、実質わたくしかなってだけで」
マリーローズは紅茶を手に、どこか遠い目をする。画家がこぞって描き出しそうな憂いを帯びたその美しさに、マリーはしばし見惚れた。
「なんでローズ様は、婚約者がいないんだろう」
「そうね。何故かしら」
呟きを拾われて、マリーはとっさに口を押さえた。失礼なことを、と焦る彼女にマリーローズは気にした様子もなく顔にかかる髪に触れる。
「デジレは女性が苦手。殿下は気に入った人がいても、無理強いはできない性格。では、わたくしは? まあ、わたくしの両親は王太子妃になるのは我が娘だと思っているから、殿下が婚約しない限りはなにも言ってこないせいかもしれないけれど」
軽くいじった夕焼けのような髪を、マリーローズはふわりと離す。
「きっと、三人のうちの誰かが婚約者を持ったら、みんな一斉に持つようになるのよ」
首を傾げて小さく微笑むマリーローズは、大輪の薔薇のように輝いているのに、マリーには花びらが今にも散りそうな儚さを感じた。
三度目の夜は、意外にもあっさりと訪れた。
すっかり準備をしたマリーは、玄関前で待機をする。
マリーローズとのお茶会は、行く前のマリーの予想に反してとても楽しかった。デジレの話題であんなに気持ちをわかってもらえたのははじめてで、盛り上がったといっていいくらいマリーは笑ったし、マリーローズも笑っていた。
今回の夜会には彼女も参加すると言っていた。当然お茶会のような気軽さは出すわけにはいかないだろうが、マリーはほんの少し嬉しかった。
いつもより機嫌よく待つが、約束の時間が過ぎる。
今までデジレが時間に間に合わなかったことがなく、マリーの心に小さな不安が芽生える。
マリーには待つだけで、デジレを確認する手段はない。うろうろとなにもするわけでもなく足を動かしていると、待ちわびたチャイムが鳴った。ほっと息をついて、玄関に目を向ける。
「マリー。ごきげんよう」
女性の声がする。現れた人物に、マリーは目をこすった。
先程彼女のことを考えたせいか、ベルナールがマリーローズに見える。
もう一度目を閉じて開くが、目の前の夕陽色のドレスを纏った星のように輝く美女は変わらなかった。
「ろ、ローズ様! なんでうちに!」
「ふふ、よい驚きっぷりね。その顔が見たくてわたくしが直々にマリーを迎えに来たのよ」
微笑みをたたえるマリーローズは、一通の手紙をマリーに差し出した。
「デジレは今日急用が入って出席できないの。でもマリーが待っているからって、急遽わたくしに一緒に行って欲しいって頼んできたのよ。これは謝罪の手紙ですって」
呆然としながら、マリーは手紙を受け取った。ちらりと手紙を見て、そのままマリーローズを見る。
「お相手を見繕うのでしょう? デジレ程ではないけれど、わたくしもそれなりに殿方には詳しいから協力するわ」
「へ……えっ! そんな、ローズ様にそこまでしてもらうわけには」
「デジレには今回の見返りをしっかり求めているから、マリーは全く気にしなくて良いのよ」
さあ行きましょう、と彼女が言う。
デジレとは全く違うその姿は、マリーには明るくて眩しいほどで、好意的に思える。迎えにくるならデジレよりも、マリーローズの方が良い。
しかし、自分のしでかしたことで人には頼めないと言っていたくせにと、マリーは心の中でデジレに文句を言った。




