スリーズ家の夕食③
なんとか夕飯は終わった。小部屋には、ジョゼフとデジレだけが残っている。マリーは隣の厨房で洗い物をしている。
デジレはマリーの姿が見えないのにも関わらず、ずっと楽しそうに厨房の方を見ている。いたずら心でジョゼフが視線の先を手や身体で遮ってみても、びくともしなかった。途中で諦めて、ジョゼフは席に戻った。
「マリーは、本当に可愛いですね」
しみじみと、いきなりデジレが話し出す。この部屋にいるのは彼以外ジョゼフだけなので、おそらくジョゼフに話し掛けているのだろう。
無視してやろうかと思ったが、内容が内容だった。
「当たり前だろう? おれの妹だぞ!」
「はい。この家で育ったからこそ、あんなに素敵な女性になったのだと思っています」
淀みなくすらすらと答えられるその言葉は、世辞なんてものが見られない、純粋なものだった。
当たり前だ。ジョゼフはもう一度、心の中で言う。
マリーは頑張り屋で、しっかり者だ。それでいて素直なのに、甘え下手だ。それはこの家の、父と兄しかいない環境のためだろう。
まだずっと、マリーがいる部屋を見つめる美貌の青年をこっそり盗み見る。相変わらずこの場にいることがおかしいくらい、整った顔立ちの美しい男だ。
マリーは、身内贔屓を除けば、容姿は普通だ。そこらに歩いている少女、と言われても納得するだろう平凡さだ。そんなマリーがデジレに釣り合うかといえば、普通に考えれば全く釣り合わない。
だが、先ほどの夕食の場も含め、ふたりでいると、とにかく似合っているのだ。言葉には表せられないし、なぜかはわからないが、とにかく自然でこれ以上ないほどしっくりくる。マリーが美しくなっているのか、デジレが合わせているのか、かもし出す雰囲気が同じなのだ。
「可愛いですよね」
デジレがひとり笑いながら、こぼす。目を細めているが、マリーの姿でも想像しているのかもしれない。
デジレが、マリーしか目に入れていないのはジョゼフも知っている。マリーしか見ておらず、他の女性のかげかたちもない。マリーだけとも公言している。
ジョゼフが邸にいるときは、おそらくマリーに会うついでだろうが、デジレは必ずジョゼフのもとに顔を出す。そして、婚約期間を短くさせてくれと何度も何度も頼んでくる。
確かにジョゼフは二人の婚約を認めていないし、反対している。だが、婚約は家同士の話で、ジョゼフがどうこうできることではない。婚約期間の短縮など、いつでも嫁に来て良いと言う伯爵か、マリーが良いならという姿勢の父に言えば、あっさりとできるのだ。ジョゼフに許可を取る必要はない。
「側近君、本当に妹が好きだな」
「はい」
照れもないはっきりとした返事がした。
マリーは、デジレの婚約期間を短くしたいという気持ちは知っているようだが、ジョゼフに頼んでいることは知らないようだった。デジレは、独断でジョゼフにひたすら頼んでいる。
それを、今日まですべてはねのけてきた。
「最初さ、マリーに会っていきなり求婚しただろ。 あれと今は違うのか」
くるっと、デジレが顔を向けた。神妙に、真面目な顔で頷く。
「はい。あの時とは違います。責任感ではなく、ただずっと一緒にいてほしいと私が求めました」
「おまえだけのためにマリーはやらんぞ」
「もちろんです。彼女を幸せにする自信がなければ、求婚なんてしません」
まっすぐに意思を見せるデジレに、ジョゼフは悪態をつきたくなった。
知っているのだ。どれだけデジレがマリーを大切にしているか。マリーが、どれほどデジレに心を預けてきているか。
誰もが祝福するこの婚約を、ただひとり反発するのは、ただマリーのためだ。
歓迎されているのは喜ばしい。求められるのも幸せだ。ただ、そんな周りの中で息が詰まったら。苦しいと思ったら。その時にひとりくらい、ほらみたことかと言いながら、迎えてくれる人がいると楽だと考えた。
ジョゼフはずっと、スリーズ子爵家にいる。マリーの実家となるここに、万が一の逃げ道くらい作ってよいだろう。
そう、万が一だ。ジョゼフは息を大きく吸った。
「もし、マリーが帰りたいと嘆いたら、義弟君をボコボコにしてでも連れ帰ってやる! 子どもがいたらまとめてだ! それだけ強くなって、甲斐性があるようになってやる!」
大声で、デジレに浴びせるように叫んだ。
そうだ。デジレに負けてからはいつも以上に身体を鍛えてきた。今度こそ負けるものかと、腕を磨いた。あの伯爵家と親戚になるなんてと同情してきた、騎士団長にも訓練を頼んでいる。
子爵家のことだって、順番に学んでいる。義弟に負けるつもりは、一切ないのだ。
デジレは目を丸くしたが、すぐに顔を綻ばせ、年相応に笑った。
「はい、義兄さん! 私も、マリーを奪われないよう、父に勝てるほど強くなります!」
眩しいほどにこにこしてそう言ったデジレに、ジョゼフは引っ掛かりを覚えた。
「ん? 義兄さん? 義兄上じゃなくて?」
「義兄上は既にいるので」
「……お義兄様でもいいんだぞ」
「いえ。マリーと同じ呼び方が良いです」
きりっとしてきっぱり断る彼に、ジョゼフはそれ以上何も言えなかった。
それにしても父より強くなるとデジレが言っていたが、彼の父は騎士団長が強いというほどの猛者ではなかったか。まだジョゼフは騎士団長の足元にも及ばないのに、遥か上を行かれてはまずい。これは相当、鍛えなければ。
「兄さん、デジレ様、お話終わった?」
ジョゼフがうんうんうなっていると、マリーが厨房から顔を出した。デジレが飛び跳ねるように駆け寄る。
「マリー! ジョゼフ殿に義兄さんと呼ぶ許可を貰った!」
「本当に?」
手を取り合って満面の笑みをこぼすふたりに、まあこれでよかったかとジョゼフはため息をつく。
すると、マリーと目が合った。彼女はふふっと笑って、ジョゼフにだけわかるよう、ありがとうと口を動かした。
ジョゼフはその場にうずくまって、叫びたくなった。
結局認めないと言い続けていたが、マリーに兄さんひどいなんて言われていれば、すぐに陥落していた。それをマリーは言わなかった。もしかして、ぎりぎりだったかもしれないが。
妹と、そして新たな義弟の兄でいるのもなかなか大変だと、ジョゼフは天に届くよう、肺から息を出し切った。




