16.次の一手
マリーローズの言い方は、軽くお願いするように聞こえるものの、目の前のマリーには強制させるような威圧感を覚えた。
緊張で唇が渇くのを感じながら、ちらりとデジレを見上げれば、彼は頷いてくる。
マリーは何度か口を動かして、思い切った。
「ローズ、様」
その声はさほど大きくはなかったのに、会場に響いた。
え、と思い、マリーが周りを見渡せば、全員が黙って彼女たちをじっと見ている。
すっかり人の世界から外れた光景に惚けていたマリーは、再び自らの置かれた状況を認識して、身体を硬直させた。
それに気付いたのか、マリーローズがマリーの手を包む手に力を込める。
「仲良くしましょう。何か困ったことがあったら、わたくしに言って。力になりますからね」
凛としたマリーローズの声が広がる。
お世辞に引きつった笑顔を見せるマリーにも、彼女は綺麗に笑いかけて、マリーの手を解放した。
「また今度、お会いしましょうね。デジレ様もです。聞きたいことがたくさんありますのよ」
デジレが苦笑する。
なにやら満足げな顔をしたマリーローズは、そのまま華麗に身を翻し、もといた令嬢の輪に戻っていった。
途端、またしてもささやく声があちらこちらから聞こえ始める。しかし、それは先程と様子が違った。
会場に足を踏み入れた時は、いかにもマリーに興味津々という目が多く、話しかけたいと言った雰囲気の者が多かったが、今ではマリーたちと距離を置くように控えめに話している。突き刺さる視線というよりは、今はマリーたちがどう動くか観察する視線を感じる。
その変化に、先程よりましと感じたものの、マリーは困惑した。
「マリーローズは、現在の社交界で、独身の令嬢としては一番身分が高い女性です」
デジレがマリーにだけ聞こえるよう、耳元でややさく。
「私と違って積極的に社交界に出るので、その地位は揺るぎないものです」
彼の言葉を聞きながら、マリーはマリーローズを見る。
周りの華やかな令嬢の中で突出して輝く星のような彼女は、地位だけでなくその容姿や振る舞いでも社交界に君臨しているだろうことはたやすく想像できた。
「そんな彼女に声をかけてもらえたのなら、おそらく令嬢たちについてはいくらか牽制できるかと思います」
ふと違和感を覚えて、マリーはデジレを見上げた。彼は変わらず静かな佇まいできりりとしている。
この場に入ってから、デジレは一直線にマリーローズのところへ向かっていなかったか。さも、いるのをわかっていたかのように。緊張でいっぱいいっぱいだったマリーでも、まっすぐ歩いた記憶はあった。
真意を見極めるように見つめているとさすがにデジレも気付いたようで、わざとらしく咳払いした。
「……ええ、これが打った手です。次は、主催者のラモー男爵に会いに行きます」
少し責めるようなマリーの視線を、デジレは男爵を探すことで逸らした。
「次はお話しした通りです。全て私が彼と話しますので、貴女は出来る限り口を開かずにいてくださるようお願いします。おそらく言いたいことがたくさんあるとは思いますが、後で聞きます」
デジレが自分の腕をつかむマリーの手を、正しい位置に戻す。
マリーにはもとより男爵と話すつもりなどない。しかし言いたいことがたくさんあるだろうとは、と不安を覚える。
「あちらにいますね。では、行きましょう。よろしくお願いします」
再びデジレが、男爵に向かいまっすぐに歩き出す。
気付けば人混みが、目線は外さずにマリーたちの道を自然と開けてくれていた。やはり冷や汗を流しながら、マリーは彼に従っていく。
しばらくすると、豊かな髭をたくわえた壮年の男性が見えた。早く話したいとばかりに目を輝かす彼は、ラモー男爵に違いなかった。
一定の距離を置いて観衆の輪ができている中で、デジレは男爵の前で綺麗に会釈した。
「マルク・ラモー男爵でいらっしゃいますね。デジレ・シトロニエと申します」
礼から顔を上げたデジレは、微笑んでいた。
マリーは目を見開く。
その微笑みは、美貌に合って完璧に見えるものだった。誰もが絶賛するような、令嬢たちが黄色い悲鳴をあげそうな顔だ。
しかし、マリーにはどうみたって自然ではなかった。
今までの短い付き合いで、彼のくるくると変わる情けない表情ばかり見てきたマリーには、違和感がある。微笑むところはまともに見たことはなかったが、マリーローズに会った時の笑みは自然であり、今回のようにいかにも笑みを作っていると思わなかった。
ぬぐえない違和感に、今から何を言うのだろうとさらに不安が募る。




