2.マリー・スリーズ
朝日が差し込み、窓の外では小鳥のさえずりが聞こえる、清々しい朝。
陽に顔を照らされて、マリーは目をうっすら開けた。そのまま覚醒しない頭で、ゆっくりと起き上がる。
喉がからからに渇いていたので、傍に置いてあった水差しで口を潤す。少しすっきりしてひと息つくと、のそのそとベッドから降りた。
何とは無しに、鏡の前までずるずると歩いて、自分を見つめてみる。
何も整えていない髪は古びたほうきのようにボサボサで、ほんのちょっとだけ桃色がかったところが自慢のブルネットが台無しだ。相変わらず味のない至って普通の青い瞳は、眠気で半分閉じていて野暮ったい。
そんな顔より下の身体は薄っぺらく貧相で、女性らしさが見られない。
相変わらず、可愛く言って平々凡々の子爵令嬢のマリー・スリーズだ。
「誰がこんなのにキスするんだろう」
特徴がない唇に触れてみる。
そう、なんだか昨日はキスされた夢を見た気がする。最近読みふけっていた恋愛小説の影響だろうかと、ベッド横に積み上げてある本を見やる。
そういえば昨日の夜会から帰った記憶がないが、酒でも間違って飲んだだろうか。
首をひねりながらマリーが鏡の前から動かずにいると、部屋の外からどたばたと激しい足音が聞こえてくる。
「おはようございまーす!」
元気な挨拶とともにやってきた若い少女は、そばかすが散る頬を上げて満面の笑顔を見せた。
「おはよう、リディ」
彼女、リディはスリーズ子爵家の使用人だ。
人手を確保する余裕がないスリーズ家の使用人は兼任が当然であり、リディも料理番をしながらマリーの侍女を担っている。そんな彼女はまっすぐに厨房から来たらしく、前掛けが揺れていた。
「マリーさま! 今日はリディが腕によりをかけて超キレイにしちゃいますよー!」
若くて元気なリディは、寝起きで頭が重いマリーには少し騒がしい。マリーはこっそりため息をついた。
「ほどほどでいいのよ。わたしは平凡にひっそり生きていくんだから」
「若いのに、そんな人生終わりそうな老人みたいなこといわないでくださいよー。マリーさまは今が花でしょ、かわいくなって、いい人見つけなきゃ!」
マリーをそのまま鏡の前にして、リディは後ろから手櫛で髪をざっくり整え始める。洗い物をした後らしいリディの手は冷たい。
「やっぱりー、オンナノコに生まれたのなら相手は王子様がいいですよね!」
「王子様なんて、身の程知らずよ」
「だったら、妥協して……王子様の側近とか?」
「急に随分と現実的になったけど、それでも遥か雲の上の人でしょ」
「そーですかねえ」
手慣れたリディは、気合い通りいつも以上に髪を丁寧に梳き、くるくると巻く。化粧にも心なしか力が入っていた。これでようやく平々凡々から平凡といったところになったかな、とマリーは鏡を見て思う。
とはいえ。社交界で一番有名な"マリー"には到底足元にも及ばない。
現在の社交界で"マリー"といえば、『高嶺の薔薇』と謳われる美貌のマリーローズ・プリムヴェール公爵令嬢だと、十人が十人答える状態だ。対してせいぜいが『道端の野薔薇』なんていわれるマリー・スリーズ子爵令嬢なんて目も向けられない。しかも同い年の十六歳だ。一応マリーの方が生まれは早かったので、マリーと名付けた父には文句は言わないでいる。
当然、マリーは格が違うマリーローズと会ったこともなければ、張り合うつもりなんてこれっぽっちもない。
身の丈にあった平凡な生活を、人知れずに営むこと。これがマリーの人生における目標だった。
「できましたー! さ、今日はマリーさまの好きなものを中心にした朝食ですから、食べに行きましょう!」
リディが元気よく声を上げる。今日はやけに賑やかだなあと、マリーは少しだけ思った。