21.非凡な日常
朝日が差し込み、外では小鳥のさえずりが聞こえる。
マリーはゆっくり起き上がると、頭を押さえた。
以前のように記憶がおぼろげならよかったのに、昨日の衝撃が強すぎて、寝て起きても記憶が鮮明に残っている。全く清々しくない朝だ。
そう思っていれば、またリディが廊下を駆ける足音がする。
「マリーさま! おはようございます!」
扉が開け放たれる。頰を紅潮させてみるからに興奮しているリディは、今にも飛び跳ねそうだ。
「すごいですよ! ほら、あの、城下町で一番の! なんだかすっごーくかっこいい名前の、超有名な仕立屋さんですよ!」
なんのことかとマリーが首を傾げていると、部屋に三人の女性が荷物を持って入ってきた。
清潔な針子の服装をしている彼女たちは、荷物の展開をテキパキと始める。一番背が高い女性が、寝起きのマリーににっこりと笑いかけてきた。
「おはようございます、マリー様。仕立屋『アスピラシオン』です。シトロニエ様よりマリー様のドレスのお仕立てのご依頼をいただきましたので、訪問いたしました」
マリーがなにか言う前に、女性二人が取り囲む。彼女たちの目は輝いていた。
「マリー様ですよね? デジレ様の、噂のあの! きゃー! ドレスを仕立てられるなんて光栄です!」
「しかもデジレ様のご依頼ですし、愛されていますねえ。お姉様のカロリナ様はうちの広告塔をお願いするくらいご愛顧いただいていますけれど、デジレ様からのご依頼なんてはじめてです」
「しかも! すぐに夜会に着ていけるお似合いのドレスを数着ですって。これから連れて行く気満々ですよね! でも殿方はやっぱりわかっていませんね、女性は綺麗になるための準備に時間がかかるものなんですから、着飾るドレスだってそう早くご用意できませんのに!」
「ですから、本日は採寸をいたしまして、既製品を調整して後日お届けいたしますね。至急とのお達しですので」
怒涛の二人のやりとりにマリーがおろおろしていると、引っ張られて立たされる。
これに着替えてと服を渡され、着替えたと思えば姿勢をぐいっとなおされる。
にこにこ顔の女性が、目の前で採寸用の細長い布を張った時、マリーはなぜか恐怖を覚えた。
「あら、すごく疲れた顔」
約束していたルージュに会いに行く頃には、マリーはぐったりしていた。
仕立屋は言葉通り採寸だけ行ったが、あれほど本格的な採寸はされたことがなくて、目が回った。
嵐のように仕立屋が去ったかと思えば、リディが持ってきた手紙に目を剥く。プリムヴェール公爵家、つまりはマリーローズからのお茶会の招待状だった。
こんなに朝から、非日常的なことを経験したことはない。
頭が爆発しそうで、朝食時に見たジョゼフの顔にほっとしてしまった。
平々凡々なジョゼフの顔は、まるで普段食べている簡素なパンのようだった。対してあの天上人と称される人々は、マリーが口にできないような高級菓子だ。ついぽろりとパンのようで安心すると零すと、ジョゼフは喜んだ。
ルージュにざっと今朝の話をして、マリーはうな垂れた。
「ねえ……わたし、なんでこんなに非凡な目に合ってるの。平凡が理想なのに」
「運命よ、運命。デジレ様に見かけられた時から決まっていたのよ」
デジレの名前が出ると、様々な彼との場面を思い出されて、マリーは彼を恨めしく思う。
「それにしてもやるわね、さすがは完璧な『白金の貴公子』様」
ルージュは顎に手を添えて口の端を上げる。
昨日の夜会は彼女も参加していたはずだが、マリーには見つける余裕などなかった。
「マリーローズ様にマリーは特別と宣言させて、マリーへのキスはデジレ様の懸想であるって広めちゃえば、他の人はそうやすやすとマリーに構えないわ。マリーローズ様は令嬢たちのトップだし、王太子の側近で優秀なデジレ様が相手なのに、ちょっかい出す人なんてそうそういないでしょ」
「いきなりすぎて、わけわからなかったけど」
「上手いもっていきかたね。で? デジレ様が言ってた話は本当?」
おそらく一番聞きたかったのだろう、ルージュが前のめりになって聞いてくる。
マリーは言葉に詰まり、ぼそぼそと呟いた。
「本当……だけど」
「だけど?」
「デジレ様が、わたしを好きなわけじゃないからね!」
マリーはくちびる同盟の話から、昨日の出来事まで一気にルージュに説明をした。
その説明はとても主観的で、怒りの感情から何度も文句が入っていたが、ルージュは真剣に聞いていた。
話し終わっていくぶんかすっきりしたマリーは、紅茶で喉を潤す。
ルージュはそんな彼女を見ながら、ため息をついた。
「なんだ。デジレ様、すごく頑張ってくれてるじゃない」
「なにが?」
「キスの責任感じて、ちゃんとまともな人と結婚できるようにマリーの相手探しに付き合うって言ってくれてるんでしょ。しかも、噂もマリーの傷にならないよう、自分がどう思われようとも鎮火しようとしているんでしょ。すごく誠実な人だと思うけど」




