大きな声で叫びたい③
「マリー、今は休憩時間? 会いにきてくれて嬉しいよ」
「はい、ちょっと時間が空いたんです。お仕事の邪魔かなとは思ったんですが、デジレ様たちに会いたくって、来たんですけど」
マリーが何か言いたげに、オーギュストをちらちらと見てくる。
一体どこから話を聞かれたのかと、オーギュストは頭が痛くなる。マリーローズの盗み聞きは前科がある。さらに、ここぞという時に登場する。
マリーローズが、歩を進めた。
まっすぐ、完璧な所作で優雅にオーギュストに向かってくる。顔には、自らの美しさを最大限に引き出している笑みが浮かぶ。だだそれが、今のオーギュストには威圧感にしか思えない。
「殿下」
呼ばれて、情けなくもぴくりと肩を揺らしてしまう。
誰よりも美しくて、愛しい存在が近くにある。それなのにどうして、恐怖するのか。
「お疲れですね」
ふふっと笑いを含んで綺麗に発音された言葉に、オーギュストは息を詰めた。
意味深すぎてうまく返事ができない。気心知れている者しかいないとはいえ、肯定などできないし、先程の話を聞かれているなら、否定もできない。あの宣言を、ただのたわごとと思われては困る。
ああ、もういっそここで、はっきりと彼女に好きだと真正面から言えたら。デジレならさらっと言うんだろうと思い、また苛々が募った。
そんなことも知らないデジレは、興味深そうに黙ってオーギュストたちを見ている。
「……お疲れ様ではないのか」
「ええ。別に、慰労をさせていただこうと思いまして」
一体何のことか、とオーギュストがふと考えていると、マリーローズがさらに近付いた。
執務机の前まで来ると、鮮やかな紫紺のドレスをさばき、背中から机に少し乗り上げる。机に座ったかたちになるその姿は、とても無礼で行儀が悪い。しかし、マリーローズがすると、その所作に見惚れる。
ぼうっと一連の動きを眺めていると、マリーローズがオーギュストの方に上体を捻った。予想よりも間近に美貌が寄せられて、オーギュストは驚き下がる。薔薇の香りが、オーギュストを包む。
マリーローズは可愛らしく笑って、紅い唇に美しい笑みを描いた。
「あ・い・していますわ、オーギュスト様」
やられた! と思った。
オーギュストは目を手で覆って俯いた。
心臓がどくどくと鳴って、耳がじんじんと赤くなっていく。
からかい好きのマリーローズのことだから、オーギュストの宣言を聞いていれば好きと言うかとは思った。しかし、言われたのはその上位互換。
たしかに好きとは言わせるつもりだった。だが、その言葉は言うつもりだった。
口からはくぐもった言葉にならないものしか出てこない。なんとか見上げた彼女は、してやった、という愉快そうな顔をしていた。それさえ綺麗だとか勝手に心が思うのだから、始末に負えない。
彼女をこれ以上直視していられず、視線を外せば、マリーとデジレが見えた。
マリーは赤らめた両頬を手で包むようにしながら、目を輝かせてオーギュストたちを見ている。デジレは変わらず、観察するようにじっと見つめている。
そういえば彼らにも今のを聞かれたのか、と思えば余計に恥ずかしくて堪らない。
「わ、わあ! デジレ様、今の聞きました?」
「うん」
「すごい、ローズ、あんなにはっきりと殿下に! こんな告白シーン、はじめて見ました!」
「マリー」
「いいですよね! このままうまくいってくれたらなあ」
「愛しているよ」
マリーが、デジレを見て固まった。一気に林檎のように赤くなる。
デジレがようやくマリーに向いて、ははと笑ってから微笑んだ。
「愛している。うん、やっぱり思った時に言わないと。いつ言えなくなるかわからないから」
「え、ええ……あ、あい……」
マリーが心配になるほど、真っ赤になって挙動がおかしい。きょろきょろしてオーギュストと目が合ったが、こちらに頼られても困ると申し訳ないが目を閉じた。
話には聞いていたが、いつもデジレがこの調子だとしたら、マリーは持つのかと思う。いや、慣れていくのだろうか。
人がいる前でよくいちゃつけると感心するが、もとからこのふたりは自分たちの世界に入ることが得意だったかも知れない、とオーギュストは思い直す。
「あ、わ、わたしも……」
マリーがデジレに向けて、口を開く。一生懸命さが伝わってきて、いじらしい。
彼女が、胸元でぐっと手を握る。
「あ……愛してます!」
大きな声がして、部屋に小さくこだました。
オーギュストはきょとんとしたが、デジレは驚いて硬直している。マリーローズは、にやにやと笑っている。
頰を紅潮して肩で息をしているマリーは、次の瞬間強く抱き締められていた。
短い悲鳴と、歓喜に打ち震えた声がする。他の場所でやってくれと思うほど仲良くしている彼らから顔を背け、オーギュストはため息をついた。
「殿下は、ああいうのが理想?」
マリーローズが笑いながら尋ねる。
「あれは彼ららしいのであって、理想ではないかな」
だいたい、あんな風に振る舞う自分なんて想像つかない。だからといってどういうものが理想かと言われれば、まだオーギュストにはわからなかった。
まだ、彼らを見ているらしいマリーローズを窺えば、実に楽しそうだ。彼女も、ああいうのは見るのは好きだろうが、やろうとは思わないだろう。そのはずである。
「なにも、ああ言うだけが気持ちを伝える方法ではないし……」
そこではたと気付いた。
今日、この場で愛していると言っていないのはオーギュストだけである。
「ふうん?」
マリーローズが意味ありげな目をしている。
いや、だからといって、今オーギュストが言えるかといえば、言えない。そもそも、自分だけ言ってないからと言うような言葉でない。そういう場面で軽々しく口にするものではないと、彼は思う。
自分の気持ちは言葉に追いついているけれど、マリーローズに鼻で笑われないようになった時に。
「まあ、いつか」
苦笑いして、気まずく目を逸らせば、まだマリーを抱き締めているデジレが視界に入る。
果たして、何事もまだできないと言う、オーギュストがあれほどになるのにはどれだけ時間がかかるのだろう。
本当に面倒臭くて、苛々させるのは、一体誰だろうか。
オーギュストはふっと笑った。




