13.噂を上書き
マリーがそんなことを考えているとは露とも知らず、デジレは思い出したように手を打った。
「忘れていました。脱退条件もお伝えしましょう」
「脱退条件?」
「加盟ができるなら、当然脱退もできなければいけません。脱退条件は目的である、キスしたくなるような相手が見つかった場合とします。ただし、脱退をしなくてはならない、またはしたいと思う状況や思いになった場合は、この限りではありません」
「だったら、今すぐ脱退したいんですけど」
当然のように言ったマリーの言葉に、デジレは肩を落とした。
「……気持ちはわからないでもないですが、せめて一回は私を利用してください。先日もお伝えしましたが、女性には詳しくなくとも男性貴族についてならほぼ網羅しています。お相手探しなら、十分に役に立ちます」
「ええ……」
「それだけのことをするのは当然のことを、貴女にしてしまったと自覚はあります。貴女には……私という嫌いな人物が傍にいることを除いて、悪い点はありません。これは、私がしでかしたこと。他の者に代わりを頼むことはできませんので、どうかご容赦ください」
綺麗で真摯な目が向けられる。マリーは少し考えた。
出来ればもうデジレとは関わりたくなかったが、彼に奪われるだけは悔しいと、マリーは思えてきていた。
利用してくれという依頼も、最初こそ嫌な気持ちになったが、マリーは被害者なのだ。それくらいしても許されるし、デジレだって当然と言っている。
相手探しくらい、協力してもらって当然なのだ。
「じゃあ……お願いします」
渋々と承諾すれば、デジレが家から出たマリーを見かけた時のように、安堵の表情を見せた。
「それじゃあ、今回の夜会はさっそく相手探しですか?」
「いえ、今回は噂を流しに行きます」
「え、噂を流す?」
噂は既に流れているのでは、と疑問を抱いてデジレを見ると、彼は頷く。
「マリー嬢は、今回の夜会の主催者をご存知でしょうか」
たしかルージュが言っていた。マリーは記憶をたどる。
「えっと、たしかなんとか男爵だったような」
「はい、ラモー男爵です。彼は新しい事好きの噂好きで、噂の発信源ともいえる方です。彼に伝わった出来事は、大抵噂として広がります」
「それまずいですよね。既にわたしたち、噂になっていますよね。さらに大変な噂になるかもしれないじゃないですか!」
既に社交界を席巻しているらしい自らが関わる噂など、消えて無くなってほしいと思っているマリーは、悲鳴をあげそうだった。
デジレは落ち着いた様子で首を横に振る。
「そうはさせません。噂を上書きします」
「上書きってなんですか。ああもう、これ以上外を歩けないような酷い噂が流れるんだったら、やっぱり外に出ずに家に篭っていればよかった!」
顔を手で覆って嘆くマリーに、デジレは口を引き結ぶ。しかしすぐに、それは困りますと口を動かした。
「噂に対し黙って篭ると、憶測を招きます。大概それは脚色されて、ろくなことになりません」
「じゃあどうすればいいんですか!」
「当事者が、つまり私が、噂の内容を説明します」
マリーはデジレの言っていることが理解できず、頭の中が疑問符だらけだった。
そんな彼女に、彼は続ける。
「なぜ噂に尾ひれがつくのかといえば、大抵が情報不足だからです。その為に人々の想像をかきたて、あらぬ情報が飛び交います。現在の私たちの噂は、衆目の前でキスしたという情報のみしかありません。情報が足りないのならば、あの出来事の詳細を説明すればよいのです。それが当事者からの説明ならば、誰も否定はできません」
マリーは頭の中でデジレの言葉を繰り返して、噛み砕く。しばらくして、ようやく内容をつかむ。
つまりは現在の不安定な噂が酷くならないように、デジレがラモー男爵に詳細を伝え、内容を訂正するということか。
それにしても、とマリーは口を尖らせる。
「……説明するって、どういう内容をするんですか。わたしでもなぜキスされたか知らないんですけど」
「それは、任せてください。もちろん、貴女の傷にならないようにいたします。マリー嬢は何も言わなくて構いません。すべて私が行い、噂をなんとかします」
何を言うのか信用ならない。だからと言って、マリーにはどう対処すれば良いかなど思いつかないので、デジレに任せるしかなかった。
じとっとした目で見ても、デジレはその強い意志が宿った瞳を彼女から逸らすことはなかった。
「もう一つ、手は打ってあるのですが。また後ほど」
デジレが輝く睫毛を伏せる。
これからの作戦を考えているのか、黙り込んだ彼を見て、マリーは片眉を上げた。
「シトロニエ様。わたし、どうしてキスされたか聞いてないんですけど……」
途端、デジレは目を開き、間抜けな声を小さく漏らした。見るからに冷静さを失って、迷うように何度も口を開けたり閉めたりしている。
「それは、身体が勝手に……」
こんなに綺麗な人でも、恋愛小説の最低な男みたいなこと言うんだ。
マリーは自分の中で更に評価が落ちた彼を半眼で見ながら、男は顔ではないと頭の中のメモに書き込んだ。




