18.嘘は苦手
「……それで、次に会ったのは先日の夜会だと?」
「はい。その通りです」
「マリー嬢が出会い話に驚いていたようだが?」
「はじめて話しましたので。三年前からなど、気恥ずかしく……」
はにかむデジレは、貴公子然とした雰囲気を崩していて、非常にいじらしいものだった。周囲から感嘆の声が漏れる。
男爵が何度も頷いて、髭を素早くさする。
「なるほど。想い募ってやっと出会えて、あの展開と。確かに、確かに。マリー嬢も滅多に夜会に参加しないご令嬢だからね、デジレ君もそれに伴い夜会に出なかったのも当然か」
デジレはにこりと微笑む。
男爵がマリーに目を向けて、興奮気味に問うた。
「それにしてもマリー嬢は驚いただろう。会ったことも話したこともないだろう男性に、口付けされたのだからね。いや、たしかにデジレ君は誰もが頷く美男子で、文句無しの優良物件だよ」
ぐいぐいと押してくるような勢いに、マリーは小さい悲鳴をあげた。
するとデジレが彼女を背中に隠す。マリーからは彼がどんな表情をしているか、見えない。
「申し訳ありませんが、男爵。あまり彼女を怯えさせないでください。無理を言ってなんとか、この夜会に付いてきてもらったのです」
「……ふむ。確かに、これで嫌がられてしまっては君の努力と想いが水の泡だ。控えよう」
「ご理解いただけて助かります」
「何、私は若い男女の恋の味方だからね」
にかっと笑う男爵は、マリーにも笑いかけた。
「いやはや、なんというロマンス。事実は小説よりも奇なりとは、よく言ったものだ」
一番に情報を知れた男爵は、満ち足りた表情で、二人を見遣る。それはまるで、子どもを見守る親のような目だった。
「マリー嬢は戸惑っているだろうが、デジレ君は真面目で真摯だからね。ちょっと想いが爆発したようだが、ゆっくりと彼を見極めていきなさい。困ることがあれば、先程声をかけていたマリーローズ嬢や、この男爵に声を掛けるといい。ああ、私はもう君たちの応援者だからね!」
また大きく愉快な笑い声が響き渡る。
デジレは背中に張り付いているマリーを一瞥した。
「男爵。彼女が熱気に当てられたのか具合が優れなさそうなので、少し夜風に当たってきてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん! これから二人で話すことは多い方が良い。ゆっくり二人きりで時間をすごしなさい」
「では、お言葉に甘えまして」
デジレはマリーの腰に手を添えて、すぐに外への出入り口に向かって行った。
外へ出ると、デジレが深く息をはいた。
「黙っていただき、ありがとうございました」
外は暗いが、屋敷からの光でデジレの顔ははっきり見える。彼はすっかりマリーが見慣れた普通の顔に戻っていた。
「……あれでいいんですか? なんだか、シトロニエ様がわたしを好きってことになりましたけど」
「……あれが一番無難な方法だと思いました」
力なく笑うデジレに、マリーはなんとも言えない表情を浮かべた。
ふと目を邸に向ければ、ガラス越しに沢山の視線を感じて、慌ててデジレに向き直る。
「それにしても、シトロニエ様の作り話は迫真でした。わたしが三年前に夜会に出たことも知っているなんて、実際そうだったといわれたら、信じそうなくらいでしたよ」
「嘘は苦手です」
瞬きをして彼を見れば、どうみても真剣な表情だ。
いやいやまさかと、マリーは首を横に振りながらも尋ねた。
「作り話ですよね?」
「いえ。ほとんど真実です」
「えっ……じゃあ、三年前の舞踏会で、本当にわたしを見かけたんですか?」
「はい、間違いなく。先日の夜会で見かけて、三年前と同じ様子でしたからすぐにわかりました」
「ええー!」
あんな恥ずかしい姿を見られていたなんて、と流石に口を覆った。
それにしても三年前と同じとはどういうことか、年頃の令嬢にデビュー前と変わっていないねととれるような発言は侮辱ではないだろうか。
「私が女性を覚えているなんて珍しいのですが、名前も覚えられて」
「ああ、マリーローズ……ローズ様と似てますもんね」
似ているというより、愛称と同じだ。
思い返せば、どうしてあんなに美しく高貴な方と話す機会を得たのかよくわからなくなってくる。
目の前のデジレも高貴なのだが、だんだんとマリーは麻痺してきていると自覚していた。
そもそもデジレが悪い、とマリーは半ば八つ当たり気味にそう思った。だいたい、いつも丁寧なので偉い人だと思わないのだ。
「あの、シトロニエ様はなんでそんなに口調が丁寧なんですか?」
「これは私の普通の態度です」
そうだろうなあとマリーは思いつつも、続けた。
「先日うちに来た時は、そんな口調じゃなかったですよね。息苦しくないですか? こんな下々の者にいちいち丁寧に話さなくったって、気を抜いていいんですよ」
「あれは気が高ぶると、出てしまうもので……。父の口調がうつっていて、何度も母に直されたのですが、未だ直らないのです。大変失礼致しました」
「別に怒鳴らないなら、構いませんけど。まさか、親しい友達にもそんな口調じゃないでしょう?」
「……ご希望なら、善処します」
返答が既に硬い。
無理かも知れないと思っていたところ、デジレが多少言いづらそうに口を開く。
「では、マリー嬢。私のことはデジレと呼んでください。……まだ爵位は継いでいないので、家名で呼ばれるのは違和感が強いんだ」
「……デジレ、様?」
「そう。それが一番、落ち着くな」
ふっと緩めた表情は、会場内にいた時と違う、心から滲みでるような微笑みで。
はじめてマリーに向けられた彼の微笑みは、あまりにも綺麗で、これは令嬢に人気が出るのがわかると彼女は思った。




